1-10 幸福
結論として、残党はあっさり殲滅できた。
問題と言えば、ちょろちょろ逃げ回る連中に苛立って、アレクシアが大技をぶっ放したくらいか。天井近くに派手なひびが入って、崩落を起こすかと思った。
さすがに軽く説教したが、どうせまたやらかすんだろうなあ。すでに洞窟の外に逃げ出したやつがいないかも気がかりであったが、そこは後で念入りに調べておくしかない。
狭い洞窟の出口を抜けるとそこには、明るい日差しに包まれた平原が広がっていた。
小さな街ならすっぽりと収ってしまいそうな大きさで、すり鉢状になった中心には湖があり、外周部の大半はこんもりとした森で覆われている。
「ひっろいわね! あんたたち、行くわよ!」
「わふっ!」
「
「でも、山の外より温度が高いですね。噴火の危険はないんでしょうか?」
たしかにマルグリットの言うとおり、まだ春先だというのに、少し動くと汗ばむほどの陽気だ。足下を覆う丈の低い草も、遠目に見える森の木々も、山に茂っていたものより南方の植生に思える。
「気温に変化をもたらすほどの地熱兆候があったなら、そもそも植物なんか生えないよ。なんらかの制御がなされているからこそ、あんな物を建てたんだろうしね」
魔女のステッキが指す、勇者と犬人たちが向かう先には、生け垣で囲われた大きな建物がある。あれこそがボニージャに勧められた、少女たちの条件を満たす物件だ。
もともとはアレクシアの先祖、初代勇者が保養目的で建てた別荘だったという。その後は観光宿として活用する計画もあり、そのための整備も行おうとしたそうだが、場所が場所だ。客が見込めず、計画は頓挫したと伝わっている。
「まあこんなところ、よっぽどの物好きでもない限り来ないわな」
たしかに景色はいい。犬人たちの言うように広くて明るくて暖かいし、森は豊かだ。湖の周囲に淡黄色の塊があるなあと思ったら、どうやら羊の群れのようで、おそらく外部から連れ込んだんだろう。
しかしこの山自体が周辺の人里から離れすぎているし、唯一の通路である洞窟は未整備で放ったらかしだった。小鬼どもが住み着いたのが最近のことだとしても、他の魔物が居着く可能性だって捨てきれない。
「アレクと同じで、初代勇者様も静かに過ごしたくて、ここに別荘を建てたんでしょうね」
平原を渡る穏やかな風に長い金の髪を揺らしながら、マルグリットが言う。まさに陸の孤島といった立地だもんなあ、隠遁生活を送るにはもってこいだろう。
のんびりと別荘へ向かう歩く道すがら、今後の見通しを話し合う。まずは建物の修繕と、生活基盤の確立だな。街との往復はキャロラインの魔術でも可能だが、それなりに魔力を費やす呪文なので日に何度も使えるものじゃない。
そもそも静養に来たのに、彼女を消耗させてどうするという話だ。ここでずっと暮らすわけでなし、三人が過ごす部屋だけ快適に仕上げれば充分か。
そんな風に考えて辿り着いた建物を見渡すと、思ったより荒れていなかった。生け垣の灌木は形が揃っており、中庭にも雑草は伸びておらず、平屋造りの風変わりな建物もひなびた風合いながら傷んだ様子がない。
「〈
「この家、すっごいわよ! みんな、早く来てっ!」
ぶつぶつ考察を始めた魔女の言葉が、勇者の大声で遮られた。
玄関の上に掲げられた一枚板には、異国の複雑な文字が三つ。それを見上げつつ透明度の高いガラスの嵌められた奇妙な格子戸を引き開けると、石の敷き詰められた土間だった。
一段高くなって木製の床で覆われた廊下が伸び、土壁の合間合間には、シンプルな絵の貼られた扉が配されている。
「ああ、ダメ! こういう建物では、靴を脱ぐの!」
「そうなんですか? 変わってますねぇ」
どうやらアレクシアには馴染みのある仕様で、初代勇者がいた異世界の様式らしい。絵が貼られた扉は『フスマ』といって、木で出来た骨組みに紙を張ったものなんだそうだ。
それを開けるとがらんとした部屋で、床には青草を編んだ不思議な敷物が詰められており、外側に面した壁は白い紙が張られた格子戸で作られていた。なんというか、ひどく無防備な構造だな。
「タタミにショウジ! 本家を思い出すわねえ!」
言うなりごろんと寝転がり、手足を投げ出すアレクシア。仰向けになったことで胸の隆起がふるんと揺れ、大股開きなのもあって、非常に目のやり場に困る。
どうやら『ショウジ』というらしい格子戸の一部が開いていて、ベランダのように屋外へ張り出した板敷きの通路が見えた。日当たりの良いそこに、犬人たちが丸まっている。
「アレク、はしたないですよ」
「あんたたちしか見てないもの、気にならないわよ」
そう言いながら左足の布鎧を、もう一方の足で摘まんで引き下ろす。いや、さすがに最低限の恥じらいは持とうぜ……外見は女らしくなったとはいえ、たまにこういう野生児まる出しの行動を取るよな、こいつ。いいとこのお嬢様だろうに。
フスマで仕切られた隣の部屋を覗くと、そちらにはやたら低い大きな机が置かれ、薄いクッションが並んでいた。どうやら床に座って過ごすための部屋らしい。壁際に大きな黒い板が置かれているが、なにかの魔道具だろうか。
「みんな、いい物を見つけたよ。来てくれ」
いつの間にか姿を消していたキャロラインが戻ってきて、手招きをした。タタミの部屋に目もくれず、屋内を探索していたらしい。
魔女が発見したのは家の裏手に作られた、人工の池だった。緩やかな斜面からは盆地と中央の湖が見下ろせて、なかなかの眺望だ。ごつごつした岩で縁取られた池は地中から水が湧出しているのか、端から常に溢れて排水溝へと流れ落ちている。
そしてここは周囲よりさらに暖かく、その原因は水面から立ち上るほのかな蒸気を見れば明らかだ。この池を満たすのは、湯。つまりこれは、風呂なのだろう。
「人工の池を浴槽代わりにするのか……異世界人てのは、おかしな発想をするんだな」
「まわりから丸見えなのが気になりますけど、水浴びと思えば平気、でしょうか」
「あたし、いっちばーん!」
さっそく装備を脱ぎ散らかした勇者が、全裸になって池に飛び込む。子ども返りしてないか、さっきから。
「ひゃーっ! 気持ちいいーっ!」
「ちょっと、アレク!」
「リットもおいでよ、あったかくて快適よ!」
仰向けに浮かんで、すいーっとこっちに戻ってくるアレクシア。隅から隅まで丸見えで、目のやり場に困るどころの話じゃないんだが、もう今さらだな。
ようやくわかったぞ。この女勇者、恥じらいがないとかじゃない。俺に対しては恥じらう必要がない、という認識なんだな。
誘惑作戦が終わって気が抜けたのか、かえって無防備になってしまっている。
「あっちに脱衣所があるんだけどね。止める間もなかったよ」
帽子を取ったキャロラインが、苦笑いをして池の端、家から繋がる形で建てられた小屋を示した。気持ち良さそうに浮かんでいるアレクシアをいったん放置して、三人でそちらに向かうと、蔓を編んで作った籠や木製の棚が並んでいる。
棚の中には、上質の毛布のような柔らかな感触の拭き布や手拭いが何組も置かれ、薄い布でできたガウンもある。下着の類いがないので、それは各人で用意しろということか。
「すぐにも客を迎えられる態勢が維持されている。ここの家守を構成した術師は、相当の腕利きだね」
「家守って、人工の精霊だよな。ここが廃業になった後も維持されてたのか」
「そうだね。あるいは次代の勇者を……つまりはアレクを、待っていたのかもしれない。いずれにせよ立ち話もなんだし、ボクらも風呂をいただくとしよう」
そう言ってキャロラインはケープを外し、ワンピースを大胆に開いた。ぽろんとまろび出た乳房に目を奪われる間もなく、下着も脱いで衣類を空いた籠に放り込むと、手拭いを引っつかんで浴槽に向かう。
「……どうしましょうか……」
「……どうしようかね……」
マルグリットと顔を見合わせるが、どうもなにも、こうなったら一緒に入るしかないんだが。
他二人に比べると慎み深い聖女と、背を向け合って服を脱ぐ。体の前面を手拭いで隠した彼女と、腰に巻いて下半身だけ隠した俺とで、アレクシアたちの方へ向かった。
洗い場に当たる場所には、岩から滝のように湯が流れ落ちる仕掛けが作られており、備えつけの桶でかけ湯を浴びる。
本当は垢もきっちり落として湯に浸かるべきなんだろうが、『のぼせるから早く!』とアレクシアに急かされたので、そのまま湯船に身をひたした。
「……くはぁ……っ」
自然と、声が出る。全身に染みついた疲労や鈍痛が、じんわりと湯に溶け出していくようだ。血の巡りが活性化し、見えない詰まりのようなものが押し流されるのを感じる。
これまでも風呂に入ったこと自体はあるが、狭い浴槽に芋洗い状態で押し込められるか、大きな桶に手足を折り曲げてひたるのが精々だった。四肢を伸ばして肩まで湯に浸かることが、これほどまでに心地よいとは。
「ふふ。気持ちいいですね」
「ああ」
未成熟な裸身を晒し、俺の二の腕に肩をくっつけながら、マルグリットが隣に座る。長い髪は湯に浸からないよう編んでまとめ上げており、普段は見えない白いうなじが覗いていた。
なんとはなしにそれを見つめると、恥ずかしそうに顔を伏せられる。
「アレクはもちろんだけど、キミにもいい骨休めになったんじゃないかな」
「お前たちもな。いつも、お疲れ様」
逆隣では池の縁に腰かけたキャロラインが、膝から下だけ湯に浸けていた。見上げれば汗の粒をしたたらせた褐色の裸身がそこにあり、普段のからかうような眼差しが、今は優しい色をたたえている。
「イアン、ちょっと体を貸して」
正面からにじり寄ってきたアレクシアが眼前でこちらに尻を向け、そのまま背を預けてきた。マルグリット同様アップスタイルにした黒髪が、鼻先をくすぐってこそばゆい。
「おいおい、子どもみたいなことするなよ」
「そのわりに、子どもにはしない反応してるわよ」
まあ、それはな。この状況、この状態で平静を保てるほど枯れていたなら、俺はパーティを追放してくれなんて言い出さなかったさ。
とはいえここでおっぱじめるわけにもいかず、そのまま黙って湖の方を眺める。
「……こういうの、悪くないわね……」
「そうだな……」
少し前まで小鬼相手に大立ち回りをしていたのが、嘘のようだ。
そもそも二日前まで、こうしてこいつらと一緒に風呂に入るなんて、夢にも思っていなかった。
ひょっとして俺は本当は追放されて、みじめな生活の末に死にかけて、今際の際の幻を見ているのではないか。そう、疑うほどだ。
こんなに幸福でいいのかと思う反面、この幸福を死んでも守らねばとも思う。
今は、英気を養おう。残りの四天王に、魔王本人。待ち受ける死闘を思えば、美少女三人に囲まれた夢のような時間は、先払いされた報酬みたいなものだ。
懐と左右に、命を賭けて守るべきもの……愛しい少女たちを感じつつ、俺は目を閉じた。
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