世界の行方 4

 お酒が次々と注がれていく。黄金色の液体と白い泡が、グラスの中で見事に調和している。ムサシはごくりと唾をのみこんだ。


「それでは新たなるエモーションのメンバーを祝って乾杯だ!」


 仕切り好きのイカリがグラスを上に掲げた。それに続き、周りもそれにならってグラスを上に掲げる。カンと、甲高い音が響きあう。


「それにしてもムサシ! 記憶喪失とは面白いやつだな! 俺も記憶喪失になって過去のことを水に流してもらおうか!」


 イカリが冗談まじりにそう言ってムサシの背中をおもいきりバンバン叩く。かなり痛かった。


「謎多き男なんてミステリアスね。お姉さんそそられるわ」シットがそう返した。

「は!年食ったばあさんがなに言ってやがる!」

「失礼な! 私はぴちぴちのアラサーだよ!」

「アラサーのどこがぴちぴちなんだ! もうとっくに干からびてるわ!」

「うるさいよ! この腑抜けた小太りじじいが!」

「なんだと!」


 二人はムサシのことなど忘れてしまったようで、火花を散らしながら子供のような口喧嘩を始めた。二人ともこの歓迎会の前からのんでいるので、すでにできあがってるようだ。顔がほんのりと赤い。


「二人のことは気にしないで。いつもああだからね」


 イカリとは逆の隣にはユメがいた。彼女はオレンジジュースをのんでいた。そのまた隣にはユウキがいつもの調子でそこに座っていた。


「どうムサシ? みんなの名前覚えられそう?」

「まぁなんとか」

「大丈夫。だって私も全員の名前おぼえてないもの」

「ちょっと待ってユメ! 君は何年ここにいるんだ!」

「四年くらいかしら?」

「六年だよ! なんそんなに経つのに覚えてないんだよ!」

「私、忘れっぽいのよね」

「それにも限度があるよ!」


 ユウキの必死の訴えも、ユメには聞かず、彼女は上機嫌なのか鼻歌を歌っていた。


 その様子に、ユウキはがくりと肩を落とす。ユウキは将来すぐに禿げそうだ。


「おいムサシ! こっちにきて飲み比べしようぜ!」


 いきなりイカリがムサシの首根っこをつかみ、体をずらしてイカリの隣に移動させた。イカリはすでに結構お酒くさかった。


 だが、飲み比べというのは面白そうだったので、ムサシはその挑戦を受けることにした。


「大丈夫かいムサシ? なんだかんだイカリはけっこうお酒が強いんだけど……」

「任せとけって」

「なんだい。私も混ぜなよ。こんなやつらには負けないよ」


 そこに自信満々で嫉妬がやってきた。かなり自信があるようだった。


「あ、なら私もやろうかしら」


 ユメがそう言った瞬間、一気にその場が固まった。まるで瞬間冷凍されたようだった。


「いやぁユメはやめた方がいいんじゃないかな」


 そっとユウキが暴れ牛を鎮めるようにそう言った。そしてイカリやシットがそれに同意する。だが、ユメはあきらめなかった。


「いいわよねムサシ?」

「え、まぁ……いいんじゃないか?」ムサシは空気を読まずにそう言った。


 するとムサシはたちまち上機嫌になり、ムサシの横に座りなおした。

 それをみて、ユウキはムサシにこう耳打ちした。


「後悔するなよ」


 こうして飲み比べは始まった。


 始まって最初のほうは、特に何も起こらなかった。四人はいきおいよく酒をかっくらっていく。ペースはイカリとシットがはやく、次にムサシで最後がユメだ。


 中盤にさしかかったころ、ある変化が起きた。


「ムサシ! あんたのむのが遅いわ! 男ならもっとぐびっといきなさいよ!」


 急に、ユメがムサシにやっかみ始めたのだ。


「いや、俺には俺のペースが……」

「なに言ってるのよ! そんなんじゃ真の飲みマスターにはなれないわ!」

「あのユメさん……?」

「ユメさまよ! 舐めないでちょうだい!」


 ユメは完全にのむのをやめてムサシをじっとみつめている。どうやら、ユメはお酒が絡むと面倒な性格になるようだ。現にほかの人たちは関わろうとしていない。


「聞いてるのムサシ! ぼんやりしないで!」

「は、はい!」

「あ、その顔、私にいやらしいことをしようとしている顔だわ」

「滅相もございません!」

「とぼけないで! 私の裸をみたくせに! しかも何度も!」


 突然の爆弾発言は、この場の空気を一気に冷却させた。視線がムサシに集まる。


「私の生まれたままの姿をみた感想をいいなさい。ここで」


 ユメはぐいっとムサシに顔を近づけた。至近距離にユメの赤らんだ顔と、荒い息づかいが聞こえてくる。


「さぁ言いなさい。言えないならもう一度みる? 私のこの純情な身体を!」

「生々しすぎる! 分かった素晴らしい! これでいいだろ!」

「あらそう。なら――脱ぐわ!」


 ユメはそう言って本当に脱ぎ始めた。急いでシュウチがそれを止めて、強引に奥の仮眠室へと連れて行かれた。


「だからユメにはのませたくなかったんだ。わかったろムサシ?」

「身をもって体感したよ……」

「まぁそんなことぶっちゃけいまはどうでもいい。君、みたのかい?」


 その言葉には禍々しいなにかがこめられていた。ムサシは震えた。


「そんなわけないだろ! あれはユメが訳わかんないこと言っただけだ!」

「そっか。そうだよね。ユメって昔から酔うとあることないこと吹聴するくせがあるからさ。多分それのせいだよね」


「そうだよ! あはははは……」


 ムサシは冷汗をかきながら必死に笑い飛ばした。ばれたら大変なことになると、ムサシの第六感がそう訴えていた。


 仕切り直しになった飲み比べは、結果としてムサシの勝利になった。勝因は一定のペースで飲み続けたことによるものだ。


「くっそぉまさか俺が負けるとはぁ!」

「もっと若けりゃねぇ」


 イカリとシットはそんな負け惜しみを吐いて、机に突っ伏して眠ってしまった。気付けば辺りはしんと静まりかえっていた。


「ムサシはお酒に強いんだね」


 すると、ユウキが驚いた顔をしながらムサシの隣に座った。


「まだのむつもりかい?」

「もう酒はこりごりだ。そして眠い。寝るわ」

「そうだね。僕もそうしようかな」


 こうして二人は部屋に戻ることにした。ちなみに、他のエモーションのメンバーはとっくに切り上げて寝ているとのことだった。


 ムサシは部屋に戻り、布団にダイブしようとしたが思いとどまった。ここに銭湯があるのを思い出したからだ。


 ムサシは軽くシャワーでも浴びようと、酔った状態のなか、銭湯へと向かった。鼻歌まじりに服を脱ぎ捨てて湯船へと続く扉を開ける。


 銭湯には誰もいなかった。


 ムサシが貸し切り気分で意気揚々と湯船に向かうと、視界の端になにか違和感を覚えて思わず二度見した。


 そして目を見開いてぎょっとした。口がわなわなと震え、一気に酔いがさめた。


「なんでここにこんなものが……?」


 それは壁に描かれた絵だった。


「ここにあるわけないんだ――」


 そこに描かれた絵は、元世界に存在する大きな山――富士山だった。富士山の頂上には白い雲がかかり、そこから顔を出すように真っ赤な太陽が上半分を覗かせている。


「いったいどうなってるんだ?」




 気付けばムサシは自分の部屋のベットで寝ていたようだった。どうやってここまできたのかは覚えていない。けれど、昨日の衝撃的なできごとは色褪せることなく思い出せた。


「おいおいおいゼツボウ! ムサシが目を覚ましたぜ!」

「おちつけキボウ。見ればわかるぞ」


 二人の少年の声がした。キボウとゼツボウだとすぐにわかった。


 ムサシが顔だけ振り向くと、そこにはまだあどけなさの残る二人の顔だけがベッドに乗せられていた。まるで生首二つが喋ってるみたいだった。


「おまえら、そこでなにしてるんだ?」


 ムサシが聞くと、キボウが顔をひきつらせた。おびえている様子だった。


「なぁムサシ、おまえ、幽霊じゃないよな?」


 ムサシは質問の意味がわからず素っ頓狂な声をあげた。ムサシはなんでそう思ったのか聞いた。


「だってムサシ、銭湯で死んでたからな」

「正しくは倒れていた、だぞ」


 ムサシはそれを聞いて少し状況が読めてきた。どうやらムサシはあのあと銭湯で倒れて、そしてそれを見つけた誰かがわざわざここに運んできてくれたのだろう。そしてこの二人は様子をみておくようにと言われたのだ。


「誰が運んでくれたんだ?」

「イカリのおじさん!」


 なるほど、とムサシは思った。たしかにイカリなら男一人運ぶなんて朝飯前だろう。


「イカリは今なにしてるんだ?」

「会議!」


 キボウの一単語じゃわからないのを見越して、ゼツボウがそこに補足説明をいれてくれた。なんでもエモーションのメンバーが集まって今後の方針や活動内容を話し合う――定例会のようなものがあるらしく、イカリはそれに出ているらしい。とはいえ、その会議は一階でおこなわれているため、会おうと思えばすぐ会える。


 ムサシはその会議が気になった。


 そのとき部屋の扉が開いた。中から図体のでかいイカリがやってきた。いつものように赤いハチマキで額を覆って、ドアの小ささにしかめ面になりながら入ってきた。


「おうムサシ起きたか。まったくびっくりしたぞ、銭湯で倒れてるのを見たときは。急性アルコール中毒で死んだのかと思った。で、体調は平気なのか?」


 その話を聞いて、キボウの早とちりの原因はここか、と思いながら大丈夫だと答えた。するとイカリはよかったよかったと言って豪快に笑った。


「なぁ、会議っていったいなにをやってるんだ? よかったら詳しく教えてくれないか」


 イカリはすぐに頷いた。もしかすると、そのことを話すためにここに来たのかもしれない。ムサシの鼓動が高まった。


「今話しているのは外の世界の捜索の打ち合わせだ。この国はわりと大きいが、世界はもっと広い。それに、理解不能なものもある。だからそれを個々で手分けして捜索するんだ。そのための会議が今、下でおこなわれてる」

「理解不能なもの? ってなんだ?」

「それはあとで自分の目で確かめてみるといい。ユウキもつれてな。あいつはそういう類に詳しいんだ。だから、目が離せない」


 ムサシはあいまいに頷いた。疑問を消したかったのにまた疑問が増えてしまった。だからムサシはまた質問した。


「どうしてイカリはこのエモーションに入ったんだ?」

「なんだ? 知りたいのか。ならば教えてやろう」


 少しイカリの顔がにこやかになった。悪い話ではないのだとムサシは感じた。


 イカリは昔、鍛冶屋をやっていた。鍛冶屋とは、刃物、工具、農具の製造や修理――ここでは主に刃物――、そして鋳造をおこなう。鋳造とは金属を熱で溶かし、型にはめこんで冷やして固めることを意味する。イカリはその方法で剣をたくさんつくっていた。


 最初はとくになにも思うことはなかった。イカリは来る日も来る日も剣をつくった。無我夢中だった。


 やがて、あることに気がついた。この剣はなにに使われているのであろうかと。


 この国――いや世界は平和だった。魔物もいなければ巨人もいない。要は人の危険を脅かす存在なんてどこにもいないのだ。いや、突き詰めていうと、人の一番の敵は人だった。


 イカリはそう思ったとたん、急にあほらしくなった。なにもかもがどうでもよくなった。たとえ人の敵は人でも、そう簡単に人は人を敵にまわさない。だからこんなもの、つくっても無駄だった。兵士の腰飾りになるだけだ。


「そんなときにあいつはやってきた。剣の整備にきたんだ。傷一つ付いてないまっさらなものを、あいつは定期的に持ってくるんだ。あるとき理由を聞くと、冒険をするためには必要だ、と言ったんだ。いったいどこを冒険するんだって聞いたら、外の世界を冒険するんだと言いやがる。こいつは頭がいかれてると思ったな。でも不思議と興味がそそられた。そんで気付いたら鍛冶屋なんかやめてた」


 イカリは遠くをみるように顔を天に向けた。昔の記憶を思い起こしているのだろう。


「きっと俺はこの小さな世界に飽き飽きしていたんだろうな。もっと広い世界をみてみたいと思ったんだろうな。だがそれは――儚い夢にすぎない」


 最後の言葉には、いいようのない哀愁が漂っていた。ムサシがなんと声をかけていいのかわからず押し黙っていると、ベットの下からキボウとゼツボウの顔がひょっこりと出てきた。どうやら隠れていたらしい。


「なんだお前ら、いたのか」


 イカリは驚いた様子はみせなかったが、瞳孔がめいっぱい開いていた。


「なぁイカリ、儚い夢ってなんだ?」とキボウが聞いた。


 これはたしかにムサシも気になっていた。いったいイカリはなにを思ってそう言ったのだろう。


「もう少し大人になれば教えてやるよ」イカリはなにも教えなかった。


 ほどなくして三人は部屋を出た。イカリに安静にしてろと釘をさされたが、実際そうするつもりはなかった。昨日の疑問がまだ消化されきっていないからだ。


 ムサシはこんな仮説をたてていた。


 それはこの世界と元世界は繫がってるのではないかということだった。そして、この世界の人間はみんな元世界からここに迷いこんだ人間で、その人間たちがこの国をつくりあげたのだ。


 いささか突拍子もない仮説だが、この今の状況を説明するには多少の無理が必要だった。ちなみにミカが関わってる線は薄いと、ムサシは思っている。この世界の文化を変えるのは納得できるが、銭湯に富士山の絵はわざわざ描かないだろう。


 ムサシが悶々としていると、またしても部屋の扉が開いた。


 入って来たのはユウキだった。あいかわらず勇者の服を着ていた。


「調子はどうだいムサシ? 昨日もこれを聞いたね」


 ユウキは笑って近くの椅子に座った。


「それは大丈夫。それより会議は終わったのか?」

「あぁ。滞りなくね。内容、聞きたいかい?」

「いまはいい。それより、外の案内をしてくれないか?」

「それはもちろんだけど、大丈夫なのかい? 銭湯で倒れてたって聞いたけど」

「もんだいないよ」


 そうと決まれば二人はすぐにアジトを出た。そのとき初めてこの国がコレクトというのを聞いた。

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