世界の行方 2

 視界がいったい何回反転したのか、数えるだけで気持ち悪くなりそうだった。


「うぅ……」


 ムサシはがんがん響く頭痛に顔をしかめながら、ゆっくり立ち上がろうとした。


 そのとき、ムサシの鼻をくすぐる良い香りがたちこめているのに気がついた。それはまるでシトラスミントのような爽やかな香りだった。


 ムサシはその香りの正体を確かめようとしたとき、下から柔らかく、そして温かな感触があることに気がついた。


 その瞬間、ムサシはただならぬ気配を感じて慄いた。


 ムサシはゆっくりと目線を下げていく。最初に映ったのは金髪だ。きっと良い香りの正体はこの髪によるものだ。もう少し下に視線を下げると、そこには顔を妖怪変化させたユメがこちらを睨んでいた。


「何か言いたいことは?」

「七変化って言葉あるじゃんか。あれって植物の名前にもあるらしいんだ」

「だから――なによぉ!」


 ユメの強烈なブローが顔面を直撃し、ムサシはゴムボールのように弾け飛び、地面を転げ回ってぷすぷす音を立てて朽ち果てた。


「こ、これは不可抗力だ……」

「そんなの知らない! 本当にムサシって変態さんだわ!」


 ユメがそっぽを向いたとき、


「ユメ? こんなところでなにしてるんだ?」


 ムサシには聞き覚えのない男の声が聞こえてきた。


「え! 私こんなところでハレンチな行為なんてしてないわよ!」

「そっか。とりあえずユメ、君は落ちつこうか」

「落ちついてるわよ! ってあら、ユウキじゃない!」


 ユウキと呼ばれた彼は、育ちのよさそうな青年だった。年はムサシと同じくらいだろうが、目鼻立ちがすっきりしていて大人っぽくみえる。要は美形だ。茶髪で少し肌の焼けたユウキは、爽やかな風雲児と呼ばれても遜色ない。それくらい、かれは凛々しかった。


「説明がなげぇ。こんなのイケメンですませりゃいいだろ。祟るぞ」


 むすっとした様子で、地面に頬杖をつきながらユウキをジト目でみるムサシは、柄の悪い不良にみえた。


「な、なぁユメ。あそこで片頬を腫らして日向ぼっこしている彼は――ってうん!? ユメ、いったいどうしたんだいその格好は! まさかあいつにやられたのか!」


 ユウキはユメのパンチがきいた服装をみて目をひんむく。ボロ雑巾のような服装に、上からだぼだぼの上着を羽織っているだけなのだから無理はない。


「いやこれは……そうです! あの変態さんにやられました!」

「いやおいぃ! 否定しろよ! なんでそんな簡単に嘘ついてんだよ!」

「嘘? 嘘なのかい?」

「嘘ですが変態さんなのは本当です」


 するとユウキは汚物でもみるかのようにムサシを見て、「そうか……君は変態なんだね」とぼそりとつぶやいた。


 そしてユウキはのそのそとムサシに向かって歩くと、手をさしのべた。


「立てるかい? 変態くん」

「ムサシだよ!」


 さしのべられた手を振り払い、ムサシは猫のように毛を逆立てて――比喩的に――ユウキを威嚇した。


「そんなに怒るなよ。冗談さ。それよりムサシっていったい何者なんだい? 見ない顔だけど」

「俺は……そうだな、さすらいの旅人だ」

「旅人? この世界に旅人なんていないよ」


 ユウキは苦笑して妙なことを言った。


「ユウキ、あんまり彼のことを深く聞かないてあげて。彼は記憶喪失らしいのよ」

「き、記憶喪失だって?」


 ユウキの表情が一気に険しくなった。ユウキはムサシを一瞥すると、ユメに向き直った。


「ユメ、君は疑うことを覚えたほうがいい」

「何よ。私だって疑うことくらいできるわよ」とユメは口を尖らせて反論した。

「僕、本当は女なんだ」

「え! そうなの? でもユウキが子供のとき、私はちゃんと――もしかしてあれは偽物だったの!?」

「ちょっと待って! 嘘だよ! まさかそういう回想に繋がるとはおもってなかったよ!」

「ならあれは本物だったのね。びっくりさせないでよ」

「びっくりしたのはこっちだ!」


 ユウキはユメの説得を諦めて、ムサシを睨んだ。あきらかに警戒した目つきだった。


「僕はそう簡単に騙されないよムサシ。君がなにものかわかるまで、ユメには近づけさせない」と言ってユウキはユメの前に立ちはだかった。

「なんだ。性格までイケメンかよ。まるで勇者だな」


 ユウキの服装は、青を基調としたものだった。青いマントに青いバンダナ。動きやすく丈夫そうな布製のローブ。まさしく勇者にありそうな服装だった。


 一方ムサシは、ユメに上着を渡したため、無地の白いTシャツに色褪せた黒のジーンズという出で立ちだ。


「これ、映像になったときの俺の負け感はんぱないな」


 ムサシはそこであることを思いついた。自然と笑みが悪人面になっていく。悪人というのはこうして生まれるのだと、ムサシは心中でそう思った。


「おいそこの冴えない風雲児! 俺と決闘しないか?」

「褒めながら貶してくるな! ていうかなんで決闘するんだ?」

「もしお前が勝ったら俺のことを包み隠さず話してやるよ」

「……もし君が勝ったら?」

「ユメをもらう!」


 ムサシはひとりそう豪語したが、二人の反応は冷たかった。


「いやよ。死んで」

「ですよね。なら俺に住む場所をください。お願いします」


 ムサシはやむを得ず土下座した。今後の生活のためである。


「健気だね……わかった。僕に勝ったら君の住む場所を提供してあげるよ」

「本当か! あ、でもお前とシェアハウスは無理。ごめんな」

「それはこっちのセリフだよ! ていうか勝つ気満々だね」

「負ける未来を想像して戦うばかがどこにいるんだよ」


 指をポキポキ鳴らしながら、ムサシはユウキを見据えた。ユウキは見た目は細く、たいして力があるようにはみえない。勝てる見込みは十分あるとムサシは踏んでいた。


「大丈夫ユウキ? ムサシってああ見えて結構強いのよ?」

「大丈夫だよユメ。僕が負けるわけないだろ?」


 ユメの心配そうな顔を吹き飛ばすような爽やかな笑顔を向けて、ぽんと手を彼女の頭に乗せた。淡い桃色の雰囲気が流れ始め、ムサシはそれを鼻息で吹き飛ばした。


 こうして二人は決闘をするため向かい合い、ユメは離れたところで見守ることになった。「頑張ってふたりとも!」とか、「ほどほどにね!」とかまるで子供の運動会を見守る母親のような応援が聞こえるが、ここは聞こえないふりだ。


「これを使いなよムサシ」


 ユウキが、いきなり棒状の茶色い物体をムサシに投げつけてきた。くるくると弧を描きながら飛んでくるそれを、ムサシはあたふたしながらもキャッチした(が落とした)。


「これは……」


 飛んできたものは、元世界でいうところの木刀だった。というか木刀そのものだった。全長一メートルほどの深い茶色に包まれた木刀は柄の部分が少しはげている。相当つかいこまれているのがわかった。


 ムサシはこの世界に元世界と全く同じものがあることに驚いたが、やがて得心する。この世界には人間がいるのだ(姿形てきには)。もし脳の構造もまったく同じならば、独自に元世界と同じものを造っていても不思議ではない。


 ユウキはもう一本木刀を取り出した。そして自然にかまえる。


「いやいや待て。なんで木刀を二本も持ってんだよ」


 ムサシは危うくツッコミを入れるのを忘れるところだった。それくらいユウキの言葉は流れるように自然だった。


「そういう気分だったのさ。ちなみにもう一本あるよ」

「三刀流かよ! お前は大剣豪にでもなるつもりか!」

「そんなたいそうなものになるつもりはないよ。さ、始めよう」


 ユウキの構えはとても自然体で、その動きは一朝一夕で身につくものではないようにみえた。構え自体は剣道に似ているが、腰を落とし、手首を軽くひねり、木刀を斜めにさせている。


 一方ムサシの構えは剣道のまねごとで、達人がみたら怒鳴り散らされるほどの拙さだが、あいにく剣道はやったことがないので、そこはご容赦いただきたいところだ。


 けれどムサシは尻すぼみしているわけではない。むしろわくわくしている。ここからきっと猛烈な剣戟が始まるのだから(木刀だが)。


 先手を打ったのはユウキだった。洗練された無駄のない動きでムサシに迫る。そしてきづいたときには木刀が上に掲げられていた。


「はぁ!」


 ユウキは迷うことなくその木刀を振りおろした。その速さは異常なほどの速さで、適格だった。


 だが、ムサシはそれを軽々と避けた。木刀がムサシの眼前をすれすれで通りすぎ、空を切る。


 ユウキは素直に驚いていた。腕に自信があったわけではないが、こうもたやすく避けられると毎日欠かさず続けてきたトレーニングがばからしく思えた。


 ユウキはその恐怖を振り払うため、木刀を振り続けた。そして空振りしていくたびに、恐怖と焦燥が積み重なっていく。


 一瞬、ユウキの動きに乱れが生じた。


 ムサシはそこを見逃さなかった。


「メェン!」と素早く木刀を起こし、ユウキの脳天に木刀を叩きこんだ。もちろん、手加減をして。


 ユウキはその一撃をまともにくらい、崩れるように地面に倒れた。いくら手加減したとはいえ、さすがに気は失うあろう。


「ふん。たわいもない」


 決め台詞を吐いて木刀を肩に担ぎ、ムサシはユメを一瞥した。ユメはぽかんと口を開けたまま固まっていて、動く気配はなかった。


「勝者――」

「待て! まだ終わってない!」


 ムサシの言葉を遮りながら、ユウキはゆっくりと立ち上がった。頭から血を流し、それが目をつたって顎のあたりまで筋を作っていた。血がぽたぽたと地面に落ちていく。


「勝ち目があると思っているのか?」

「あるさ。最後まで諦めなければね」ユウキは不敵な笑みをこぼした。

「さすが。勇者はいうことが違うね」


 二人はそこから一気に剣戟へと突入した。カンカンという弾ける音が幾度も空に響きわたる。


 一見、二人は対等に渡りあっているようにみえるが、実際はそうではない。少しずつユウキの体に裂傷が走り、体がボロボロになっていく。


 ユメがなにか叫んでいたが、それでも二人は止まらない。


「大事な大事なひめさまが嘆いているぞ。もう降参したらどうだ?」

「冗談じゃない。僕は諦めが悪いんだ。それに――僕は昔から逆境に強いたちなんだ」


 ムサシは鼻で笑い飛ばそうとした。


 だが、ここで奇妙なことが起きた。本当に、ユウキの木刀をふるスピードがどんどん速くなっていくのだ。まるで毎秒レベルアップしているかのようだった。

 ムサシは歯を食いしばりながらそれに対抗するが、徐々に押されぎみになる。それに息もあがってきていた。


「なんだいムサシ? もう終わりかい?」


 まるで部活帰りの少年のように清々しいほどの汗を垂れ流しながら、ユウキは眩しく笑っていた。いうならば彼は太陽のようだった。


「ま、まだまだぁ!」


 ムサシは負けじと心を奮いたたせ、一心不乱に木刀をふるった。そのおかげか、二人は互角の勝負をくりひろげていた。


 ユメはそれを半泣きになりながら、両手を胸の前でぎゅっと握りみつめていた。まるで息子のかけっこを見守る母親のようだった。


「これが最後だよムサシ! 僕は全身全霊をかけて君をたおす!」

「は! 上等だよ!」


 ユウキの木刀のスピードがあがったことにより、ムサシもまた傷ついていた。二人は満身創痍で向かい合う。


 二人は同時に地を蹴った。そして二人の木刀が交差し、バツ印を宙に刻んだ。

 一瞬の静寂が訪れて、一陣の風が吹く。なんだか昔の人情劇をみているかのようだ。


 パキンと何かがひび割れ、弾ける音が響いた。そして一人が崩れるように地面に倒れ伏した。その様子を、ユウキは満足げに眺めていた。


 ユウキは拳を掲げた。


「僕の勝――」


 その瞬間、なにかがユウキの脳天を直撃した。それはとても硬く、ユウキは一瞬で意識を失い彼もまた地面に倒れた。


「こ、これは一体どっちの勝ちなのかしら?」


 地面に倒れる二人を交互にまじまじとみつめながら、ユウキのそばに落ちているある者を拾い上げた。


 それはムサシが持っていた木刀の破片である。それがユウキの頭に降り注いだのだ。


「これはそうね……引き分けかしら」

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