世界の行方 1

 目を開けても閉じても見える景色は変わらなかった。


 ムサシはなにがなんだか分からないまま、取り敢えず上体を起こした。手のひらにひんやりと冷たいごつごつした感触が伝わっててきて、思わず手を仰け反らせた。


 そしてムサシは手を大きく広げ、周りを探り始めた。すると、後ろにもごつごつした感触があり、それを頼りにしてムサシは立ち上がった。


 なんとも真っ暗な世界が広がっていた。目を開閉しても何も変わらないほどだ。


 ムサシはとてつもなく孤独を感じた。きっとこの真っ暗な世界に閉じこめられているせいだろう。そして気付けばムサシはミカのことを考えていた。


 ムサシは手を開閉した。もし、あのときミカの手を掴むことができれば、未来は変わったのだろうか。それを考えるだけで、ムサシはもやもやとした気持ちになった。全部この暗闇のせいだ。


 ムサシは少しでも気を紛らわせるため、壁に触れながら歩くことにした。無音の世界に足音が木霊する。どうやらここは洞窟のような場所みたいだ。ムサシは少し安心した。


 しばらく歩くと、何やら先の方に光が漏れ出しているのが見えて、ムサシは気付けば早足になっていた。


 するとその時、なにやら光と一緒に声も聞こえてきた。女の声だった。


「いや! やめて! 離して!」


 女は声にならない悲鳴をあげていた。ムサシはその声に導かれるようにしてその光へと突き進んでいく。


 また声がした。今度は男の声だった。


「くくく。こんなところで叫んだって誰も助けにこねぇよ」


 ごつごつした岩のような声と共に、下卑た笑い声が洞窟内に響き渡る。男は二人以上いるようだった。ムサシは気付けば走り出していた。


 光の先は、開けた場所だった。そして光の正体は、壁にへばりついていた淡く黄色い結晶だった。


 ムサシは最初、その結晶に目を奪われてしまった。けれど慌てて視線を中央に戻す。


 そこには盗賊のような格好をした男たちがにやにや笑いながら一人の女をみつめていた。その目は明らかに下心丸出しだった。


 ムサシは視姦されている女に目を移した。そして――電撃が迸った。


 女は平たくいうと全裸だった。そうはいっても服がビリビリに引き裂かれ、体がほぼ剥き出しになっているという意味であって、決して生まれたままの姿ではない。


 それでもムサシにとってはとんでもない光景だった。もし今、天地がひっくり返っても鼻で笑うことができるはずだ。それくらいムサシは心が動いていた。


 なぜそんなにも心が動くのかというならば、無論初めて女の全裸――のようなもの――を見たからだ。十六歳のムサシからしたら、それは体に電撃が迸るのと差異はない。


 ここでいっておくと、性欲の扉の中の女は、見たというカテゴリに入らない。何故ならあの女たちにはリアルさがないからだ。


 所詮あそこは性欲の扉であり、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。例えるなら三次元のアダルトビデと同じだ。


 ムサシが色々な面で硬直していると、頭にターバンを巻き、腹巻きをして、短剣をぶらさげたアラビアンナイトのような盗賊は、やがてムサシに気が付いた。


「お前、こんなところで何してんだ?」


 立ち位置、物言い、体格からして、恐らくリーダーに違いない男が、睨みをきかせてムサシを見据えた。


 その視線は何かを物色しているかのようで、ムサシは居心地の悪さに身をすくめた。


「俺は……その……たまたま迷いこんだんだ」

「こんな辺鄙な洞窟にか?」


 リーダーはムサシの言葉を鼻で笑い飛ばした。つられて手下も笑う。


「そ、そんなことより! こんなとこで青姦なんてするなよな!」


 リーダーは一瞬ポカンとしたあと、豪快に破顔した。


「青二才が蒼い顔して青姦だとよ! こりゃ傑作だ!」


 リーダーが自慢げにそう言って胸を張ると、手下たちは慌ててリーダーを囃したてる。どこからか持ってきた花びらがリーダーの頭上を舞う。


「それにしてもこいつの身なり、綺麗すぎる。お前ら、こいつ、剥いどけ。なにか出てくるかもしれん」

「任せてくださいよ兄貴。こんなもやし一捻りですよ。なぁ兄弟?」

「おうともよ兄弟。兄貴の手を煩わせることはしません」


 リーダーをとりまくようにして、取り巻きが二人、へらへらと笑いながら歩み寄ってきた。顔が似通っているので、本当に兄弟なのだろう。


 取り巻き二人はかなりの悪人面だった。深夜に元世界をうろうろしていたら必ず職務質問を受けそうだ。女受けもたいそうよくないだろう。


「かわいそうに……」とムサシは呟いた。


 取り巻きが不機嫌そうにムサシを見た。聞こえてはなかったようだ。


「きをつけろよお前ら。こいつ、なんか嫌な匂いがする」とリーダーは提唱した。

「大丈夫っすよ! 任せてください!」

「そうっすよ! こんなやつ相手にもなりませんよ!」


 二人は意気揚々とその場を駆けだした。走り方もそっくりだった。


「さて……」ムサシは一息ついた。


 ムサシは今、高揚感と疑問と好奇心で覆いつくされていた。


 ムサシはこの異世界で最弱なのか最強なのか。はたまたごく普通の凡人なのか。それを試すのがこの乱闘だ。なんだかレールの上を歩かされているような気がした。


 だが、ムサシの胸の高鳴りは強くなっていくばかりだ。


「おらぁ!」


 取り巻きの一人――以下取り巻きA――がムサシに殴りかかった。喧嘩慣れしているのか、動きはとても軽やかで俊敏だった。


 ムサシはそれを目で追いながら、その拳をかいくぐり、取り巻きAの懐に潜りこんだ。その素早さは、取り巻きAが一瞬ムサシの居所を見失うほどだった。


「は!」ムサシはがむしゃらに拳を振りぬいた。風を切るような音がした。


 ドゴン! と重たい音が洞窟に木霊する。続いて取り巻きAがうめく声が聞こえ、そして次の瞬間、その体が宙に浮き、奥の壁にふきとんだ。


 ドン! と壁に叩きつけられる音が響き、そしてその場は静まりかえった。


「はぁ……?」


 もう一人の取り巻き――以下取り巻きB――が、その様子を呆然とみつめた。なにが起きたのかわからないような顔をしていた。


 それはムサシに関しても同じだった。たった一撃、無造作に振った拳が、あんなに強力なものになったのが信じられなかった。


「お、お前――人間か?」


 取り巻きBの表情が変わった。明らかにムサシに対して恐怖を示している。


 だが、それも束の間、取り巻きBは腰にさしていた短剣を引き抜くと、ムサシに向けた。そして顔が薄気味悪くにやけた。


「こんなことしてただですむと思うなよ!」


 取り巻きBは悪辣に笑ってムサシの頭上に高く跳躍した。そして短剣を上にかざし、思い切りムサシめがけて振りぬいた。


 ムサシはやっとのことで反応をしたが、そこに逃げる時間は存在していなかった。鈍く、そして妖しく光る短剣をみつめて、彼は無意識に腕を前にだして身を守ろうとした。それが愚かな行為だとわかっていながらも。


「ばかが!」


 取り巻きBの腕が振りぬかれた。そして響き渡る耳をつんざくような金属音。そして何かがパキンと折れる音。


 カランカランと何かが地面を叩き、音を鳴らしながら滑っていく。


 その光景を、二人は固まったまま、しばし眺めていた。


「な……嘘だろ!」


 取り巻きBが中ほどからぽっきりと折れた短剣をまじまじとみつめた。視界の端にその折れた破片が地面に転がっている。


 取り巻きBの体が震えた。そして恐怖心に呑みこまれたような顔をして、ムサシを見やった。彼には傷一つついていなかった。


「ば、ば――化物!」取り巻きBが叫んだ。折れた短剣を放って、彼はゆっくりと後ずさった。


 ムサシはただ唖然としていた。一体なにが起きているのか、彼の頭の中は踏み潰されたトマトのようにぐちゃぐちゃだった。


「お前は人間じゃない! 人間の皮を被った化物だ! いや――悪魔だ! 一体なにが狙いだ!」取り巻きBは額に汗をたらしながら必死に言葉を浴びせる。


 ムサシはそれをうすぼんやりと聞きながら、やがて拳を固く握りしめた。


「俺は……俺は化物でも悪魔でもねぇよ!」


 ムサシが気付いたときにはもう、拳が躊躇なく前へ飛び出そうとしているところだった。ムサシはそれを心の中で客観的に見ていた。きっとこの本気の拳をくらったら、取り巻きAより大変なことになるなと、ムサシはぼんやり思った。


「ひぃ!」取り巻きBは泣きそうな声をあげて、その場に尻もちをついた。目には涙が溜まっていた。


 ぺちんという可愛らしい音が聞こえた。それは小さい女の子が大人に殴りかかるときのような音だった。


「へ?」取り巻きBはあっけにとられた様子で、ムサシをみつめた。


 ムサシも同様だった。吹き飛ばなかったこともそうだが、全力で殴ったにしては威力が足りなすぎる。またもやムサシは混乱した。


「おい兄弟。ずらかるぞ」


 野太い声が聞こえて、ムサシは我に返った。


 取り巻きBの前に、いつの間にかリーダーが立っていた。脇には竿に干された洗濯物のように、取り巻きAが抱えられていた。その目は、ギロリとムサシを睨んでいる。


「い、いんですか?」

「あぁ。あの男の気が変わらないうちにな」


 リーダーはへたりこんだ取り巻きBに手を伸ばし、引き上げると、そそくさとその場をあとにした。


 その三人が暗闇にまぎれる直前、取り巻きBがふとムサシに顔を向けた。そして「おぼえてろよ」と吐き捨てて、その姿は完全にみえなくなった。


 ムサシはほっとした。体の力が一気にほぐれ、ムサシは地面にぺたんと座りこんだ。長いようで短いひとときだった。


「あの……」


 そのときふと女の声がした。


 ムサシはそこでようやく一人の女が捕まっていたことを思い出し、パッと振り向いた。


 そしてあろうことか、そのまま彼女を黙ってみつめた。それこそ食い入るように。


「そんなに……じろじろ見ないでいただけますか?」

「――あ!」


 ムサシは我に返り、猛然と彼女から目をそらした。そして身振り手振りで誤解を解こうとする。


「ち、違うんだ! これはただ眺めてただけで深い意味はない! でもその代わり深いわけがあるんだ!」

「深いわけ?」

「そう! これには深いわけがある! あのマリアナ海溝にも匹敵するほどの深い深いわけが!」

「それは俗にいう男のロマン的な?」

「そういうことだ! 君の体にはロマンが――って違う! そういうわけじゃない!」


 必死に顔をそらしながら手をばたつかせ、あくせくしている姿をみて、彼女は薄く笑った。


「とりあえずこの鎖、ほどいてくれませんか?」



 ムサシは今、目隠しをしている。一体この目隠しはどこからえてきたのか、それはいま問題ではない。


 問題なのはこの絵面だ。


 目隠しをしてそろりそろりと歩く男児と、鎖に縛られ緊張した面持ちの女。こんな光景、シュール以外のなにものでもない。


「変なところ触らないでくださいね変態さん」

「誰が変態だって!」


 冒頭からどうしてこんな羞恥的なプレイをしているのか、ムサシはそんなことを考えずにはいられなかった。


 ここで――


「きゃっ! どこ触ってるんですかこの変態!」


 となるようなことは起きなかった。そんな艶めかしい演出は、妄想だけで十分だ。


 ムサシは彼女の助言を聞きながら、鎖をほどいた。じゃらじゃらと鎖が地面に落ちる音が響きわたる。


 そしてそのあと、解放された彼女はムサシの服をはぎとり、それを上から羽織った。


「もういいですよ」


 言われてムサシは目隠しをとり、彼女をみた。彼女は上からだぼだぼの服を着て、こちらを向いていた。その姿は、中々エロティシズム溢れる格好だった。


「嫌な視線を感じるわ。やっぱりあなた変態ね?」

「違うよ! どちらかというとそっちの方が変態だからな! 服装だけみたら!」

「? これのどこが変態なのよ?」


 女にはわからない感覚らしかったので、ムサシは説明をやめて改めて彼女をみた。


 少しカールした金髪が、まとわりつくように肩甲骨まで伸びている。髪は汚れて艶はないが、洗えばまるで絹糸のようにさらさらに、艶めかしくなるだろう。


 彼女の見た目は一言でいうならば可愛い系女子。細目で垂れ目な彼女には愛嬌があり、元世界ではぶりっ子だといわれるかもしれない。


 体型はすらとしているが、ムサシの服からいまにも飛び出してきそうな胸は、きっと綺麗な形をしているに違いない(現にそうだった)。


「ねぇ、あなた名前は?」

「あぁえっと――ムサシ。ムサシっていうんだ。そっちは?」

「私の名前はユメといいます。そして、遅くなりましたが助けていただきありがとうございます――変態さん」

「いやちげーよ! 俺の自己紹介返せ!」

「お似合いなのに?」

「いやどこが!? ていうか変態に似合う似合わないがあるか!」

「まぁそれは置いておくとして」

「できれば忘れてくれ」

「私はこの洞窟を抜けたいのですが、帰り方がわからないのです。なので、力を貸してくれませんか?」

「はい喜んで!」ムサシは諸手をあげて了承した。

「…………」

「あれ? もしかして惹いた?」

「えぇ。引きました」

「俺のプラス思考にひかれた!」

「変な言葉遊びをしないで! もういいです! 私ひとりで帰ります!」


 ユメは肩をいからせながらずんずんと暗闇の奥に進んでいく。だが、すぐに立ち止まって後ろを振り返った。


「ゆ、許すので早く先導してもらえますか?」

「道がわからないんだよな?」

「……はい」

「わかった。任せとけ」


 ムサシはユメの手をぱっと取った。一瞬びくっとしたユメだったが、大人しく後ろをついてくる。


「ねぇ、変態さん」


 ふとユメがムサシに声をかけた。


「ん?」

「道、知ってるんですか?」

「いや、知らん」


 ムサシはおもいきりぶん殴られた。



 この洞窟はまるで迷路のようにいりくんでいた。蛇がとぐろをまくようなうねった道もあれば、まっすぐな道もある。かと思えば、二つ三つの分かれ道に突き当たる。そしてその中のはずれが行き止まりだった。


 そんな迷いの洞窟に、いまムサシは手を引かれる形で歩いている。手を引くのはもちろんユメだ。犬のリードのようにムサシの手首をつかみ、黙々と歩いている。


「あ、あのぉ……ユメはなんでここに?」


 息が詰まりそうな雰囲気に耐え切れなくなり、ムサシはそろりそろりとユメに聞いた。


 ユメは間をあけてこう答えた。


「むりやり連れこまれたのよここに。それより、変態さんこそどうしてここに?」

「え?」


 ムサシは墓穴を掘ったことにたった今気がついた。ユメがそう聞き返すのは自然な流れだ。


 だが、ムサシにとっては肝が冷える質問だった。


 ムサシはとっさに言葉を探した。


「俺はさ――き、記憶喪失なんだよ!」

「記憶喪失!? それ本当なの?」

「あ、あぁ本当だよ。信じてくれ」


 ムサシは我ながら嘘くさいセリフを吐いたなと思ったが、そううまく言葉というのはでてこないものだ。


 案の定、ユメは急に黙りこんでしまった。もしかすると、ムサシの嘘を見抜き、怒りで身を震わせているのかもしれない。そう考えると、ムサシは血の気が引いてきた。


 だが、そうではなかった。


「そう………だったんですね。私、てっきり変態さんはどこかの武闘家かと思っていました」

「武闘家って……ていうかこの話信じるのか?」

「え? 嘘ついてるんですか?」

「いやそういうわけじゃないけど、信じてもらえるとは思わなくて」

 するとユメは立ち止まり、こちらを振り返った。

「変態さんは変態ですけど嘘つきにはみえないわ」

「変態なのは変わりないんだな」


 そこからは二人は無言だった。


 そして道なき道をひたすら歩き続けると、終わりを告げる光が二人の顔に差しこんだ。二人はおもわず目を細める。


 眼前には、出迎えるように階段が連なっており、光の先へと続いている。出口で間違いない。


「さ、行きましょムサシ」


 ユメが急かすように腕をぐいっと引っ張った。ムサシはよろけながら小走りになる。


 一体この出口を抜けた先に何が待っているのか、ムサシは想像してみた。


 みたことない草花や建物、異世界に必ず存在する魔物、そしてお約束の魔法という超能力。それはムサシに何をのたらすのか。


 気付けばムサシはユメを追い抜かしていた。ユメは驚いてなにか言っているが、ムサシには聞こえなかった。


「ちょっとムサシ速すぎ――!」


 ユメは必死に走ったが、追いつかなくなった。そう思った瞬間、彼女の体は宙に浮いた。


「えぇ!?」


 ユメの悲鳴にようやくきがついたムサシは、ふと後ろを向くと、眼前にユメの泣き叫ぶ顔が現れ声をあげた。


 その瞬間、ムサシは階段に足をとられた。


「「うわぁぁ!」」


 余りあるほどの勢いに乗っていた二人は、一気に揉みくちゃになり、まるで吐き出されるように外へとすっ飛んだ。


 ムサシは宙を舞いながら思うのだ。


 どうなることやら、と。

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