世界の行方 6

「これが……魔法使いの建国神話だよ」


 フアンは話し終えて安心したのか、ホッとした表情を浮かべていた。


「へぇ。そんな神話だったんだね。そこまで深くは知らなかったよ。で、どうだったムサシ?」


 ユウキがムサシに視線を向ける。だが、ムサシはそれに気づく様子もなく石像のように硬直したまま動かなかった。


「どうしたんだいムサシ? 顔色が悪いよ?」

「あぁいや……なんでもない」


 ムサシはそう返すだけで精一杯だった。


「ちなみに……これには続きがあるの。魔法使いの最後を綴った神話。それも聞きたい?」


 フアンはムサシをみつめた。ムサシはそれに気づきもせずじっとうつむきながら虚空をみつめていた。放心しているのだと一目でわかるくらい、ムサシは呆けていた。


 ユウキはそれをみかねてフアンにぜひ、と言った。ムサシの肩がピクリと反応した。


 フアンはそれを興味を持ったのだと思い、話し始めようと口を開いたそのとき――ムサシは立ち上がった。


「わ、わりぃ。俺、先に帰るわ」


 ムサシはそのまま逃げるようにその部屋を出ていこうとしたが、ユウキがそれを引き止めた。ムサシの腕を握ったとき、彼が震えてるのに気づいた。


「どうして逃げるんだい? というかこれは君が言ったことだ。最後まで責任を持って聞くべきじゃないか」

「俺のことは放っておいてくれ。それに――俺はその続きを知ってる」


 そう言ってムサシはユウキの頑なに離さない手を強引に振り切り、階段をかけ下りた。ユウキは追いかけようか迷ったが、フアンをひとり残すわけにもいかないのでやめた。


 ユウキは振り返り、フアンに顔を向けた。フアンは悲しそうに視線を下げていた。そして目を離したら消えてしまいそうなくらい縮こまっていた。


「ねぇフアン、その魔法使いが最期どうなったのか教えてくれないか?」


 するとフアンは驚いたように顔をあげて、すぐに目線を横に泳がせた。あまり良い終わり方じゃないのだと予想できた。


「どこかに消えてしまうんです。その魔法使いは」

「消える? 突然いなくなったってことかい?」

「はい。家と魔法使いがぽっかりと消えてしまうんです。なので、魔法使いの最期は行方不明という形になります。なんとも奇妙で腑に落ちない話ですよね」

「たしかに……」


 ユウキはこのとき妙な感覚にさいなまれていた。この話をどこかで聞いたことがあるようなまったくないような、そんな不思議な思考が頭を巡った。ユウキは首を傾げた。なぜならユウキが今まで生きてきた中でこの話は、絶対に初めて聞く話だからだ。


 ユウキは深く考えるのをやめて、とりあえずムサシを追いかけることにした。


「ありがとうフアン。なんか話を聞いてすぐ帰るというのも失礼かもしれないけど、ムサシがなにをするか心配なんだ。だから僕ももう帰るね」


 ユウキはフアンの返事を待たずして部屋を出ていこうとしたが、


「あ、あの!」


 フアンに大声で呼び止められた。フアンが大声を出したのは初めてだったので、ユウキは驚いて体が飛び上がった。


「ど、どうしたんだい?」


 ユウキが聞くと、フアンは一旦顔を下げた。だか、そのあと自分を奮い立たせるようにして深呼吸し、ユウキの顔をみた。


「ムサシに……今度会ったとき……ちゃんとお礼してって言って」

「……あぁ、わかった」


 ユウキはフアンの言いたかったことを理解し、真剣に頷いた。フアンは顔を真っ赤にしてうつむいた。よほど大声を出すのか恥ずかしかったのだろう。


 ユウキは絶対にお礼をさせると、心に誓った。




 この国はいったいなんなのか、ムサシにはわからなかった。わからないことが多すぎた。どうして人間が住んでいるのか。どうして食事があんなにも似ているのか。どうして建物の造りが同じなのか。どうしてこんなにも元世界の風景と似ているのか。


 答えは簡単なことだった。


 この国はムサシが創った人間によってつくられたものだからだ。だから銭湯に富士山が描かれていたし、英語を知ってるし、似たような建物をつくれるのだろう。


 ここで問題なのは、なぜムサシがあのとき消した人間がこの世界で国をつくってるのか、ということだ。これにも答えはあった。それはきっと、ムサシはあのとき国と人間すべてを消し去ったわけではなかったのだ。おそらく人間に関しては、消したのではなく移動させたのだ。だからこうしてここに人間たちが存在してるのだ。


 ここは日本とつながってるわけではなかった。そんなものは当たり前だった。そんな話聞いたこともないし、第一こんなにも人間たちが迷いこんでたら、たちまち元世界はパニックに陥る。簡単な話、ムサシはそう信じたかっただけだ。けれどその願望はあたかも崩れさった。


 この世界の人間たちはどのようにしてこの建物をつくりあげたのだろうと、ムサシは思った。ムサシは建物の様相を知ってるが、どのように建てられるのか細かなところは知らない。だからきっと、何百年と時間をかけて一からつくられていったのだろう。完成像をひたすらに目指しながら。


 ムサシは気づけばあの神殿の前に立っていた。いつの間にこんなところにきたのかと内心驚いたが、もしかしたら導かれたのかもしれないと思った。神殿が手招きしているような気がした。


 神殿はかなり古びている。もう何年も前に建てられてから一度も手をつけていないのだろう。ところどころが錆びれていて、変色していた。緑の苔も生えている。そのせいなのか、なんだか荘厳な雰囲気を醸しだしていた。


 ムサシは導かれるまま、その神殿に入ろうとする。黒の鉄格子の扉は南京錠がつけられていたが、錆びれていて、強く引っ張ったら簡単にとれた。


 ムサシは蜜のにおいを嗅ぎつけたカブトムシのようにゆっくりと中に入っていく。


 すると、声をかけられた。振り向くと、そこには老人の兵士がいた。


「そこの君。止まりなさい。そこは立ち入り禁止だ。すみやかに立ち去りなさい」


 長い髭を手で撫でながら、老兵はムサシに言ったが、ムサシの耳には入らなかった。ムサシはかまわず進んでいく。


「その神殿に入れば処刑だ。死刑となる。それでも君は入るのかね?」


 老兵は挑むような口ぶりだった。ムサシはかまわず中に入った。雑多な道が神殿まで続いていた。


 老兵は今度はムサシの肩を掴み後ろに引き倒した。ムサシはよろけたが、ふんばって後ろを向いた。老兵の目は怒り狂っていた。


「聞いてるのか貴様! ここに入ったら死刑だぞ! それでいいのか!」

「黙れ――!」


 ムサシは気づいたら振りかぶっていた。老兵の目が見開かれる。ムサシは勢いよく老兵の甲冑に拳をねじ込んだ。


 けれどその拳に威力はまったくといっていいほどなかった。老兵は逆の意味であっけにとられ、次いで含み笑いを浮かべた。


「たかがこんなものさ。人間なんて所詮、ひとりじゃなにもできない」

「わかってるさ。そんなことくらい。それでも俺は、いかなきゃならないんだ」


 ムサシは拳をひっこめると、逃げるように神殿の入り口へと向かう。入り口までは一本道だ。迷うことはない。自然と歩くスピードが速くなる。


 老兵はそれを、蔑むようにしてみつめていた。そして、たすきがけにしていた銃をたぐり寄せ、かまえた。獲物を外したことは生涯、一度もない。


「神殿を汚すまえに、冥土に送ってやるよ、あわれな人間」


 老兵は彼の頭部に狙いを定めた。痛みも苦しみもなく殺してやるという慈悲まかいのものが、老兵の心にあった。カチャンと音がした。


「いや――ゆとり世代か」


 忌々しく、憎々しげに吐き捨てた言葉とともに、鉛玉は射出された。鉛玉は空を切り裂き、やがてムサシの後頭部に直撃した。


 直撃したはずだった。老兵はそれを見たのだから。けれど、彼の頭には傷一つついていなかった。それどころか、鉛玉は高音とともに弾き返され、どこかへ吹き飛んでいってしまった。


 その光景は、老兵にとって信じがたいものだった。信じることができなかった。だから老兵はもう一度彼に銃口を向けた。そして撃った。今度は二発。


 だが、またも鉛玉は虚空に飛ばされた。まるで彼の手前の空間だけねじ曲がってるようだった。


「いったいあいつはなんなんだ? 人間ではあるまいが……」


 老兵はもう彼に銃口を向けなかった。意味がないとわかったからだ。彼はいま、暗闇の底のような入り口に足を踏み入れたところだった。老兵はそれにたいして嫌悪感を抱くと思っていたが、それはまったくなかった。


 彼は気づけば暗闇に呑まれて見えなくなっていた。


 ユウキはムサシを追いかけるために占いの館を出ていこうとしていた。


 ムサシの様子が異常なのもあるが、なにか嫌な予感を、ユウキはひしひしと感じていた。案外こういう第六感は良し悪しに関わらず当たるものだ。


「なんだい? もういくのかいユウキ」


 声をかけてきたのはマダムだった。通りすがりの人間ならば今は無視するが、マダムは少し話が別だ。彼女が声をかけてくるときは、大抵なにかある。


 ユウキは足を止めてマダムを見た。マダムは椅子に腰かけ、水晶を撫でながらこちらをみていた。その目には、なにか魂胆があるように見えた。


「なぁムサシ、ゆっくりティータイムでもどうだい?」


 マダムは趣味の悪いティーカップをすすりながら、目の前の席をちらりと見た。座りな、という意味があるのだろう。


「僕は、ムサシを追いかけなくてはいけません。ですのでティータイムは遠慮しておきます」

「……もしこのコレクトが征服されると、私が口にしてもかい?」

「――征服?」


 ユウキは思わず耳を疑った。なんとも非現実的な言葉だったからだ。それに、いったいどこの誰がこの平和で日和見な害悪のない国を征服しようというのだろうか。


「イリーガルの人間たちさ。彼らは自らのことを、魔女と称しているがね。私の方がよっぽと魔女っぽいよ。そう思わないかい?」

「たしかにまぁ、そうかもしれませんね」

「なに? お前は私をババアみたいだとそう言いたいのかい?」

「いったいどう言えばよかったのか、僕には分かりませんね……」

「冗談を言ってる暇はない。とにかく座りな」


 なぜかユウキが怒られる立場になり釈然としないが、それを掘り下げてもしかたない。


 ユウキはマダムと対面するように椅子に座った。眼前の水晶は妖しく光り、触るな、と言わんばかりの異様さを演出していた。


 水晶をみつめていると、マダムがそっとなにかをユウキの前に置いた。その瞬間、良い香りが漂ってきた。


 奇妙な色のティーカップ、奇怪な形のティースプーン、珍妙な彩りのソーサー、そしてティーカップに注がれている薄茶色の液体。


 ユウキはいぶかしげながらもそれを一口飲んだ。すると、途端に力んでいた体がほぐれるような感覚を味わった。


「それはハーブティーといってね。リラックス効果があるんだよ」

「なるほど、さすがは占い師ですね」


 ユウキは緊張しているお客にこれを提供して緊張をほぐしている、そう早合点したが、実際は違かった。


「こんなにも美味しいものを、客なんかに出してやるわけないだろ。バカかお前は。これは特別、出血大サービスだよ。そして未来も出血大サービスだ。おぉ怖い怖い。フェッフェッフェ」

「まったく面白くありません」

「なんだい。小粋なジョークじゃないか。最近の若いのは固いね。カチコチだね。固いのはあそこだけで――」

「早く話してください! 僕はマダムの小粋なジョークを聞きにきたわけではありません!」

「フェッフェッフェ。悪いね、誠実な男をみるとついいじめたくなる性格でね。困ったものだよ」


 怒鳴られても、マダムは別段なにか変わる様子はなかった。


「イリーガルの人間が、この国を征服すると言いましたが、具体的にいつですか? というか、あっちにも人間がいるのですか?」

「さぁね、詳しいことは私にもわからないが、水晶がそういったのさ。私はそれを伝えただけさ。あぁそうそう日付だけどね、今日だよ。私は今日より先のことなんて占えないからね」

「――な⁉︎ 今日ですか⁉︎ いったい今日の何時ですか!」

「そんなこと私には知らないよ。けれどね、場所ならわかる」

「どこですか! 早く教えてください!」

「――神殿さ。彼らはそこに現れる。強大なる力を持って、ね」


 ユウキは一瞬放心した。だが、その心を奮い立たせて、彼は唇を震わせながら聞いた。


「現れて……どうなるんですか?」

「滅ぼすのさ。ひとり残らずこの国は滅ぶ。死骸と火炎と絶叫と笑声が、もうまもなくこの国を包み込む。私もお前も、その混沌の渦の中の一人になる」


 マダムはきっぱりと言いきった。その事実は確定だといわんばかりだった。


 ユウキは唇を噛みしめて、テーブルクロスをぎゅっと握りしめた。よくよくみると、彼の手は震えていた。いや、全身が震えていた。彼は怖がっていた。


「僕たちは死ぬんですか?」

「私はなんでも知ってるわけじゃない。死ぬかもしれないし、生きるかもしれない。けれど生きたところで、死よりも辛いなにかが起こるかもしれない。奴隷になってイリーガルの奴らに一生傅くのかもしれない。そんな先の未来なんて、私にはわからないね」


 マダムはティーカップに口をつけた。マダムはまったく焦ってる様子はなかった。なにか、考えがあるのかと思うほどだった。


「ユウキ、いっておくがね、私はこの占いをこれっぽっちも信じちゃいない。というか、信じてはいけないんだよ。なぜかって? 占いの結果が悪いからさ」

「悪いから信じないのですか? なら、良ければ信じるんですか?」

「当たり前じゃないか。これは占いなんだ。信じればそうなるし、信じなければそうならない、そういう風にできてるんだ」


 その言葉に、少しユウキは元気づけられた。そして思い切って聞いた。


「ならば、この運命、変えられますか?」

「この世に変えられないものなんてない。人生だって運命だって、占いだってね」


 まるで青春の一ページのような言葉を、このマダムというしわしわの婆さんは軽々言ってのけた。すごい精神だと、ユウキは感心してしまった。


「僕も、しわしわになっても格好いい言葉を言いたいですね」

「なんとも嫌味なこった。けれど、覚悟を決めたようだねユウキ。目が、生を宿したよ」

「うん、だからこそマダム、あなたにお聞きしたい――運命の変え方を」


 マダムは予想外だったのか、「ほぉ」とつぶやき、そのまま黙りこんでしまった。けれどそれは、ただだんまりしているわけではないと、ムサシは思った。どちらかというと、言葉を選んでるようだった。


 マダムがおもむろに口を開いた。


「どうして、私が知ってると?」

「簡単な話です。占いとは、結果と助言とラッキーアイテム、それがセットで初めて占いと呼べるのだと、僕は思っているからです」

「なるほど、面白い解答だね。いいよ。教えてあげよう。この国が滅ぶのを回避する方法をね。助言は主に三つある。よく聞きな」


 ムサシはごくりと唾を呑み込んだ。ここからは、一言一句聞き逃してはならない。ユウキは目を見開いてマダムの言葉を待った。


「まず一つ、ムサシをコレクトとイリーガルの闘いに引っ張りだすこと」


 マダムは人差し指を立てていた。そして、中指が次に立てられる。


「二つ目は、イリーガルの人間――魔女を統率するボスであるヤマダ=タロウを、ムサシに引きあわせること」


 次に薬指が動いた。「最後は」、とマダムが言う。その目は、明らかにユウキに向けられていた。


「ユウキ、お前が自分自身をよく知ることだ。そうしなければ、この国は滅ぶ」


 マダムの言葉を助言から次に移行した。


「ラッキーアイテムは、ゲーム機とゲームソフト。この二つだ」

「ゲーム機と、ゲームソフト……それはいったいどこに……?」


 マダムは鼻を鳴らして、「知らないよ」と答えた。自分で探しな、と顔に書いてあった。


「わかりました。全力で探します。それともう一つ、イリーガルの人間たち――その魔女とやらはどこからやってくるんですか?」


 するとマダムは不思議そうな顔をした。


「やってくる、誰がそんなこと言ったんだい」

「え、ならばどこから――」

「どこからもなにも、奴らはもう何年もこの国にいるよ。しかも、お前の顔見知りばかりだ」


 その瞬間、ユウキの頭は真っ白になった。言ってる意味がわからない、どころではない。なにを言ったかさえ、ユウキにはわからなかった。


「もう一度……」

「二度は言わないよ。言いたくない。だから話を進めるよ。奴らはね、ユウキの近くにいるよ。とても近くに。言いたいこと、わかるかい?」

「……わかりません」

「ならば答えを教えよう。正解は――エモーションさ。そのメンバーのほとんどが、魔女だ」


 真実が、深くユウキの心にのしかかった。

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