3-5 蒼葬
どうも“蒼葬”のやつ、魔王から下賜されたという魔石とその能力に、相当の誇りを抱いているようだ。
変異した身体を翻弄し傷つけた俺に対し、魔術ではなく肉体の力で圧倒しないと気が済まないのだろう。
「死ねぇっ!」
爪を振り上げ駆け寄ってくるその動きはたしかに早いが、肉体派の四天王ほどじゃあない。後衛職の二人ならともかく、俺ならなんとか避けることができた。
短剣並みの長さと鋭さを持った爪が肩口に迫るが、その場を跳び離れて回避する。そして迎え撃つように次々とナイフを投擲、相手の気が逸れた瞬間
さらに〈
それで爆発するほど揮発性の高い油じゃない、樽が弾けて燃えながら飛び散ってくれれば充分だ。
「ええい、次から次へとっ!」
美しく青い肌を油で汚され苛立ちを隠せないリューゼに、今度は硫黄粉を詰めた卵の殻を叩きつける。
散らばった黄色い粉がそこここで燃えている火に熱され、悪臭を放った。
「ぐっ、このっ、糞虫がっ!」
取り繕った物言いが失せてるぜ、“蒼葬”さんよ。
だけどこっちは遊んでるわけでも嘲ってるわけでもない、あんたを真剣におちょくって、冷静さを失わせようと必死なんだ。
「あああああああっ! もういいっ、全て焼き払ってやるっ!」
拳を固めて胸を反らし、リューゼは空に向かって吠える。その体に魔力が充満し、広げた羽が見る見る再生していった。
「熱よ集いて火に変われ! 火よ固まりて光と化せ!!」
叩きつけるような詠唱の語句に従い、魔術風が断続的に吹き荒れる。
まるで台風のようだが、その発生理由は小娘が害虫の姿に錯乱して、あたりの物を手当たり次第に投げつけている程度のもんだ。
「光よ重なり災いを成せっ!」
「ところでよ、お忘れかも知れねぇが……俺は一人じゃあ、ないんだぜ?」
「災禍よ煌々爆ぜ燃えよッ! ……なに?」
いよいよ“蒼葬”の詠唱が完成し、俺を中心としたあたり一帯が焦土と化す、その直前。
「海魔よ
リューゼに合わせるように詠唱していたキャロラインの呪文が、一足早く完成した。湖から巨大な水柱が上がり、蛇のようにくねって妖魔族の女に、開きっ放しだったその口に殺到する。
「がぼっ!?」
「〈
その瞬間に、マルグリットが呪文を発動させる。〈
円筒状に展開された結界は“蒼葬”を閉じこめ、水で満たされた空間に隔離する。リューゼがたとえ無詠唱で魔術を発動できるとしても、肺まで水に満たされた状態ではなにもできまい。
直撃した〈
リューゼの持つ七つの魔石の能力は、事前の調査とここまでの戦いで把握済みだ。
魔力の増幅と抗魔力の超強化、身体能力の増強に再生能力。加えて背の羽による飛行と、手足の硬化、および尻尾による肉弾攻撃力の追加。そして
呼吸が不要だとか詠唱なしで転移できるといった、この状況でも脱出できる能力はない。必死の形相で結界の壁を叩く様子を見るに、それ以上の奥の手は用意していなかったようだ。
強制的に肺から空気を追い出され、苦悶に美しい顔を歪めていた“蒼葬”の目が、ふっと焦点を失った。痙攣していた体からも力が抜けて、それでも無意識に水牢を抜け出そうと結界内部にへばりつかせていた手が……やがて、だらしなく浮かぶ。
「いと高き生命樹よ、何人たりとも通すことなき真なる幹にて、かのものをお包みくださったこと、深く深く御礼、奉ります……もう、解放してあげていいですか?」
残酷な死なせ方をさせる一翼を担ったマルグリットが、震える声で問うた。〈隕星〉をぶち込む方がよっぽど酷いと思うが、目の前で藻掻き苦しみながら死なれると、後味は悪いよな。
「ああ。とどめを刺す」
窒息して呼吸が止まったといっても、心臓が停止したわけじゃない。人間ならもうおしまいだが、魔族がこれでくたばるとは限らなかった。
本当は魔石もえぐり出しておきたいところだが、時間が惜しい。〈封絶〉が解かれ、大量の水もキャロラインが制御して湖に流し、地に横たえられた体に俺は手早くとどめを刺した。
開きっぱなしの目と口を閉じてやり、弛緩しきった裸身に布をかける。
「行こう」
後は振り返ることなく、聖女と魔女を連れて駆け出す。といっても二人は消耗しきり、遷祖還りも解いて元の姿に戻っていた。
重い足取りで、ついてくるだけで必死という有様なので、後から追いかけてもらうしかないだろう。疲労困憊で戦場に割り入っても、その場の死体が増えるだけだ。
アレクシアは
今は“白撃”も攻めあぐねているようだが、均衡が崩れれば一瞬で決着がつくだろう。
『先に行くぜ。お前らは状況を見て、遠間から援護してくれ』
念話で声をかけつつ、氷河の
『ああ。どうにか魔力をかき集めれば、中級呪文の一発くらいは撃てると思う』
『イアンさん、アレクをお願いします。あと……』
ん? 念話に加わったマルグリットが、思考で言い淀むという器用なことをした。
『いえ、ぜんぶ終わったら、改めて』
『リット、そういうのを“死亡フラグ”って言うそうだよ。イアンが辿り着くまであと数十秒くらいあるから、言っておきなさい』
不吉なこと言うなあ。まあたしかに決戦を前に恋人がなにか言いかけてやめるとか、物語なんかだと絶対に後悔を誘うやつだけど。
『えと、その……さっき、キャロの化けたイアンさんが、私のことを“リット”って呼んだんですけど』
ああ、あったな。合流直後のあれか。
『本物のイアンさんも、そう呼んでくれたら、嬉しいなって……ごめんなさい、大変なときに』
ふはっ。本当にこのクソ大変なときに、なに言ってんだこいつ。
事態は深刻で、一秒でも早くアレクシアのもとに駆けつけなければならない。だが俺たちが加勢したところで、コバック相手になにができるというのか。
行くべきは紛れもなく死地、俺としちゃ命を投げ出す覚悟もしていたというのに。
『わかったよ、リット。これからはそう呼ぶ。キャロも、いいな?』
『ふ、異存ないよ。だけどなんだか、くすぐったいね』
『嬉しいです、イアンさ……い、イアン』
ほわほわとした、場違いに浮かれたマルグリットの思考が伝わってくる。呼び方ひとつでここまではしゃぐとか、子供かよ。
だけど、肩の力が抜けた。悲壮感に浸ってしかつめらしい顔をしてたって、戦いに勝てるわけじゃない。危ない力に頼っちまっている勇者様にも、正気に戻ってもらわないとな。
『ふたつ、思いついたんだがな』
頭が冴えたことで、無謀な突撃以外に採れる策が思い浮かんだ。いや、一方は策というほどのものじゃないな、勝算はアレクシア頼りだ。
そしてもう一方も、キャロラインになんとかしてもらうしかない。
『キミ、正気かい?』
『本当に大丈夫なんですか、それ……?』
俺が考えを伝えると、二者は二様の反応をした。まあ、無茶だわな。だがややあってキャロラインから、後者についてはなんとかする、との答えが返ってきた。
この大賢者にして魔女がやると言ったからには、必ずどうにかしてくれるはずだ。俺はそれを信じ、後はひたすら走る。
もう戦場は目の前、カタナを支えにどうにか立っている、という有様のアレクシアが見えた。
「アレクっ!!」
精一杯の声で、俺は叫ぶ。その視線の先で、“白撃”の巨大な爪が、彼女に向かって振り下ろされた。
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