3-9 笑顔
「よくモ、やっテ、くれタ、ものダ、ナ……!」
リューゼが被った兜のようにも見える鳥の頭蓋骨が、呪いの言葉を放つ。
その声は切れ切れで、遠ざかる雨音にさえかき消されそうなほど、か細かった。
広げた“蒼葬”の羽から噴き出す闇もまた断続的で、燃え尽きる前の蝋燭のようだ。
だが、けして油断はできない。遠間からとはいえ、アレクシアの攻撃を防いで見せたのだ。
「キサマ、ダ……!」
眼窩に宿る赤い光が、幽界からの誘いのように揺らめく。視線など読み取れないが、やつが殺意を込めて凝視しているのは俺だと、はっきりわかった。
「キサマヲ、最初ニ、殺すべきだっタ! であれバ、りゅーぜモ、こばっくモ、殺られはしなかっタ、ものヲ!!」
木っ端だ羽虫だと侮られていたのが、えらく高く評価してくれるじゃねえか。
憤りがそのまま形になったような鋭さで、ザックスが降下する。狙いは、まっすぐに俺――ではなかった。
迎撃するため振るわれた勇者の大剣を潜り抜け、地面すれすれをかすめた“緋惨”が、再び空中に姿を現す。
その手に抱かれたのは、屈辱に顔を歪めたコバックの生首。そのままゆっくりと高度を上げながら、切れ切れの怨嗟が響く。
「覚悟しロ! 魔王軍の全てガ、キサマを殺すたメ、動き出すゾ! これよりキサマに安堵が訪れることは決してなク、キサマの血で贖われるまデ、報復の火が絶えることはなイ!」
「ふざっ……けるなぁっっ!!」
アレクシアの大剣に光が集中する。裂帛の気合いとともに振り抜かれた刀身からは、先ほどにも倍する斬撃が飛んだ。
防御のために構えられた俺の短剣ごと、それを握った腕が斬り落とされる。
「がっ!? ハハ、ハハハ、眠れぬ夜ヲ、震えて過ごセ! いあんッ!! ハハハ、ハハハっ!」
更なる追撃を許さず、何度も羽から闇を爆発させて、ザックスは飛び去った。いつまでも残る、哄笑だけを風に残して。
「……まずいことになったね……」
マルグリットを守るため屈んでいたキャロラインが、構えていたステッキを下ろしながら、苦々しい声で言った。そんな彼女の眼前に、斬り落とされた“緋惨”の手がぼたりと転がる。
籠手のように緋色の骨を纏わりつかせる、青い鱗で覆われた手。
その甲に埋まる大粒の魔石が、雲間からこぼれる光を、静かに反射していた。
* * *
「私が気絶している間に、そんなことがあったんですか……」
あちこちが焼け焦げた斜面と、田畑の方から流れ込んだ泥水でやや汚れた湖面。
夕日に染まったそんな光景を見下ろしながら、俺の胸に頭を持たせかけた裸のマルグリットが、そう言って嘆息を漏らす。
「そうなのよ。なのにイアンったらケロッとした顔で、『まずは風呂だな』とか、のんきなことしか言わないし」
同じく裸のアレクシアは、俺の右隣。そして当然、左隣のキャロラインも全裸だ。
「これからのことを考えると、四天王級の魔石は重要だってのにね」
「いいんだよ。とにかく体を休めねえと、ゆっくり考えることもできないんだし」
なにをしているかと言えば、四人で仲良く露天風呂に浸かっているのである。
逃げ去る“緋惨”のやつが残していった“蒼葬”の手、そこに埋まっていた魔石を使って、人工精霊に取り急ぎ風呂だけ修復してもらった。
後の施設や土地の回復なんかに必要な魔石は、これまでの冒険で手に入れたり、洞窟の
魔力が枯渇しても大呪文の代償として使える魔石は、たしかに戦いの切り札になり得る。だが逆に言えば、魔石を使ってまで大呪文を行使しなければならない時点で、追い詰められすぎとも言えた。
そんな状況に仲間たちを追い込まないことこそ、支援職たる俺の本分だろう。今日はちょっと、そこから外れていた。
「そもそも“黒烈”を倒した時点で、俺たちが魔王軍の標的だったのは変わらないだろ。その第一目標が勇者から俺に変わっただけだ、大した違いじゃない」
「むう……そう言われれば、そうですけれど」
後頭部を押しつけるようにしてこちらを見上げて、納得いっていない風に頬を膨らませる聖女様。うん、可愛い。
大体、魔王軍の幹部のうち三人はすでに撃破したんだ。今さらそれ以上の敵なんて、魔王以外には出てこないだろう……こないよな?
「まあ、いいわ。今日のイアンは頑張ったもんね!」
「功労者に役得はあってしかるべき、だね」
そう言って左右から、柔らかな胸が押しつけられた。こらこら、嬉しいけど体を休めるのが目的だからな? 興奮しちゃったら休息にならないからな?
それに、直接“蒼葬”や“白撃”を倒したのは彼女たちだし、結局“緋惨”は取り逃がしちまった。俺ひとりが頑張ったわけじゃないし、功労者って意味ではキャロラインが一番じゃないかね。
「またそうやって、自分は役に立ってないって思ってる。“緋惨”のやつでさえ認めてたのに、なんで本人だけ納得いってないのかな」
「あれ? いま俺、口に出してか?」
苦笑を浮かべるアレクシアに対し、やれやれとばかりに肩をすくめるキャロライン。
そしてマルグリットは俺の眼前で体を反転させ、薄い胸をくっつけるように身を寄せてきた。
「出さなくても気づきますよ。最近のイアン、わかりやすいですから」
そうなのかね、それこそ、自分じゃわからないが。
しかし、となると“緋惨”のやつに言われたことに対し、内心で思ったことも感づかれているのかな。
じつのところ俺をさんざんに脅す台詞を浴びたとき、『しめた』と考えたのだ。
この戦いの直前、仮面の魔族の記憶で覗き見た会合では、敵はアレクシアたちを最大限に警戒していた。結果として四天王の襲撃を退けることはできたが、相手がなりふり構わなくなったら、どんな手を打たれるかわかったもんじゃない。
それこそあの仮面野郎みたいに、どこにでも忍び込んでくるヤツが刺客として、わんさか襲ってくるようになったら。とてもじゃないが、俺一人で三人を守り切る自信はない。
だが今回の件で、魔王軍の第一の標的は俺に移った。他の誰でもなく俺を狙ってくるのなら、後は逃げ回るなり策を講じるなりすればいい。
最悪やられたとしても、マルグリットが蘇らせてくれるだろうしな。
首を飛ばされて持ち帰られたりしたら〈
「“緋惨”のやつが仲間の死体や首を持ち帰ったのは、魔王軍にも蘇生の手段があるとかか?」
「生命樹の恩恵を、魔族が受けられるとは思えませんけれど……」
マルグリットは小首をかしげる。まあたしかに、魔石を体に埋め込んで利用しようだなんて、自然に反する行いかもしれない。
でもそれを言ったら、俺たちだって魔石を利用して怪我を治したり、
「過去に紫煌帝を始めとした大物魔族の中で、復活した者がいたって話は聞かないよ。〈
「大丈夫よ!」
キャロラインの推測は、ざばん、と上がった飛沫に遮られた。夕日に裸身を晒したアレクシアは、腰に手を当て、口の端に猛々しい笑みを浮かべる。
「もし連中がまた来たって、返り討ちにしてやるわ!」
俺の嫌いな、殺意に囚われ妖刀を闇雲に振るっていた、冷たく硬い表情ではない。熱く凜々しく、そしてどこまでも真っ直ぐな、俺の大好きな笑顔。
そうだな、アレクシア。今度はきちっと、正面から勝ってやろう。マルグリットを倒れさせたりしない。キャロラインだけに難題を押しつけたりもしない。
俺だって、自分を犠牲にしようだなんて、思わないさ。
「だからあんたも、『狙われてるのは自分だから、パーティから追放してくれ』なんて、言い出すんじゃないわよ!?」
「言わねえよ、いまさら」
いや、まあ、ちょっと考えなくはなかったけどな。
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