第4話
「なあ智也。去年みたいに、杏ちゃんと勝負したらどうだ」
おっちゃんのその言葉で、私と杏は勝負することとなった。お椀と掬いを手渡され、水槽の前に私と杏は屈んだ。
「私にできるかな」
と杏は呟いた。
「大丈夫だよ。杏は金魚すくいが得意だったから」
私は照れくさそうに言った。
「こいつ。去年、杏ちゃんに負けたんだぜ」
おっちゃんが茶化して、ゲラゲラと笑った。
「そう、なんだ」
しかし杏は複雑そうな表情をした。やはり杏は覚えていないのだろう。もしかしたら、申し訳なく思っているのかもしれない。
「よし、じゃあ……」
と杏は掬いを振りかぶった。
「てやっ!」
杏の声が響く。そして水しぶきが跳ねる。
「わぁ! 見て見て、2匹も掬っちゃった!」
そう言ってはしゃぐ彼女のお椀には、確かに2匹の金魚がいた。
それは偶然にも、去年の出来事と重なっていた。それに気付いた私は、途端に悲しくなってしまった。
「結局、負けちゃったな」
私は呟いた。勝負は私の敗北で終わった。杏は記憶を失っても尚、金魚掬いが上手かった。
「ねえ、次はあれやりたい!」
杏は射的の屋台を指差した。
「良いぜ。行こう!」
繁はそう言うと、杏の手を引いて射的の屋台へ向かう。
「待って!」
私は追いかけて、しかし立ち止まってしまう。嬉しそうに笑う、繁と杏。二人の頬は仄かに紅い。
「なーに立ち止まってんだ」
おっちゃんが見かねて、声を掛けてきた。
「二人はお似合いだなって」
そう口にすると、悲しみがこみ上げてきた。
「まあ、否定はしねえけどよ。でも会いたかったんだろ? 構わず行っちまえよ」
「うん、そうだね」
私は二人がいる射的の屋台へ駆けて行った。
「ほら、こうやって構えるんだよ」
繁は杏の後ろから、彼女の両肘を支える。
「う、うん」
杏は照れくさそうに返事をした。私から見ても、杏の背中と繁の胸が密着しているのが明らかだった。
*
「じゃあ、また明日な」
繁は私に言った。一日目の夏祭りが終わり、私たちは山を下りた先で別れることとなった。
「じゃあね。智也君」
繁の隣に立っている杏が言った。杏は今日も繁の家に泊まるようだ。
「うん。また明日」
私がそう言うと、二人は並んで去って行く。
祭りの明かりは遠く、周囲は暗かった。虫の音がリンリンと鳴り響く中、私はその二人の背中を見つめる。
楽しそうに話している二人。杏はもしかしたら、繁のことが好きなのかも知れない。
悔しいとか、悲しいとか、様々な感情が湧き上がっていた。だって杏が行方不明になる前に私が告白していたら、杏の隣にいたのは私だったかも知れないのに。杏は繁のことを好きにならなかったかも知れないのに。
杏は私といて欲しかった。でも繁が告白して二人が付き合ってしまったら、もうそれは叶わないのだろう。
そうなってしまうのなら、杏は行方不明のままで良かった。
行方不明のまま、杏の時間さえも止まってしまったら良いのに。
当時の私は、そんなことを思っていた。
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