2-2 逢引
少し時間は遡る。初代勇者の建てた別荘にして、『
座卓と座布団、という低い机を囲んで薄いクッションに座り、俺たちは朝食を取っていた。家屋の清掃と整備は人工精霊が行っていたようだが、さすがに食料までは用意されていなかったため、持ち込んだ食材を俺が調理している。
昨夜は保存食で済ませたので、今朝は温め直したパンと薄切りのハムにチーズ、根菜のスープを用意した。塊肉や干し魚なんかも用意はあるが、綺麗な家の中で保存食料に頼るというのもな……羊は見かけたし湖に魚がいるかもしれない、森も豊かそうだから、後で探してみよう。
食器の類は調理場にひととおり揃っていたし、調理道具もなかなか充実していた。竈の上穴にぴったりはまる妙な形の鍋があったが、あれはどう使うのかね。そういった異世界の様式と思しき物も多く、工夫のしがいがありそうだ。
「やっぱり、イアンの作ってくれるごはんが一番おいしいわね」
アレクシアはそう言うが、パンは焼いてからずいぶん時間が経っているし、チーズは出来合いの品だ。そう褒められたものじゃない、単に舌が慣れているだけだろう。
彼女は床に膝をついて尻を足の裏に乗せる、不思議な座り方をしている。真似をしたら足の甲が痛くてすぐやめてしまったが、アレクシアは背筋がぴんと伸びて、美しい姿勢になっているんだよな。
普段はむしろ椅子でもベッドでも、だらっとした座り方なのに、変な話だ。
それに、脱衣所にあった『ユカタ』という薄手のガウンも、綺麗に着こなしていた。前を合わせて細長い布をベルトのように巻くのだが、俺やキャロラインだとすぐ緩んで前が開いてしまう。
それはそれで眼福なんだけれど、襟を合わせ清楚に着つけられた姿も魅力的だ。
「“
こちらは普通に横座りしているマルグリットが、ハムとチーズを乗せたパンをかじる手を止め、やわらかに微笑んだ。
凹凸が少ない体つきのせいか、それなりに上手くユカタを着られているが、胸元は開き気味だ。それを気にして何度も襟を直す姿が、なんとも愛らしい。
「こういうのを、なんと言ったかな……そう、母の味だ。ボクに母の記憶はないけど」
俺だってお前らの母ちゃんじゃねえよ。聖女と同様に横座りしているキャロラインだが、前述のとおり胸元は全開だ。いつも着ているワンピースと違って服の造りが緩いので、ちらちら胸の先も見えているが、気にした様子もない。
それを言ったらあぐらをかいている俺も、ときおり直さないと腹まで全開になる。このユカタってやつは、なかなか大変な服だな、楽だけど。
楽といえば、床に座って食事をするのも、慣れれば案外快適だ。考えたら野営の時は地面に布を敷くだけだし、それに比べれば『タタミ』という肌触りのいい植物マットが敷かれた床に、素足を投げ出して座るのは気安くていい。
「ボスのあじ!」
「おいしーれす」
「……」
こちらは腰に大きめの手拭いを巻いただけの
昨日は虜囚生活で疲れ果てていたのか、夕食を食った後は泥のように眠っていたが、今朝は元気いっぱいの様子だ。
「とりあえず今日は、こいつらの仲間を探してやらないとなあ」
「えー? ここで飼いましょうよ」
「だから、野良犬じゃないんですから……」
のんきに言うアレクシアを、マルグリットがたしなめる。たしかに魔物といえど人型で、幼児並みでも知性があるんだ。『飼う』ってのは、ちょっとな。
かといって一緒に暮らすというのも、いろいろ支障がある……ほら、夜とか。
「食料になるものも見つけたいし、ひとまず周囲を探索しようぜ」
「悪いけど、ボクはもうちょっとこの屋敷を調べたいかな。昨夜はそれどころじゃなかったからさ」
キャロラインが苦笑を浮かべつつ、肩をすくめる。
ああ、うん。風呂でしっぽりと濡れて色っぽいユカタ姿で食卓を囲んでいたら、なんというかもう、たまらん感じになってしまったからな。
フスマで仕切られた場所に畳んで格納されていた布団を、床に直接敷いた後は、もうカーニバルだった。謝肉祭、肉に感謝する祭りである。俺は生命樹教会の教徒ではないが、命って素晴らしい、心からそう思えた熱い夜だった。
「私も、少しお休みさせてもらっていいですか? その……魔力を回復したくて」
おずおずと手を上げて、申し訳なさそうに言うマルグリット。見た目はいつもどおり可憐なままだが、言われて見れば透き通るように白い肌は、いくぶんか血色が悪い気がする。
まあ、なあ。昨夜あんなに回復魔術を連発した上、ろくに寝ていないわけで。保養にきたのにぐったりしてどうする、って話だ。
「アレクシアは平気なのか?」
「あたしは元気よ!」
にかっ、と笑う勇者殿。ま、もとから体力おばけだからな、こいつ。
朝食前に日課の訓練をしたのだが、相変わらずの力と速さで、とてもじゃないがついていけなかった。俺は俺でそれほど疲労していないのは、聖女殿が昨夜、不安を覚える勢いで回復魔術をぶち込んできやがったせいだ。
「それじゃ、今日はあたしとデートね」
アレクシアは嬉しそうに、ぱちんと片目をつむって見せる。周囲の探索といっても危険はなさそうだし、気楽なもんだ。
「あ、ちょっと妬けるね、それ」
「いいなぁ……」
居残り組がうらやましそうにしているが、
だがそれぞれとも後日、一対一で出かける約束をさせられた。告白のときから三人一緒だったから、なんでも全員で分け合うつもりかと思っていたが、一応そういう欲求もあるんだな。
ならば気合いを入れてエスコートしようじゃないか。まずは犬人の行く当てを定めて、アレクシアと本当の意味で二人きりにならないと。
* * *
ユカタから着替えた俺たちはマルグリットとキャロラインに見送られ、藍之家を出立した。
この盆地は外周部をぐるっと森で覆われているが、木立が切れている箇所もある。おおむね真南に洞窟の出口があって、その周辺はけっこう開けていた。
他に東と北にも切れ間がある一方で、西側はかなりの部分が森で占められており、特に西北部分はほとんど湖にまで木々が伸びてきている。つまり外周部の森は東北・東南・西側の三カ所が存在する、とも言えるわけだ。
藍之家は湖と東南部の森の中間地点にあるのだが、まずは洞窟出口へ向かって、そこから東回りに探索することにした。
目算だが、障害物を考慮せず脇目も振らずに歩き続けたとしても、盆地を一周するのに丸一日はかかりそうな距離。森を探索しながらだと今日はその四分の一、東南の森を端から端まで行ければ御の字、というところだろう。
「先に行きすぎんなよー」
「あいっ!」
競うように駆け出す犬人どもの背をアレクシアと二人、のんびり追いかける。勇者がちらちら意味ありげに見上げてきながら手をふらつかせていたので、こちらから繋いでやった。
「えへへ。こういうの、いいね」
「おう」
照れくさいが、悪くない。こういう普通の恋人同士のようなことをするのは、考えてみれば生まれて初めてだ。
上手くできているだろうか、手汗が気持ち悪くないだろうか。
森は人の手が入っているかのように下生えの背が低く、歩きやすかった。犬人たちがときおり駆け戻ってきては、草やら花やら木の実やらを渡してくる。
薬効のあるものもあれば、使い道のないものあるが、とりあえず個別に分けて鞄に収めておいた。
日差しはまだ春先の柔らかさだが、気温は高めだ。大きな蝶や毒々しい色の蜘蛛、色鮮やかな蜥蜴なんかを見かける。
草花や木になる果実もこの国じゃ見かけないものばかりだし、行ったことはないが王都の植物園はこんな感じなのかな、なんて思った。
「あ、見てイアン。あれ、
アレクシアが指さした丈の低い木に、鱗状の皮を持った黄緑色の果実が鈴なりになっていた。たしかに、南方のピットゥ国で世話になった貴族が、庭で育てていたやつに似ている。
「まだ熟してないみたいだけど、あれ美味しくて好きなんだよねー。夏になったら、もぎにこようよ」
「そうだな、楽しみが増えた」
何ヶ月先の話かわからないが、またこうやって二人で歩ければいい。採れるだけ採って帰って、マルグリットやキャロラインとも一緒に食べよう。
不確かな未来を夢想して和んでいたら、手を握られる力が少し強くなった。それで気づくが、先に行った犬人たちが、異なる気配を交えて戻ってきている。
さほど間を置かず、四人の犬人が現れた。
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