3-6 聖剣


 獅子の爪が少女の頭を捕らえ引き裂き、血と脳漿をばら撒く――そんな幻視が浮かぶほどの、不可避の一撃。


「ばっ」


 だが妖刀の柄を跳ね上げて相手の掌を弾き、そのまま体を入れ替えるように“白撃”の後ろに回ったアレクシアは、白銀の毛皮を雑に蹴り飛ばしてこちらに駆け寄ってきた。


「ばっかじゃないの! 馬鹿じゃないの! なにいきなり、愛称で呼んでんのよ!? もうちょっとムードとかシチュエーションとか考えて、ロマンチックな局面で必殺技みたいに呼びなさいよ! なに考えてんのあんた!?」


 裸同然の格好でわーわー騒ぐ。さっきまで人形みたいに表情が抜け落ちた顔で、ただ殺意だけに従って淡々と攻撃を繰り返していたのに、この変わりようときたら。

 とりあえず服をなんとかしてやらないとな。落ち着かせるよう肩に手を置いて、詠唱する。


形状解析アーキテクト骨子探査ストラクチャー結合変化アンクレンチ構造復元レストレーション工程実行プロセシング命令オーダー、〈修繕メンディング〉」


 かろうじて纏わりついていた切れっ端が、魔術の完成に従って原型を取り戻し、彼女の体を覆っていった。とはいえ俺の魔力では形状の復帰が精一杯で、もとの服ほどの防御力は期待できない。


「……遅くなって、すまん」


 それから、鼻血も拭いてやる。よく見りゃ目も充血しまくって、こめかみには青筋が浮いてるじゃないか、女の子がしちゃいけない形相だぞ。


「いいわ。間に合ったんだから、許してあげる」


 けれど頬を紅潮させ興奮した表情で俺を見上げる顔が、勇者の称号による治癒効果だろう、いつもの綺麗な造形を取り戻していった。

 そのまま口づけのひとつも交わしたいところだが、残念ながらそれを許してくれなさそうな無粋な野郎が、怒気を撒き散らしてこちらをにらんでいる。


「……なんだぁ? 手前ぇ」

「こいつの男だよ。お前、よくも人の女を好き放題、剥いてくれたな」


 それだけで万死に値するが、こいつは犬人コボルトたちの仇でもあった。絶対、生かして帰さねえ。


鬣犬ハイエナ風情が、偉そうな口を利きやがって。だったら手前を半殺しにして、目の前で小娘を犯してやるよ」

「猫風情が人間様相手に盛るな、気持ち悪ィ」


 見下すように半眼を向けて、鼻で笑う。それまでどこか小馬鹿にしている風だった獅子の目が、ひくひくと痙攣していた。


「よしわかった。手前は死ね」

「魔王軍は切れるとみんな同じことを言うな……今日三人目だぜ、それ聞かされたの」


 四天王の三人にそろって『死ね』と言われたのは、俺くらいのもんだろう。べつに嬉しくはないけどな。


「三人、だと……? 手前、リューゼやザックスはどうした」

「あの世でお前を待ってるよ。早く行ってやんな」


 いや、“緋惨”はあの程度じゃ死んでないと思うけどな、はったりだ。アレクシアも、ぎょっとした顔で俺を見ている。

 とはいえコバックは警戒を強めたのか、上体を屈め構えらしきものを取った。真偽はわからずとも、俺が五体無事でここに立っているのは事実だからな、油断ならない相手と誤解してくれればいい。


 さんざん挑発した上で俺は強ぇと誇って見せた。自尊心の高い四天王のことだ、ともかく一撃を入れてみよう、という気になるだろう。

 ただの雑魚と侮られ無視されては、結局アレクシアに攻撃が集中する。そうなったら俺にはなにもできない、今はそれを避けるのが、最優先だ。


 こういう時のために用意していた、禍々しい装飾の施された短剣を抜く。

 見た目はいかにも呪われていそうな外見で、切りつけられたらただでは済まないような雰囲気を漂わせているが、じつのところ知人の鍛冶師が冗談で作った丈夫なだけの紛い物だ。


「アレク、聖剣を使え。足止めは俺がする」

「うっ、うんっ!」


 地面に突き刺さったままの聖剣まで、十数歩。アレクシアであれば辿り着くまで一瞬、引き抜いて攻撃に転じるまでもう一瞬。瞬き二回分の時間を稼げれば、充分だ。


 満を持して〈獣性解放メタモルフォシス〉を使う。俺の頭部は瞬時に鬣犬のそれに変わり、全身を斑の毛皮が覆った。

 全身に力がみなぎり、五感が冴え渡る。その目が――


「くたばれっ!」


 コバックの体を、見失った。

 消えたわけじゃない、遷祖還りサイクラゼイションをしてなお捉えられない速度で動いただけだ。そしてこいつは基本的に、相手の利き手側に回り込む。


 この速度じゃ目は頼りにならない、勘で合わせろ――今! 胴を薙ぎにきた爪が、反らした上体のすぐそばをかすめていった。

 同時に手首を返して目の前を通り過ぎる白銀の毛側に、短剣を突き刺すふりをする。どうせ刺さりゃしない、攻撃する気があると錯覚させればいい。そら、身じろぎしやがった。


 もういちど手でくるか、それとも足でくるか。余裕綽々だったときならともかく、必殺の気合いで臨んでいるとすれば威力の高い方を選ぶはず。

 ひだの多いズボンがはためく、よし、蹴りで来た! 足の爪がまっすぐ突き出される、正面から食らっちゃいけない、吹っ飛ばされないことが肝要だ。


 半身を回転させる。かわしきるのが理想だが、これは無理だな。膝を折れ、急所を避けろ。


「ゴハッ」


 左肩に足の爪が突き刺さった。上腕に鎖骨、肩甲骨まで砕けたな、左腕はもう使い物になるまい。だがかろうじて心臓と肺は避けた、まだ体を動かせる。

 そのまま跳ね飛ばされた方が痛みは少なかろうが、それでは駄目だ。やつの爪を肩に食らったまま、無事な右腕で足を抱える。


 距離を離せば“白撃”の攻撃は知覚することも難しい、密着した状態でなら筋肉の動きで多少は次が読める。よし、頭を刺そうと腕を上げた。

 体格差を考えりゃ、そのまま足を振って俺をもぎ離すべきだったな。


「けっ、やっぱり大したことねえじゃねえか」

「アア。俺ハナ」


 やつが腕を振り下ろし、俺の顔面を爪が切り裂く。目は避けろ、視界を残せ――よし、左目はまだ見える。

 集中していた意識はもう限界だ、激痛が襲ってきて呼吸すらできない。だが力を緩めるな、わずかでいいから足の引き抜かれる速度を落とせ。


「イアンんんんっ!」


 アレクシアが叫びながら抜いた聖剣アイエスが、彗星のように光を放ってコバックの背に切っ先を潜り込ませる。だが。


「効かねぇよ、そんなもん」


 毛皮をかすめた程度で、剣は空を切った。両手で振るった聖剣でも、まだ“白撃”を捉えきれないのだ。

 それでもいい。毛皮をかすめる程度でもいい。


「イアンを、離せぇぇぇっ!」


 振り抜いた聖剣を翻し、横薙ぎの一撃。危なげなく避けたコバックの胴あたりの毛が、はらりと舞う。しがみつく俺を鬱陶しげに振り払った獣魔族の爪先に、軌道を変えた聖剣の先がカチンとぶつかった。

 血を振り撒いて地を転がりながら、俺は意識を途絶えさせないよう必死に目をこらす。赤く染まった狭い視界の中で、勇者の四撃目が放たれた。よし、目論見どおり。


「なんだ……?」


 襲い来る聖剣の、光る刃を手の爪で弾き、コバックが不思議そうな声で唸る。イィィン……と弾いた爪が震えていた。


 五撃目、地を摺るほど低くから膝を狙うが、持ち上げた足の皮一枚を裂くに留まる。


 六撃目、伸び上がった体を戻すように身を折り肩口を狙って、かすり傷をつけた。


 七撃目、左手だけで持った剣を伸ばした刺突、同位置に辛うじて刺さる。


「こいつ、速く……!?」


 八撃目、九撃目。右、左と旋回した刃は脇と上腕に深い傷をつけた。


 剣の放つ光はますます強く大きくなり、その光に後押しされるように……あるいは引っ張られるように、アレクシアの剣速が上がっていく。


「なんだっ、その剣はっ!」


 十撃目。真っ向正面から振り下ろされた剣は、体を庇うため交差した“白撃”の腕を、籠手ごとまとめて断ち切った。


 聖剣アイエス、正式名称は『驍猛無尽イニグゾスタブル・スローター』。その斬撃は不死怪物アンデッドや呪詛などを祓い邪悪な力を阻害する、破邪の光を帯びる。

 そしてこの聖光は、剣速と刃の強度を増す効果があり、しかも攻撃が命中するたびに増加率が増していく。つまり理論上、連撃が当たり続けさえすれば最終的には、子供でも巨竜を屠れるほどの速度と威力を有するようになるのだ。


 とはいえこの昂進効果は『更に重くなった剣が、更に勢いを増す』ように発揮されるため、使い手本人に必要な膂力と技術も加速的に増していき、制御を誤ればたちまち手からすっ飛んでいく。

 威力に応じて振るう者への要求も昂進していく、厄介な特性だった。

 そしてなにより、まず当てなければ効果が発揮されない。一度や二度の速度増加では、魔王軍最速の戦士を捉えられていなかった。


 まぐれ当たりでは駄目なのだ。かすめるだけでいいから、確実に三撃以上の命中が要る。

 だからこそ俺は体を張って、“白撃”のやつの動きを鈍らせた。これは策でもなんでもない、強いて言うなら命を賭け代に聖剣を当てさせる、博打である。


 十一撃目、今までのアレクシアならこれが限界だ。体を一回転させてからの横薙ぎが、獅子の腹を深々と切り裂く。

 血と臓物がこぼれるが、それを押さえようにも腕は既に地に落ちた。


「まっ、待て――!」

「待たないっ!」


 十二撃目、骨も砕けよとばかり柄を強く握りしめ、必死になって放った袈裟切りが、太い足を腿から断ち切った。


 横倒しになるコバックの巨体と、更なる一撃を加えようとするもかなわず、剣に振り回され転倒するアレクシア。


「くそっ」


 とうとう柄を離してしまい、聖剣は地を跳ね転がった。十二撃は新記録だが、とどめには至らなかったか。あるいは獣魔族の体がもう一回り小さければ、首を跳ねられたのだろうが。

 まあ、もう勝ったも同然だ。相手は満身創痍、対して勇者は手こそ痺れてしまったろうが、まだ充分に動ける。


「そうだ、イアン! あんた、生きてるよね!?」

「おうよ」


 必死になって無事な方の手を持ち上げて、親指を立てる。〈獣性解放〉も解けちまって、体もズタボロだが、即死するほどじゃあない。

 無茶した甲斐は、あったというものだ。


「くそ、があ……! やってくれやがったな、カスどもが……!!」


 呪詛の言葉を吐きながらも、起き上がれずにいるコバック。

 妖刀に斬られたときとは異なり傷が再生しないところを見ると、聖剣のもたらす破邪の力が効いているのだろう。


「しぶといわね。今、殺してあげるわ」


 痙攣する体を必死で立たせた勇者を、しかし俺は止めた。


「待て、アレク。そいつにはまだ、用があるんだ」


 大事な用が、な。

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