3 俺は強ぇと誇りたかった
3-1 流星
どんどん離されてしまう俺を目の端で追いつつ、マルグリットは防御障壁の呪文を必死で維持していた。
「イアンさんっ、キャロが!」
「落ち着いて、リット」
そっとその背に手を当てて、俺の姿をしたキャロラインが何事か伝えるのが、彼女の影を通じて俺にも見える。おそらく事情を明かしたんだろう、それはそれで聖女の顔が青ざめた。
まあ単身で逃げ回るという意味では、俺より魔女の方が適任なのもたしかだ。だがそれでは、彼女らの頭上に浮かぶ”蒼葬”に対抗し得ない。
「噂の大賢者とやり合いたかったがな。まあ、取り決めであれば仕方ない」
口の端を吊り上げ、リューゼは両手を頭上に差し上げた。
「水よ集いて氷に変われ、氷よ凍てつく牙と化せ」
その手の先で結集した魔力が、白く輝く渦を生み出した。吹雪を思わせる渦から漏れた魔力の残滓が、大気を瞬時に凍てつかせて霰のように氷の粒を落とす。
「凍える牙よ地を満たせ、〈
「いと高き生命樹よ!」
マルグリットが必死で叫ぶと、彼女たちを包む障壁が光を増した。そこへ、乱舞する氷片を孕んだ冷気の渦が襲いかかる。
周囲の地面はたちまち凍てつき砕け、まともに食らえば血の一滴まで同様に凍りつくであろう冷気が、かろうじて障壁に阻まれた。
吹雪の残滓を打ち払い、なお健在な聖女たちが姿を現す。限界まで魔力を注ぎ込んだのだろう、マルグリットの細い体はがくがく震え、もともと色素の薄い顔が紙のように白くなっていた。
「……ふむ。〈
先だっての爆音と、藍之家がめちゃくちゃに破壊された原因はこいつか。リューゼは聖女を指さすと、その長い爪の先で空中に魔術文字を描き始めた。
「刻み踊りて軌跡を描け、描く軌跡は印に変われ」
まずい、防御障壁を解除するつもりだ。今のマルグリットに、同じ強度の障壁を再展開する力は残っていまい。
せめてもの抵抗と瞑目し魔力を込める少女の傍らで、俺に偽装したキャロラインは――笑った? 俺の顔で、底意地の悪そうなにやけ面をするのはやめてほしい。
「印よ連なり魔力を解け、〈
妖魔族の指から伸びた魔術文字の帯が、聖女の障壁に触れようとして。それより早く、魔女が懐から取り出し放った、金属片に絡みついた。
「“黒烈”の魔石で解除の儀式を組もうと思っていたんだが、結果として四天王直々に解呪してくれたのは、僥倖だな」
「貴様、なにを――くぁぁっ!?」
不審げに眉を寄せたリューゼの半身を、突如として地上から撃ち放たれた一条の鉄塊が襲う。咄嗟に防御呪文を発動させて弾こうとするが、そのために突き出された手を防御の術ごと、砕けた鉄塊がずたずたに引き裂いた。
いつの間にか聖女たちの眼前に、鉄の甲冑を寸詰まりにしたような、いびつな人型の存在が現れている。そいつは人間ならば口に当たる部分を大きく開いていて、先ほどの鉄塊はここから放たれたものであった。
「
思い出した。ありゃステッルホイゼン石窟寺院を根城にしていた邪教団が、使役していたやつじゃないか。魔石まで使ってめちゃくちゃ厳重に封印したせいで、解除しようにも手間がかかり過ぎる、とキャロラインがぼやいていた記憶がある。
というかあれ、制御できないからこそ封印したんじゃなかったか? 大丈夫なのか、と思ったが魔動兵はリューゼ目がけて、次々と鉄塊を放っている。魔力が高いやつを優先して狙っているのか?
「ええい、この程度!」
傷ついた腕を庇うように箒を旋回させ、“蒼葬”は次々と光弾を生み出し投射した。詠唱を省略して発動させたとは思えないほど高威力の光弾は、迫り来る鉄塊をことごとく撃ち落とし、なおかつ魔動兵自体にも何発か命中している。
だが、それもキャロラインの策であったようだ。敵の目を魔動兵に引きつけておきながら、自身は貯め込んでいた魔力を針のように研ぎ澄ませ、長い詠唱を完成させようとしていた。
「果ての空にて礫よ動け、礫よ旅して岩へと育て、育ちし岩よ星海を渡れ、渡りし星で破滅を孕め……」
っておい、それを使う気かよ、下手すりゃこの盆地全体が吹き飛ぶぞ。
大魔術に特有の圧力を伴った魔力の放射、『魔術風』と呼ばれる現象が魔女を中心に発生する。〈
そして彼女の角、普段は髪に埋もれそうなほど短いそれが、太く長く伸びている。琥珀の色は瞳孔と虹彩が逆転したように、闇色を帯びていた。
「なっ!?」
リューゼが気づき、魔動兵も反応する。だが、もう遅い。
「破滅よ天を裂き
雲を突き破り大気を引き裂いて、火の線を引きながら。天空より飛来した燃え盛る流星が、妖魔族の女を直撃した。
* * *
その頃の俺は、“緋惨”に追われ外へと繋がる洞窟の中に逃げ込んでいた。
これで逆に盆地へは出られなくなってくれれば最高なんだが、そちらも期待薄だ。さすがに四天王級の魔物を通さない結界が張れるなら、最初からこの襲撃自体も防げたってことになるからな。
「鬼追い遊びは終いゾ、大賢者」
逃げながらばらまいた燐光を放つ石に照らされ、幽鬼のようなザックスの姿が浮かび上がる。
三つある洞窟内の部屋の、いちばん出口側にある場所だ。
さて、どうするか。相手は手負い、ひょっとしたらこっちの攻撃が通じるかもしれなかった。
だがそれで俺がキャロラインではないとばれたら、こいつは俺を放置し“蒼葬”に加勢しにいくだろう。それは避けたい。
「どうしタ。ブーゲンの部下をことごとく葬ったといウ、大魔術を見せてみロ。ひょっとしたラ、ワレには通じるかも知れぬゾ」
それは無理だなあ、こいつの言う大魔術とは〈隕石〉のことで、威力も範囲もとんでもないが、洞窟の中に流星を呼べるわけもない。そもそも俺には使えないけどな。
相手が余裕を見せているうちに、打てる手は打っておくか。俺は腰の小鞄から封栓された試験管を数本抜き出し、詠唱のふりをした意味を成さない呟きを口にしながら、敵に向かって投げ放つ。
キャロラインの細腕じゃ届くかどうかすら怪しい間合いだが、投げているのは俺だ。咄嗟にかわせないよう分散させた試験管が、“緋惨”の左右の地面にぶつかって割れ、毒々しい煙を発生させた。
それらは混じり合って強酸性の雲を作る、人間なら皮膚がただれ呼吸ができなくなる致死の攻撃。だがやつの骨の体を浸食することはなく、意にも介せず突っ込んできた。
「
特に意味はない言葉を発しながら、腰の後ろに差していた魔法銀製の短剣を左右の手で抜いて、間を空けつつ投げつける。同時に氷河の
しかし頭部を狙った短剣はあっさり弾かれ、胸部に向かった短剣は骨の合間をすり抜ける。わずかに浮いたまま接近する相手に、凍った地面など意味はなかった。
お返しとばかりに相手は両腕を開き、どちらにも闇の刃を纏わせている。この抱擁を受ければ、待っているのは確実な死。
俺は咄嗟に後ろへ跳躍し、後方回転しつつ身をたわめた。ぞっとするような擦過音が、背中のすぐ下をかすめていく。それをやり過ごしてから腕を伸ばし、倒立めいた姿勢で地面に手を突くと、そのまま後転跳びを繰り返し距離を取った。
超ミニスカートのキャロラインの姿を借りている状態でやるには、いささかはしたない動作かもしれない。命がかかっているんだ、勘弁してもらおう。
なんて余計なことを考えていたのがまずかったか、左右の腕を振った勢いで回転した“緋惨”がその勢いのまま骨の体を捻り、縦回転に変じて腕を振り下ろしてきた。当然その腕は闇の刃をまとっているわけで。
「うおおっ!」
思わず声を上げながら片足を引いて半回転、ついでに背筋を伸ばして少しでも体の厚みを減らす。闇の剣は鼻先をかすめ、地面を深々と断ち割った。
体は傷つかなかったが、魔女帽子の鍔があるべき部分が切られたためか、〈偽装〉が消える。
「ふン、幻術カ。すっかり騙されたワ」
ばれちまったか。時間の問題だったとは思うが、もう少し粘りたかったな。
「木っ端ガ、主のふりをして体を張るとハ、健気なものヨ。せめて苦しめズ、殺してやろウ」
あ、そういう認識なのか。それならそれで必死に抵抗して、せいぜいムキになってもらうとしようか。
あと、ひとつ訂正させてもらうぜ。
「あいつらは主じゃねえよ。三人とも、俺の女だ」
俺があいつらの男、というのが正確なところかも知れないけどな。
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