2 スローライフを送りたかった

2-1 仮面


 クラハトゥ王国の王都ホーフドスタッド。人口五十万人にも及ぶという大都市において、所在するほぼすべての冒険者を監督するのが、ホーフドスタッド冒険者ギルドである。

 二千人を超える冒険者が在籍し、数多の英雄を輩出してきた伝統あるギルドではあるが、己の腕一本で成り上がらんとする無頼どもの巣窟だ。王都の中心部近くに立派な建物を構えながらも、どこかすさんだ、真っ当な人間には近寄りがたい空気を漂わせている。


 ことにそれが顕著なのは受付に隣接した待合所で、いくつものテーブルと椅子が並んだそこには、昼間から酒と肴を楽しむ酔漢どもがたむろしていた。

 本来、依頼者と話し合ったり仲間と今後の方針を練ったりするための場所である。しかし依頼の合間で手持ち無沙汰な者や、報酬を受け取ったその足で祝杯を上げたい者などの要望に応えているうち、いつしか場末の酒場と変わらない空気を漂わす場所と化していた。


 しいて違いを上げるとすれば、もし誰ぞ酔って暴れる者がいたとしても、周囲も軒並み腕利き揃いであるため対処が容易なことか。

 酒癖が悪く市井の飲み屋で出入り禁止を食らったような者でも、待合所であれば堂々と飲食を楽しむことができる。またそういう者に限ってそれなりに腕が立つものだから、ギルドとしても無下に扱いきれずにいるのだ。


 そんな通称『ギルド酒場』こと待合所の一角で、マントとフードで体を包み込むように覆った人物が、似たような格好で更に目元を仮面で隠した人物と向かい合っていた。

 露骨に怪しい風体だが、冒険者ギルドの依頼者の中には身元を隠したい者も多いし、汚れ仕事を請け負ったと知られたくない者もいる。当事者同士に合意が取れているのなら、第三者がそれを勘ぐるのはご法度だった。


「……それで、勇者一行の足取りは掴めたのか?」

「いいや、駄目だな。王都を離れたのは確実なんだが、その先の行方がさっぱりわからねえ。執拗なほど丁寧に痕跡を消してやがる」

「高い金をせびっておいて、その程度か。無能め」


 仮面の人物が吐き捨てるように言った。


「そうは言うがな、勇者の往来について関所じゃ箝口令が敷かれているし、御用商人のボニージャは三国にまたがる大商家だ。下手に探りゃあっという間にこっちが追い詰められちまう」

「やつの所有する土地や家屋を探したのか?」

「そんなのは、いの一番よ。だがあいつの商会や、息のかかった連中までしらみ潰しにするとなりゃ、一年や二年じゃきかねえぜ」


 フードの人物は小柄な体を折りたたむようにすくめて、仮面の人物をねめ上げた──ように見える。なにせ、互いに顔が窺えない。


「あんたがどこの誰の意向で動いているのか、そいつを欠片でも匂わせてくれりゃ、やりようもあるんだがな。どうせグロートリ侯爵の一派か、ヘールツ司教てところだろ? いや、ピットゥ国って線も……」

「余計な詮索は寿命を縮めることになるぞ」


 低い声に苛立ちをこめて、仮面の人物が言う。フードの人物は降参、というように両手を上げた。


 * * *


 ギルドを出たフードの人物はそのまま王都中心部を離れ、主に低所得層が住居を構える区画に移動すると、粗末な小屋の裏口で戸を叩いた。わずかに隙間が開いて、中にいた男が顔を覗かせる。


「例の依頼人と会ってきたぜ。奴さん、そうとう焦っているみてぇだ」

「勇者様がたを利用したい輩などいくらでも思いつきますが、魔王軍との争いが激化している今、足を引っ張るような真似は慎んでもらいたいものですね」


「勇者の名声がこれ以上に高まるとまずい、と考えるやつがいるのは確かだな。もうちょい泳がせて、尻尾を掴みてぇところだが──」

「それにはおよばぬ」


 フードの人物と小屋の男の会話に、第三者の声が混ざり込む。思わず振り返ったフードの人物が、飛来したなにかに頭部を打たれ、悲鳴も上げずその場に倒れた。


「依頼に応じるふりをして、逆にこちらを探っていたか。やはり人間は姑息よな」


 先立ってギルドで会っていた、仮面の人物であった。引きつった声を漏らして小屋の男が戸を閉めようとするが、姿がぶれるほどの速度で間合いを詰めた仮面の人物は、隙間に手を突っ込んで戸を押さえる。


「この役立たずに変わって、貴様に吐いてもらおうか、勇者の行方をな」

「しっ、知らないっ!」

「嘘をつけ、そのような口ぶりではなかったぞ。こいつの言う御用商人の手の者か、聖女の後ろ盾になっている教皇の使徒か? いずれにせよ素直に喋らぬとあれば、耐えがたい苦痛の後にこいつの後を追うことになるぞ」


 仮面の人物は顎でぞんざいに、フードの人物が倒れた方を示す。だがその先にあるのは地面に落ちた、くたびれたマントだけであった。


「なに? ──がっ!?」


 戸を押さえていた仮面の人物の手首に、長く太い針が突き刺さる。それは、フードの人物を貫いたはずのものであった。


 慌てて背後を振り返ったところで、仮面が下から跳ね上げられる。あらわになったその目は闇を映すように黒く染まり、瞳だけが炯々とした光を放っていた。

 端正とさえいえる整った顔を歪め、針で貫かれた腕に構うことなく、闇の目を持つ男がいま一方の腕を突き出す。その手はいびつに膨れ、伸ばされた指の一本一本が筒状に変化している。


「ま、魔族マステマ!?」


 戸の隙間からその姿を目撃した小屋の住人が悲鳴を上げるが、闇の目の男はかまわない。たしかに必殺の一撃を食らわせたはずの、フードの人物の姿を探す。


「おのれ、どこに……」


 ぎっ、と木のきしむ音がした。屋根を踏んだか壁を蹴ったか、いずれにせよ頭上に潜むなにかが移動したようだ。

 そちらに向かって奇妙な手を向けると、指の筒から針が飛ぶ。弩にも匹敵する威力と速度で放たれたそれは、粗末な木板などあっさり貫いて空へ飛んでいった。


 だが、獲物を捉えた兆候は感じ取れない。魔族の男はなお姿を見せぬ正体不明の相手、フードで顔を隠していた小柄な人物を探す。

 前方の物陰、左右の建物、背後の路地。必死に視線を巡らせるが姿を見いだせず、あるいは逃げたかと、体の力をわずかに弛緩させた……その刹那。視界の外から飛んできた回転する刃が、音もなく首の横を通過した。


 すぱりと断ち切られた頸動脈から、勢いよく青黒い血が吹き出す。それでもなお敵の姿を探し反撃を試みる、そんな魔族の魔族の男の眉間に、先ほど中空へ放ったはずの針が突き立った。


「ばか、な……」


 闇をたたえた目を見開いたまま、仰向けに倒れる魔族の男。外套がばさりと広がってその下の、貴族のように高級な装束がみるみる血に染まっていく。


 その傍らにとん、と着地したは、相手が確実に絶命しているか慎重に観察した。魔族のしぶとさは骨身に染みている、念のため懐から取り出した、風車を扁平に押しつぶしたような形状の投擲武器――シュリケンを投げつけた。


 回転音がしないよう加工された特性のシュリケンは、狙いあやまたず魔族の男の、先ほどとは逆側の首を切り裂いた。びゅっ、と新たな血が迸るが、固まった表情に変化はない。

 それでも油断しないよう気構えしつつ、血に濡れた外套で男の顔を拭うと、白粉が剥げて青い肌があらわになった。


「やはり魔族か」

「魔王軍の手先が、王都にまで入りこんでいるなんてね」


 小屋の戸が開き、中にいた男が呆れ声を発する。その姿がぼやけて消え、黒い超ミニワンピースから褐色の肌を覗かせる色っぽい美少女、キャロラインが現れた。


「大した幻術だ」

「キミほどじゃないさ。どうやっていたんだい? さっきの」

「俺のは、ペテンの寄せ集めさ。結果論だが、相手が魔族で良かったよ」


 身を屈めて全身を布で覆い、動作や声を出す位置で目測を狂わせる。やつが俺を『小柄な人物』と認識していたからこそ、その後の戦闘でも裏をかき続けられた。能力に長けたやつほどそれに頼るからな、騙すのは簡単だ。


「事前の推測どおり貴族や教会の手の者だったら、殺すわけにもいかなかったしね」


 人の悪い笑みを浮かべる魔女に、肩をすくめて見せた。まあそれならそれで、やりようはあるけどな。


「取り敢えず『情報収集』といこうか」

「マルグリットがいちゃ、使えない術だな」


 そういうこと、と頷くキャロライン。隣の小屋の屋根の上から、使い魔の影獣シャドービーストが降りてくる。


「さくっと済ませて、デートの続きといこう」

「血なまぐせぇ逢引になったもんだな……」


 魔族の死体を小屋に引きずり込みながら、俺はぼやくのであった。

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