3-2 本性


 三体に分かれたキャロラインの使い魔、影獣シャドービーストの一体は、犬人コボルトたちの農園に向かって走っていた。アレクシアがいるとすれば、あのあたりの可能性が高い。

 周囲は酷い有様だ。襲撃に際し“蒼葬”が爆炎の魔術を放ったのだろう、森も平地もあちこち焼け焦げ、今も燃え盛っている。


 影獣が辿り着いた農園は──無惨なものだった。

 何十年にも渡って犬人たちが営々と手を入れ育んでいた土と作物、それがめちゃくちゃに吹き飛ばされ、薙ぎ倒され、踏み荒らされている。あちこちに転がる野菜や支柱だったもの、炎に舐め取られる麦畑、壊れた水路から無意味に広がっていく用水。


 其処此処に倒れ伏す、犬人の死体。畑仕事を手伝った際に見た顔もある、自分が育てた自慢の品を手渡してくれた者も、勇者の姿を神様のように拝んでいた者も。

 そして同じく小さな体を横たえる子供たち。ぶち模様の毛皮を焼け焦がしたブレと、白い毛皮を血に染めたウィーと、黒い毛皮を切り裂かれたズワ。


「……なんで」


 絶望に縁取られた声を、その中心に立つアレクシアが発した。


「なんで、こんな酷いことを、するんだ」


 彼女は既に、抜刀している。右手には白銀に輝く両刃の長剣、左手には光を吸い込むような漆黒の刃のカタナ。聖剣アイエスと妖刀・鵺切ぬえきり伊賦夜いふや、勇者が所有する武器の中で、最強の二振りだ。

 かつてこの二振りを前に、生き延びた敵はいない。あの“黒烈”でさえ、最後は膝を屈した。


「なんで、ねえ」


 その二振りを相手に既に何合、あるいは何十合か切り結んだであろうに、かすり傷ひとつ負っていない相手が首をひねる。

 厳族ヨトゥン並みの巨体を覆う白銀の毛皮と、長く伸ばされた鬣。顔は野生の獅子そのものだが、黒く染まった双眼には狡猾な光が宿る。籠手だけ着けて剥き出しの上半身には、誇らしげに埋め込まれた七つの魔石と、そこから伸びる魔術刻印。


「強いて言えば、躾だな。魔物のくせに人間に尻尾を振る、馬鹿犬どもの」


 にやりと、獣の顔にはあり得ない嫌らしい笑みを浮かべて。

 “白撃”コバックはその手に掴んでいた、茶色い毛皮の犬人──“紡ぎ手スピナー”の死体を、ごみのように投げ捨てた。


「おっまえぇぇぇぇえっっ!!」


 怒声を上げたアレクシアが、双剣を振りかざしてコバックに突進する。激昂していても動きは正確そのもので、聖剣が右袈裟に、妖刀が左切り上げに巨躯を襲った。

 だが、転移したのかと思うほどの速度で、獣魔族は間合いを外す。気がつけばその巨体はアレクシアの真横にあり、ひだの多いズボンに覆われた足が旋回すると、長く鋭い足の鉤爪が彼女を狙った。


「っッ!」


 咄嗟に上半身を捻ってかわす少女の胸元をかすめ、血の線が引かれる。

 薄手に見えるがあの服は鋼鉄並みの強度を持っているはずなのに、あっけなく切り裂かれていた。


「このぉっ!」


 聖剣と妖刀が、矢継ぎ早に繰り出される。

 ともに本来は両手持ちの武器を片手で、しかも二刀流で振るうには、尋常でない膂力と体幹を要する。そのためただ一刀を振るうのに比べ剣速は遅くなるのが道理だが、これまでの敵は、それを物ともしない攻撃力でねじ伏せてきた。

 しかし今、彼女が相対しているのは、魔王軍で最速の戦士。闇雲に切りつけて、捉えられる相手ではない。


「なかなか速いが、俺とやり合うには、ちーっと足りねぇな」


 余裕綽々の態で迫る切っ先を避け、その都度、大きく回り込んで手足の爪による反撃を加えてくる。一撃一撃には迫力がなく、まるで撫でるかのように雑なものだった。

 アレクシアの体さばきが優れているからそう見える、のではない。“白撃”はあからさまに手を抜いて、彼女を嬲っているのだ。


 その証拠に背中側に回られ、致命的と言える隙を晒してしまった時も、浅く切りつけられるに留まった。

 アレクシアは勇者の称号や装備の持つ治癒効果で、かすり傷ならすぐ治るから、肉体的には無傷も同然だ。だが衣服は何度も切り裂かれ、ただでさえ多い肌の露出がさらに増え、あられもない有様になっていた。


「いい格好になってきたな」

「このっ、下衆野郎っ!」


 獅子の顔に浮かぶ嫌らしい笑みが、ますます深くなる。間違いない、こいつの性格は最悪だ。


「素っ裸に剥いた後は、手足の腱を切る。その後でも今の調子でわめけるなら、もっとやるよ」

「ふざっ、けるなぁっ!」


 駄目だ、アレクシアは完全に逆上している。いつもなら俺なり他の二人なりがなだめるのだが、この場にいるのは彼女ひとり。影獣を通じて話しかけようにも、“白撃”の速度の前に接触する隙が見いだせない。

 影獣に発声器官がないのが痛いな、どうにか勇者の影に潜り込ませて、言葉を届けないと。


 気づけ、アレクシア。そいつは、わざとお前を怒らせているんだ。

 冷静に対処しなきゃ、勝てる相手じゃない。


 * * *


 空中に浮かぶ発光する球体の中で、爆炎と岩礫が荒れ狂っている。

 キャロラインの呼び寄せた流星、〈隕星メテオストライク〉が“蒼葬”に直撃するその瞬間、マルグリットの放った防御障壁が妖魔族を包んだのだ。


 無論、やつを守るためではない。〈隕星〉のもたらす衝撃と爆風を閉じこめ、周囲への被害を防ぐためだ。

 瞬きにも満たない刹那に障壁を展開しきる、神速という言葉でもまだ足りないほどの手際。


「──いと高き生命樹よ、何人たりとも通すことなき真なる幹にて、かのものをお包みくださったこと、深く深く御礼、奉ります」


 聖女は立ち続けることもかなわず膝を突き、震える声で言葉を紡ぐ。その体は白く発光し、光を帯びた体はかすかに周囲の景色を透過していた。

 遷祖還りサイクラゼイション人族ヒューマ以外の五種族は短時間ながら、源流トーテムと呼ばれる、その種族の本性に近い姿へ変わることができるのだ。


 たとえば精族アールヴのそれは〈精霊転化スピリチュアライズ〉と呼ばれ、人間よりも精霊に近い姿に還ることで、瞬時に魔術を発動させられるようになる。

 本来の威力を犠牲にして詠唱を省略するとか短縮するとか、そういった話ではない。腕を持ち上げるように、足で歩くように、生得の力として魔術の効果そのものを振るえるのだ。


 しかし本物の精霊ならぬ人の身、代償もなくこんな埒外の力を使えるわけはなく、後からであっても呪文の発動に相応しい代価を払わなければならなかった。必要な詠唱を後から行う、というのは誤魔化しめいた手法ではあるが、怠れば生命力を著しく消耗する。

 他にも危険はあって、〈精霊転化〉中は体が非常に脆くなり、ちょっとした打撃でも大きな痛手を受けるようになってしまう。またどの遷祖還りにもいえることだが、あまりに長く源流に変じていると、元に戻れなくなる可能性がある。


 だが、それだけの対価を払うに値する成果が得られた。周辺一帯を消し炭に変え、この盆地そのものの地形を変えてしまうほどの破壊の力が、リューゼただ一人だけに集中したのだ。

 いかに四天王の一角といえど、これでは影すら残るまい。


「やり、ましたね……」


 それがわかっているからこそ、蒼白な顔になお、気丈な笑みを浮かべるマルグリット。

 けれど、一歩間違えれば自分たちも危うい大博打を成功させた、キャロラインは。


「残念だけど、まだのようだね。……化け物め」


 変貌した目を細め、苦い顔で唇を噛む。彼女もまた〈隕星〉を唱えながら、源流へと姿を変じさせていた。

 妖族イブリスの遷祖還りは〈妖異発現デーモントランス〉、外見は角が肥大化し、虹彩が闇色に染まる。筋力と魔力が向上するが、肉体の性質が魔物に近くなり、聖なる攻撃や白魔術によるダメージが大きくなる……というものだ。


 この本性を持つがゆえ、妖族は獣族と並んで差別される。

 そんな魔女の視線の先で、光球をまだらに染めていた爆炎が収まっていき、そして一気に吹き飛ばされた。


「るぁぁあぁああっっ!!」


 霧散する炎熱と岩礫、障壁の残滓、その中から現れる青い肌の妖魔族の女。

 しかし先ほどまでと異なり、角はより肥大しその背には蝙蝠に似た羽、尻からは長く太い尾が生えている。そして尾と手足の先は、逆立つような鱗で覆われていた。


 聖女と魔女の遷祖還りなど、可愛いものだ。竜の獣族セリアン、なんてものが存在したなら、こんな姿かもしれない。

 秀麗だった顔を凶悪に歪めた“蒼葬”は、晒した裸身に力をみなぎらせ、吠える。


「やってくれたな、人間ごときが!」


 まごついていた魔動兵ゴーレムが膨れ上がった魔力に反応してか、攻撃を再開した。だが竜人は打ち込まれた鉄塊を、あろうことか砕ける前に素手で掴み取ってしまう。

 そしてそのまま投げ返し、追いかけるように背の羽で空気を打って急降下。魔動兵の間抜けに開いた大口に鉄塊がぶち込まれ、動きを硬直させた直後に、鱗で覆われた両足で蹴り潰す。


「嵐よ荒びて打ちのめせ、〈空裂エアバースト!〉」


 ひしゃげた魔動兵の上に屈み込むように着地したリューゼが、ぬらりと首をもたげるところに、キャロラインが詠唱を短縮した魔術を発動させた。


 本来は圧縮した空気で敵を打ちのめす魔術は、反動で距離を取るためだったようだ。魔女はマルグリットを抱え、自身の術に吹っ飛ばされる。

 そんな彼女たちがいた場所を、残光を残してリューゼの手の、長く伸びた爪が薙いでいった。


「……本性を隠していたのはお互い様、ってことかい?」


 どうにか転倒せずに着地したキャロラインが問うと、“蒼葬”は怒りに強ばらせていた顔を緩め、豊満な肢体を見せびらかすように姿勢を正す。

 青い肌と鱗に覆われた手足に、角と羽と尾……という魔物めいた姿ながら、異界の美とでもいうべき造形の麗しさがあった。


「貴様の脆弱な遷祖還りや、姑息な〈偽装ディスガイズ〉などと一緒にするなよ。魔王様より賜りし極上の魔石、これにて強化された我が身体は最早、毛ほども傷つけられぬと知れ」

「そいつはまた、大言壮語を吐くもんだね」


 軽い口調で応えるが、魔女の頬に伝う冷や汗は演技ではない。〈隕星〉は彼女の切り札というべき魔術だ。それを〈妖異発現〉した上、マルグリットの障壁も借りて完璧な形で叩き込んだというのに、耐えきられた。

 切り札を切ったのはお互い様だとしても、相手は無傷でこちらは消耗いちじるしい。


「どうしたものかな……」


 頬を拭いながら、キャロラインは絶望的な声でつぶやいた。

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