世界の流れ 3
羅生門は、超然とそこにたたずんでいた。まるで黒い壁にぺたりと貼りついたシールのようなその門は、真っ白だ。乳鋲がうたれ、遠くからではわからないような薄さで、迷路のようない幾何学模様も彫られている。
ユウキは羅生門をみつめながら考えていた。もちろんこの門についてではない。自身の不思議な力についてだ。
ムサシは、自身に不思議な力があることには薄々気がついていた。そしてその力はなんとも奇妙なものであることも。
ムサシのその力とは、おそらく感情によって身体能力が劇的に変化する、というものだ。悲しみや驚き、フアンなどのいわゆる負の感情をもつと、ムサシの体は防御力が大幅に上がる。逆に好奇心や慶、勇気などの正の感情をもつと、ムサシの攻撃力が格段に上がる。そのさい、動体視力などの運動神経も良くなるようだ。
これが、ムサシの考察によるムサシの力の解説である。
この力の上限や、効果の持続時間など、細かいところはまだわからない。だが、この力を使って、この羅生門をこじ開けるのは、可能な気がする。
「いけそうかい、ムサシ?」
「こればっかりはやってみなきゃわからないな」
ムサシはそっと羅生門に手をついた。ざらざらとしていて、ひんやりとしていて、まるで鉄に触ってるようだった。
キボウとゼツボウはというと、若干訝しげにムサシをみつめていた。あまり信用がないらしい。だが、それはしかたない。まだ、会ってまもない相手を全面的に信用するのは難しいことだ。
ムサシは力をこめた。そして、思いを馳せる。ユメが盗賊に襲われて、ムサシが助けたときのこと。ユウキと決闘したときのこと。エモーションのメンバーを紹介されたときのこと。フアンに神話のことを聞いたときのこと。神殿の中で泣いたこと。魔女とたたかったこと。この世界にきてから、そんなに時間は経過してない。それなのに、思い出すことはたくさんある。
ムサシはそれを一つ一つ噛み砕き、脳内で再生し、それを力の糧とし、この羅生門を開けるパワーとする。
「おらぁぁぁぁ!」
羅生門に、全体重を預けるようにして、必死に押し開けようとする。後ずさりしないように足をめいっぱい踏ん張る。
だが、それでも羅生門はビクともしない。本当は、瞬間接着剤でくっ付いている扉の模型なのではないかと思うほど、動かない。
「こなくそぉぉぉ!」
がむしゃらにムサシは羅生門を押し続けた。たとえ、この腕が折れても、開さえすればどうにかなる。そんな思いをこめて。
けれどやはり、羅生門は身動き一つしない。
「くそがぁぁぁ!」
やはり無理なのか、そう思ったとき、両サイドから手がにょきっと現れて、羅生門にビタンと手をつく。
ムサシが左右を交互にみると、そこには三人の姿があった。三人は、ムサシに声援を送りながら、顔を歪めながら押してくれた。
「わりぃな」
「元々一人で開けるなんて無理な話しだったんだよ」
「「そーだそーだ」」
ムサシは思わず苦笑してしまった。そしてもう一度羅生門と向き合う。
最後のチャンスだ、とムサシは思った。もうきっと、ここまで温かい気持ちになることはない。もしこれでも動かなければ、もうムサシに開ける術はない。
「せーので押すぞ。せーの――!」
四人は同時におもいおもいの声を荒げながら、必死に羅生門に力を加えた。
開け、と四人の思いが重なったその瞬間、羅生門は少しずつ開き始めた。
「やった!」
四人は嬉しさに顔をほころばせた。だがそれは、すぐに消し去られた。
キュオオオオオという、まるで掃除機をかけているときのような音が聞こえてきて、四人は一斉に上を向く。
羅生門の上部あたりに、竜巻のような渦が出現しているのがみえた。それは、羅生門が開かれるのに比例して、どんどん大きくなっていく。
「なんだよあれ!」
「あれはおそらくダークホールだぞ」
キボウが指差したその渦を、ゼツボウが動じずに答えた。
「ダークホールってすべてを呑み込むんじゃねぇのかよ! 逃げなきゃやべーよ!」
「もういまさら遅いぞ、キボウ」
「そ、それはどういう意味だいゼツボウ……」
「どういう意味もなにも、もう逃げてる時間はないぞ」
その直後、風が一気に吹き荒れた。草原が揺れ、四人の髪が上になびく。
「俺たち、どうなっちゃうのかな」キボウがぼそりとつぶやいた。
だからユウキは、キボウの手をそっとつないだ。そして、もう一方の手でゼツボウの手をつないだ。ムサシも同じように手をとった。すると四人の輪っかができた。
「これで安心だろ」
「……うん!」
その瞬間、風の勢いが一気に増した。これ以上強くなったら、四人の体は上に持っていかれる。
ムサシはダークホールを睨んだ。
「なにが待ち受けてるか知らねぇが、全身洗って待っとけよ、ヤマダ=タロウ!」
そして羅生門は完全に開ききった。その直後、四人の体はふわりと浮いた。
そして四人は導かれるように、ダークホールへと呑まれていった。
気持ち悪さがムサシの全身をむしばんだ。まるでぐるぐるまわしたコーヒーカップからおりてきた直後のような気分だった。ようは、最悪だ。
ムサシはうめき声をあげながら、ゆっくりと目を開いた。
まず、視界に飛びこんできたのは、草の生えていない干上がった剥き出しの大地だった。続いてどこまでもなにもない地平線。そして黄土色の不気味な空。赤茶けた色味のある空気。ここばるて、干ばつした荒野の成れの果てのような場所だった。
「お、起きたのかムサシ」
その視界にぬるっと入ってきたのは、いつも通りのキボウの姿だった。
ムサシはその瞬間ホッとした。人がいるだけでこんなにも安堵したのは初めてだった。それくらい、この場所は異質そのものだった。
ムサシはもう一度この世界を見渡した。三百六十度全方位なにもない。草木が生えてる様子もなければ、生物がうごめく気配もない。この世界には――なにもない。
ムサシはゆっくりと立ち上がった。吐き気はいつの間にか消え去っていた。それにしても、この赤茶けた空気は吸っても平気なものなのか、ムサシは不安だったが、息を止め続けるわけにもいかず、吸ってみる。違和感はない。
二人はとりあえず、この世界を歩いてみることにした。なにか発見があるかもしれないという判断だ。ぁが、歩けど歩けど風景は変わらず、風も吹かない。砂漠ですら、もっと動きがあるはずだ。
「なぁ、ムサシ。この世界で生きるのって楽しいのかな?」
「……さぁな。この世界で生きたことないから、わからん」
ユウキは納得したのかしてないのかわからないような相槌をうった。きっとキボウはいま、この世界を見てなにかを感じている最中なのかもしれない。ムサシは黙って様子をみることにした。
ときおり、バリバリと大地が二人の重みでひび割れる音と、足音だけでそれ以外はなにもきこえない。まるで時が止まってるようだった。
「なぁ、ムサシはなんでエモーションに入ったんだ?」
「なんでって言われてもなぁ……楽しそうだったから、かな」
なんとも適当なことを言ってしまったと、ムサシは口に手を当てたが、キボウはまたも微妙な相槌をうって黙りこんだ。
なので、ムサシもキボウに同じ問いを返してみる。
「入るもなにも、俺は最初からエモーションのメンバーだったから。お母がその、エモーションのメンバーだったから。だから俺たちに理由はないよ」
俺たち、と言ったのは、ゼツボウを含めてるからだろう。
キボウはこの世界をみつめて、やがて言った。
「おっ母は、この世界で生きてて幸せだったのかな。こんななにもない世界で、楽しかったのかな」
キボウはいま、カンシャが魔女だということを受け入れて話している。そして、カンシャがこの世界で生きていたことについて考えている。
「俺は、あの国で幸せに生きていいのかな。魔女の子なのに」
「あたりまえだ。だってあいつらも人間なんだからな」
「……そうなのか?」キボウはびっくりした様子でムサシをみた。
「あぁ。あいつらはたたの人間だ。ちょっとばかしひねくれ者だけどな」
「なんで、そう言い切れるんだ?」
「まぁ、そりゃあ、俺がつくったからな。だからわかる」
その瞬間、キボウが飛び跳ねるようにおののき、ムサシと距離をとった。
「な、ならムサシが黒幕なのか!」
「いや、ちがうよ。黒幕は、俺がつくった人間で悪さを働いてるヤマダ=タロウってやつだ。俺たちは今からそいつに会いにいくんだ」
「そうか……うん、わかった」
おずおずと、キボウはムサシのもとに戻ってきた。もし、このままキボウの後ろで、わっ! と驚かせたら楽しいだろうなと思うが、踏みとどまった。遊んでる場合ではないのだ。
「だから、キボウが気にすることじゃない。キボウは自由に生きていいんだ。親に縛られることはない」
「そうだな。とりあえず俺はゼツボウを守らなきゃ。あいつを残したら俺は、死んでも死にきれないからな」
「死んでも死にきれない……ね」
ふと、ムサシはミカの言葉を思い出した。彼女は、この言葉は不思議な言葉だと言っていた。どうして人は、死んでも後悔しようとするのかと。
きっとそれは、死よりも大切なものを置き去りにしたからだ。いうならただ死んでも心配してるのだ。その心配は、死んでもなお、その人間の魂に絡みつき、離さない。
そんなことを考えて、ムサシはその考えを一蹴した。人それぞれ考え方は違う。これが正しいわけじゃない。
そのとき、キボウが驚いた声をあげて、前を指さした。ムサシはその方角にゆっくりと視線を向けていった。
そこには、家らしきものがあった。まだ遠く、いまいちそうと決まったわけなはないが、ムサシは直感的にそう思った。そして気づけばムサシは走りだそうとしていた。
「あ、おい!」
キボウが慌ててムサシを追いかける。その瞬間、キボウの体が浮いた。
「うわぁ!」
キボウの悲鳴が聞こえて、ムサシは振り返った。
そこには、手足を振り回すキボウと、その体を羽交い締めにして立つ魔女――鉄仮面に白の丈長コートによる決めつけ――がいた。キボウの手足を振り回す姿はコミカルだが、今はおいておこう。
「また、魔女か」
「おうよ。俺っちはイチノセだ。よろしく」
イチノセは鉄仮面をしているが、口の部分は剥き出しになっている。細長い舌が、絶えず飛び出しており、まるで興奮した犬のようだ。
「なんだよ、そんなに俺っちってかっこいいか?」
「俺っちなんて言葉使わなきゃ、かっこよくみえたかもな」
「これは癖なんだよ。許してくれよ」
ゆるく喋るイチノセの言葉は、風船のように軽い。ただただ言葉を口にしてるだけで、その言葉に感情はない――そんな気がした。
「それより、キボウをどうするつもりだよ?」
「うん? あぁ、そうだな。人質にでもしとくか」
「人質ね……でもそれ、扱いに気をつけた方がいいかもな」
「うん?」
イチノセが首をひねったとき、キボウの下半身がぐっと上に揺れた。そしてその反動で勢いがつき、振り子のように動くキボウの足は、イチノセの股間を強く蹴り飛ばした。
「ぐほぉん!」
イチノセが悶絶し、体をくの字に曲げると、キボウはするりとイチノセの腕から脱出した。そして、あかんべーとイチノセを挑発する。
「上等だこのクソガキ。蜂の巣にしてやるよ」
まだ痛みが残ってるのか、イチノセは体をぷるぷるさせながらコートの裏側をまさぐる。そして取り出したのは、二丁の拳銃だ。
「人間ってよ、案外世界で一番怖いものっていったらこれなんじゃねぇの?」
カチャカチャ、とセーフティーか外れる音がする。そして、銃口がキボウに向けられる。
「くたばれ! このへっぽこ人間!」
子供のような言い草とともに、発砲音が乾いた大地に木霊する。
「へ! あっけない……ん?」
イチノセは発砲した場所をみるが、肝心のキボウの姿はなく、二つの穴が地面に開いてるだけだった。
「あれ? どこいった?」
イチノセが首を傾げたとき、後方で足音が聞こえ、「そこかぁ!」という声とともに撃つが、そこにもやはり誰もいなかった。
イチノセはこのとき、得体のしれない恐ろしさを感じた。体がぞくりと震えた。
「俺っち、簡単に殺されるつもりはねぇよ」
イチノセは大きく息を吐いた。そして耳を澄ませる。足音が四方から聞こえてくる。きっとこれは撹乱だ。イチノセは獲物を狙う狩人のように、チャンスを待った。
間もなくして――音が止み、足音が聞こえなくなった。歩みを止めたのだ。その最後の足音の場所は左斜め後ろだ。
イチノセは振り向けざまに弾丸をぶっ放した。何度もぶっ放した。それは、自分の恐怖心を必死に消しているようにみえた。
そしてイチノセはすべての弾を撃ちつくしてやめた。もうこれ以上はムダだと気づいたからだ。
「ああもうこうさんこうさーん。はい、俺っちのまけー」
銃を放り出して、イチノセはバンザイした。白旗をあげたのだ。
「なんだよ、あそこに俺がいないこと、気づいてたのか?」
すると、すっと目の前にムサシと、ムサシに担がれたキボウの姿があった。キボウはわけがわからないのか、目をパチクリさせて固まっている。
「手ごたえがなかったからな。つーかよ、話が前に戻ってわりぃが、おまえはあの、魔法使い――創造主なのか?」
「なんだ。聞いてたのか。そうだよ、俺は魔法使いだ。おそらくお前らをつくった生みの親だ」
「は。なら、その強さは納得だな」イチノセは鼻で笑った。
「聞きたいことがあるんだか、いいか?」
「答えられるなら答えるよ」
ムサシは話してる間に、銃を取り上げてから、キボウを地面におろした。
「どうして、俺っちに寿命をくれなかったんだ。そのせいで、俺っちは死ぬにも死ねなかった。自殺という手もあったが、それは逃げだ。それは俺のプライドが許せねぇ」
「簡単な話だ。忘れてたんだよ、俺は。人間は百歳前後で勝手に死ぬものだと思ってた」
ムサシは本当のことを話した。あのとき、ムサシは人間をつくった。だがそこに、寿命の制限をつけることはしなかった。言ったとおり、人間は百歳前後で勝手に死ぬものだと思ってたからだ。
「なるほど、それが不老の答えか。笑えるな」
「わりぃな、死を与えてやれなくて」
「かまわねぇさ。それより、あいつのとこにいくんだろ。なら、早くした方がいい。じきにここは崩壊するからな」
「崩壊? なんでだ?」
「それは決まってるだろ。あの羅生門を開けちまったからだよ。あれは世界の終わりの扉だ。あれを開けたら最後、この世界そのものが崩壊する」
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