第1話
窓枠にぶら下がっていた風鈴が、リンリンと鳴っていた。窓枠に切り取られた景色は、木々と団地と、そして広大な海が切り取られている様だった。
「
一階にいる母親の声が、二階の私の部屋まで響いてきた。我が家は家の事情により、近々引っ越す予定だった。私は今日の昼間の間に引っ越しの準備を終える代わりに、此処の最後の夏祭りを遊んで良いという約束だった。
「うん。終わったよー!」
私はそう返事をした。そして勉強机に置いてあった写真立てを見る。そこには私の姿と、杏という女の子の姿があった。仲睦まじく並んで写真に写っている。その写真を見た私は、少し悲しくなってしまった。
「智也、こっちにいらっしゃい」
母親が私を呼んだ。私は部屋を出て、黒焦げ茶色の木の廊下をミシリミシリと歩き、同じ素材の階段を降りた。ガラスが張られた引き戸を開いてリビングに入ると、母親が私にお小遣いを差し出してきた。
「一人なのに、良いの?」
と母親は言った。心配している様な声色だった。
「うん。大丈夫」
私は簡潔に返事をして、そのお小遣いを受け取った。
「ちょっと早めに出るよ」
私はそう言って玄関に行く。そして靴を履き、簡単に蹴破れそうな程にボロい玄関の引き戸を、ガラガラと開けた。
*
昼過ぎであったが、外はまだ明るかった。私はのんびりと祭りの会場へ向かうことにした。
山の方に神社があって、そこが祭りの会場だった。山の
まだ外は明るいから、提灯は点いていない。しかし屋台の準備はほぼ終わっていた。
「おう、智也!」
ガラガラ声が私の名を呼んだ。声の主は金魚すくいの屋台を構えていた。手ぬぐいをグルグルに捻って額に巻いており、紺色のシャツはタンクトップの様に袖を捲っていた。肌の色が真っ黒なのは、日焼けの所為だろう。
「おっちゃん!」
私はおっちゃんに近寄った。おっちゃんは私が近寄ると、神妙な面持ちで見てきた。
「智也。杏ちゃんのこと、吹っ切れたか」
尋ねるおっちゃんの顔に、笑みはなかった。
「うん、まあ」
と私は歯切れ悪く答える。
「そうか。まあ、ここに来たってことは、そうだよな!」
おっちゃんは不安を吹き飛ばすかの如く、ニカッと笑った。
私は金魚すくいの装置を見た。楕円の水槽には水が張っていて、波紋を映しながら揺らめいている。赤や白や黒の無数の金魚たちが、その水槽を回る様に泳いでいた。
ふと、杏の幻影が見えた。杏は金魚の浴衣を着ていた。確か金魚の浴衣を着ていたから、金魚すくいをしようと言い出したのだ。杏は水槽の前に屈んで、紙が貼られた
「てやっ!」
杏の声が響いたかと思えば、おはじきの様な水しぶきが跳ねた。水滴は金魚の模様を乱反射していた。
「ふっふん、見てよトモちゃん。2匹も掬っちゃった!」
杏のお椀には、宣言通り2匹の金魚がいた。
そんな幻影が、見えた。
「杏ちゃんがいなくなって、もう一年か」
おっちゃんの声に、私は我に返った。
「女の子が一人いなくなったっていうのに、時間は変わらず進んでいくってんだから、不思議なもんだよなあ」
「うん。そうだね」
おっちゃんの呟きに、私は同調した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます