3-7 白撃
「イアンっ!」
甲高い悲鳴を上げて、マルグリットが駆け寄ってきた。その後ろから手を上げ、キャロラインも悠然と歩いて来るが、表情には余裕がない。
「本当に、向こう見ずなことをする。ボクらを遺して死ぬなんて、許さないよ?」
「ごめん、キャロ。あたしが弱かったせいで、イアンに無茶をさせた」
落ち込むアレクシアの頭を撫でてやりたいが、ちょっともう、体を動かせそうになかった。
「アレクのせいじゃないさ……勝てたんだから、それで充分だ」
か細い声をかけるのが、精一杯だ。ここから先は後衛職二人の仕事だが、果たして上手くいったろうか。視線を向けると、涙目の聖女が頷きを返す。
彼女は掌に大粒の魔石を包んでいた。キャロラインが管理していた、“黒烈”の魔石だ。
「いと高き生命樹よ、その実のもたらす恩寵が、余すことなくこのものへ注がれんことを」
「巌よ崩れて石塊と転ぜ、石塊よ砕けて砂と化せ」
マルグリットの祈りに合わせ、キャロラインが詠唱を始める。詠唱を構成する語句の差から、わずかに速く魔女の術が完成した。
「砂は磨られて塵と成れ、〈
「伏して願い奉ります……〈
聖女が包んでいた手を開くと、かしゃんと音を立ててそこにあった魔石が砕ける。と同時に目映い光が生まれ、それは俺の体を包んだ。
死の淵に片足を突っ込んでいた肉体が見る見る修復されていき、血を失いすぎて濁っていた意識も熟睡から目覚めた後のように澄み渡る。
全ての傷を癒やしあらゆる状態異常を払う、最上級の治癒呪文の発動だった。
これほどの大呪文、消耗しきった今のマルグリットの魔力で使えるはずもない。つまり、キャロラインが『どうにかする』と言っていた試みも成功した、ということだ。
「……うん。魔石の魔力で直に術式を構築するやり方は、術の威力を問わないようだね。検証前は、半信半疑だったけれど」
「そんなことできるの!?」
勇者の驚愕に、魔女は肩をすくめて応える。
「普通はできないよ。儀式に使う際は魔術陣に組み込む必要があるし、魔道具にも専用の回路がいる。言うなれば、油を飲んでも手から炎を出すことはできない、というようなものさ」
そう。魔石は魔力を生み出す原料となるが、人間はそれを生のまま扱うことはできない。
それが可能なのは、魔物のように生まれた時から魔石を体内に持つか、魔族のように後づけで体に埋め込んだ者だけだ。
「じゃあ、どうやって」
「順番を、逆にしたんです」
聖女が開いたままだった手の上の、微塵になった魔石の粉を持ち上げて見せる。
「逆?」
「魔石から直接、魔力を引き出すのが難しいってんなら、魔力が必要な状況で魔石を砕いたらどうだろう? って思ったのさ」
立ち上がり、癒やされた体の具合を確かめるように関節をほぐしながら、俺は解説した。
魔力不足で無理やり大魔術を使おうとしても、通常であれば魔術は発動せずに終わるだけだろう。けれど、魔術が発動しようとしているが必要な魔力が足りないという過程で、魔力の塊である魔石が砕けたら?
人間には魔石の魔力は使えない、だが魔術は魔力を必要とする。
油を飲んでも手から炎を出すことはできない、だが燃え始めた火のそばに油を振りまけば、小さな火も炎に変わるだろう。
「まだまだ検証は必要だけどね、これは画期的な発見だよ。魔術の構成において
あ、いかん、めっちゃ早口で喋り始めた。
「キャロ、落ち着け。まだやることがあるだろ」
「つまり外部から魔力を集積する方法が……ああ、すまない。がらにもなく興奮してしまった」
がらにもなくって、お前わりとしょっちゅう暴走してるからな? 俺以外が止めようとしないだけだからな?
「やることってのは、あいつのこと?」
アレクシアが、うつ伏せに倒れたままこちらをにらみつける“白撃”を、顎で示す。両手と片足がない状態でもこいつなら体を起こすくらいはできるだろうが、腹をかっさばかれているからな、動くに動けないんだろう。
先ほどから大人しくしているのは、逆転の機を窺っているのか、仲間の救援を待っているのか。姿を見せないが、“緋惨”の配下である
「尋問でもするつもり?」
「はっ。俺がなにか話すとでも思ってんなら、おめでてぇにも程があるぜ」
闇に染まった目を怨嗟で燃やし、憎まれ口を叩くコバック。あの状態で大したタマだ。
俺ならアレクシアたちの助けになるためであれば、無様だろうが命乞いでもなんでもして、ひとまず傷を癒やす方を選ぶがなあ。ま、そこは性格の違いか。
「あいつ自身に用はないさ。用があるのは、胸にへばりついてる魔石の方だ」
そういう意味では、さっさと殺してもらっても良かったかな。ただまあ、折角だから自分のやらかしたことの顛末を知らしめてから、あの世へ送るとしよう。
「やられた
「……まさか!」
アレクシアが、目を輝かす。
「ええ。人数分の〈
死者を蘇らせる〈甦生〉の呪文は、その途方もない効果に見合って、制限が多い。肉体から魂が離れていないこと、死者に相応の運気が残っていること、病や老衰によるものでないこと。
そしてなにより魔力の消費が莫大で、高位の司祭や司教でも個人で扱いきれるものではなく、大規模な儀式が必要となること。
そのため庶民ではとても購えない喜捨を請求されることとなり、王侯貴族や大商人くらいしか縁のない魔術であった。
一般庶民や並の冒険者にとって死が覆せない運命なことに変わりはなく、以前に俺が死んだときも、てっきり捨て置かれるものと思ったものだ。
しかし今、聖女の称号を得たマルグリットは、単身でも儀式級の治癒呪文を行使することができるようになった。
そして必要な魔力は、四天王に与えられた特上の魔石で肩代わりできる。
「許さんぞ! 魔王様から賜った魔石を浪費するなどと!」
こちらの意図に気づいた“白撃”が、喉も裂けよとばかりに吠える。さすがに大人しく待つのは止めたか、腕の切断面を地面に突き、血と臓物をこぼしながら片足だけで身を起こした。
激痛が走っているだろうに、よくやる。それだけ四天王にとって、魔王から下賜された魔石というのは大切な物なのだろう。
「たかが犬人ごときのために、俺の誇りをぉぉぉっ!」
「おまえごときのつまらない誇りが、あたしの友達の代わりになるか」
冷徹な言葉とともに、アレクシアは拾い上げた聖剣を横に薙いだ。右、左、右。太い首を三度打った刃が、光を放つ。
再びの三連撃で、コバックの首は宙を舞った。
「ふざ……ける、な……!」
それが末期の言葉となって、憎悪と無念に歪んだ首が、地に落ちる。
俺としてもぼっこぼこにされたことの溜飲は下がったが、こうなると哀れだな。まあ、同情はしねぇけど。
「さ、魔石をほじくり出すか。アレク、手伝ってくれ」
「死体だからさすがに短剣も通りそうね、手早く済ませましょ」
「なんで、ちょっと楽しそうなんですか……?」
あ、マルグリットがドン引きしている。俺たちはこの獣魔族にいろいろ恨みがあるけれど、彼女はそうでもないものな、いかんいかん。
「キャロ、〈粉砕〉七回は結構な消耗だと思うが、いけるか?」
誤魔化すためにキャロラインへ話を振ると、魔女は問題ないと頷いて見せた。
「検証のために中等級の魔石で、リットに〈
さすがだな。ぶっつけ本番が基本の俺と違って、彼女は準備を怠らない。
そして実験ついでに、魔力を他人に譲り渡す〈精譲〉で自身の魔力を回復したってわけか。
「じゃあ、まあ、とっとと取りかかろう。……あいつらも、見てるしな」
周囲に視線を向ければ、すっかり荒れ果ててしまった田畑の向こうに、無事だった犬人たちの姿が見える。どいつもこいつも悲しみに暮れ、怯えた眼差しでこちらを見ていた。
おっと。あいつらの手前、嬉々として遺体を損壊するような振る舞いは慎まないとな。
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