1-9 犬人


 積み上げられた銀貨や銅貨、武具や家具の類いは不幸な旅人や未熟な冒険者から奪ったものだろうか。その合間に埋もれるように、あるいは隠れるようにして、三匹の魔物がうずくまっていた。


 小鬼ゴブリンどもより更にひと回り小さく、直立した犬のような姿をしている。犬種はそれぞれ異なるが、どいつも一様に薄汚れ、傷だらけだ。

 鉄の輪が首を締めつけており、それに繋がった鎖の逆端は壁に打ち込まれている。犬人コボルト、それも『原種』と呼ばれる本来の性質に近い魔物だ。

 大抵の犬人はもっと大きくて顔つきもいびつで邪悪、小鬼を獰猛にしたような気性をしている。対して原種は小型犬に似た愛らしい顔をしており、性質も穏やかで気まめ、とされる。


ロードの憂さ晴らし用の玩具、ってところかな」


 背後から現れたキャロラインが、さして興味もなさそうな声で言った。

 使い魔で探索した際にこいつらの存在を把握していたはずだが、特になにも伝えなかったところを鑑みるに、放置して良いと判断したのだろう。


「放っときゃ餓死するだろうが、殺してやるのが情けかな」

「悪さするわけでもなし、逃がしてあげれば?」


 アレクシアたちも、ついてきたようだ。魔物といえば皆殺しという印象があるが、彼女は敵には容赦ない反面、そうでない相手には意外と優しい。

 もともとお人好しで、獣族セリアン妖族イブリスのように差別される種族に分け隔てないのと同様、話が通じる相手なら魔物でも友人になりえる……というのがこの少女の考え方だ。


 過去にも魔獣に群れを脅かされていた人馬ケンタウロスを助けたり、恋人と睦まじく暮らしていた蛇女ラミアを見逃したことがあった。

 逆に人間であっても襲ってきた盗賊や非道な悪徳貴族などは、あっさりと殺したりする。勇者ってのは、そういうもんなのかもな。


「私も、アレクに賛成です……教会に知られたら、いい顔はされないかもしれませんが」


 ぼろぼろの犬人たちに痛ましげな視線を向けながら、マルグリットが遠慮がちに手を上げた。

 生命樹教会は魔物を討滅すべき存在と定めているが、教義に明記されているわけではない。むしろ生きとし生けるものは全て生命樹の果実であり、博愛と平等が原理のはずだ。


 俺はそういう『お花畑』な思想に興味はないし、彼女だって襲ってくる敵や危険な害獣にまで慈悲を与えようとはしない。

 けれど痛めつけられた小さな生き物を哀れに思い、かなうなら健やかであってほしいと思うのは、人として当たり前の良心というやつだろう。


「どうする、イアン?」


 俺が決めるのかよ。このパーティの代表はアレクシアなんだがなあ。

 まあ同情的なのが二人、興味ないのが一人なら、俺だって始末を強行しようとは思わない。そもそも犬人は獣族から分かれて生まれたって話もあるしな。


 近づくと、犬人たちはのろのろとこちらを見上げてきた。黒い瞳に宿っているのは恐れ、怯え、諦め。俺も下手を打っていたら、こんな目をして生きていく羽目になったかもな。

 腰のベルトポーチから針金と合鍵の束を取り出して、犬どもの前にしゃがみ込む。人間の奴隷であれば〈契約コントラクト〉の魔道具を使うことが多いが、小鬼にそんな技術があるはずもなし、人から奪った家畜用の首輪だろう。


「じっとしてろよ」


 わかっているのかいないのか、顎を持ち上げ喉を晒させても、されるがままだ。鍵穴の形状を確認して近い形の合鍵を差し込み、針金で微調整しながら……よし、開いた。


「相変わらず手早いね」

「最近はお前がほとんど魔術でなんとかしちまうから、出番がないけどな」


 キャロラインにそう答えつつ、残り二匹の首輪も外していく。最後の一つは鍵穴自体が潰れてしまっていたので結局、魔術で対処した。


形状解析アーキテクト骨子探査ストラクチャー構造透写トレース固着緩和イーズアップ工程実行プロセシング命令オーダー、〈分解ディコンポーズ〉」


 俺の手から伝わった魔力の走査線が首輪を覆い、錆びついた螺子や朽ちかけた溶接を引き剥がしていく。やがて、ぱきんと軽い音とともに首輪は外れて落ちた。

 道具いらずで便利な呪文なんだが、俺の魔力じゃこの程度の小物が精一杯なんだよな。導師級の魔術師なら触れもせず攻城兵器をばらばらにしてのけるというが、さすがにそこまでの使い手にお目にかかったことはない。


 なおキャロラインも、似たような効果を持つ〈粉砕シャッター〉という魔術が使える。こちらは分解するのではなく粉々に砕いてしまう――無生物限定だが――ので、壁に穴を空けるとか扉の錠前だけを砕くとかといった使い方をすることが多い。


「いと高き生命樹よ、その葉の上に宿る癒やしの雫を天に捧げ、子らの上へと降り注ぐ浄めの雨となしてください、〈浄癒ピュリファイ・エリアヒール〉」


 今まで首を締めつけていた戒めが外れて呆然としている犬人たちに、少し長めの聖句からマルグリットの呪文が放たれる。〈浄化ピュリフィケーション〉と〈群癒エリアヒール〉を組み合わせた澄明な波動が、汚れて傷だらけの体を清め癒やした。

 白、黒、ぶち。それぞれの毛色を取り戻した犬人たちが目を丸くして、よたよた立ち上がる。自分の体を触ったり叩いたり、仲間の体を嗅いだり舐めたりして、ようやく自分たちが助けられたのだと得心がいったようだ。


「かみさま」

「ありがと、ごじゃます」

「うれし、です」


 口々に感謝を告げると、そのままごろんと横になって、聖女へ腹を見せる。服従のポーズなんだろうが、なんか馬鹿にされているようにも見えるな。


「よーしゃよしゃよしゃよしゃ、治って良かったわねー、うりうりうり!」

「あふ、あふっ、あふっ」


 素早く白黒で粗めの直毛の犬人に駆け寄ったアレクシアが、その腹をめちゃくちゃに撫でさする。容赦ない寵辱にぶち犬人は舌を出して身もだえし、あられもない声を上げた。


「良かったですねえ」

「あい~」


 おすわりの姿勢になった白くて細い長毛の犬人の傍らにしゃがみ、マルグリットは優しく頭を撫でる。眉間当たりを繊手が動くたび、白犬人は目を閉じ弛緩した表情で幸福を表した。


「い、イアン。ボクも撫でた方がいいのかな? どうすればいいと思う?」

「俺に聞くかよ。まあ、下の方から手を伸ばした方がいいんじゃね?」


 立ち上がって直立している黒く柔らかな短毛の犬人に、キャロラインはおっかなびっくり手を差し伸べて、顎の下をそっとさすった。精一杯きりっとした表情を保っていた黒犬人は、たちまち相好を崩して半口になる。

 基本的にこいつら、犬好きだよな。まあ、俺が鬣犬ハイエナの獣人だからってのも、あるのかもしれないが。


「お前ら、名前は?」


 ひととおりの可愛がりが終わって落ち着いたところで三匹に尋ねてみたが、不思議そうに見つめ返されてしまった。どうやら名前で呼び合う習慣がないようだ。


「じゃあ『ウィット』『ズワルツ』『ぶちゲブレクト』でいいんじゃない?」

「名前をつけると離れがたくなるから、やめた方がいいよ」

「野良犬じゃないんですから……」


 三人が好き勝手を言ってる間に、犬人たちは『うぃー?』『ずわ……』『ぶれ!』と呼び合っている。どうやらそれでいいらしい、まあこの洞窟を抜けるまでの間だし、かまわないか。


 どこから来たのか聞いたら、小鬼どもに捕まるまでは、洞窟を抜けた先の森で暮らしていたのだという。どんな場所だか尋ねたが、『広い』『明るい』『暖かい』くらいしか返ってこなかった。知能が低いというより、言語でのやり取りに慣れていない感じだ。

 神様とかありがとうなんて言葉は知っているので、親なり群れの上位者なりが、それを教えているはずなんだが。まあ、洞窟を抜ければわかることか。


「住んでいたところに帰してあげますから、一緒に行きましょう?」

「あい!」


 差し伸べられたマルグリットの手を掴み、ウィーが元気よく返事をする。ぶちブレはわふわふ言いながらアレクシアの回りを駆け回る一方、ズワを静かに尻尾を振りながらキャロラインの側に控えていた。性格は、それぞれ個性があるようだ。


「あたしはアレクシア、そっちの可愛いのがマルグリット、エロクールなのがキャロラインよ。で、そこのかっこいい人がイアンね」


 かっこいいってお前、そんな照れくさい紹介やめろよ。あとエロクールってなんだ。言われたキャロラインが満更でもなさげに頷いているから、突っ込まないけどよ。


「あれくさま!」

「まるぐり? まるぐら?」

「かろら……」


 きゃんきゃんとやかましい犬人どもは仲間に任せ、俺は次の部屋に向かうことにした。事前の探査じゃ次の部屋に残った小鬼はわずかのはずで、そこを抜けた先にボニージャが提示した物件が待っている。

 最後まで、油断せずにいこう。

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