第1話

 窓枠にぶら下がっていた風鈴が、リンリンと鳴っていた。窓枠に切り取られた景色は、木々と団地と、そして広大な海が切り取られている様だった。


 たたみに敷かれた座布団に座っている私は、それをボーッと眺めていた。窓は開いていて、風鈴が鳴ると共に風がふき通ってくるのだった。


智也ともや、引っ越しの準備は終わったー?」


 一階にいる母親の声が、二階の私の部屋まで響いてきた。我が家は家の事情により、近々引っ越す予定だった。私は今日の昼間の間に引っ越しの準備を終える代わりに、此処の最後の夏祭りを遊んで良いという約束だった。


「うん。終わったよー!」


 私はそう返事をした。そして勉強机に置いてあった写真立てを見る。そこには私の姿と、杏という女の子の姿があった。仲睦まじく並んで写真に写っている。その写真を見た私は、少し悲しくなってしまった。


「智也、こっちにいらっしゃい」


 母親が私を呼んだ。私は部屋を出て、黒焦げ茶色の木の廊下をミシリミシリと歩き、同じ素材の階段を降りた。ガラスが張られた引き戸を開いてリビングに入ると、母親が私にお小遣いを差し出してきた。


「一人なのに、良いの?」


 と母親は言った。心配している様な声色だった。


「うん。大丈夫」


 私は簡潔に返事をして、そのお小遣いを受け取った。


「ちょっと早めに出るよ」


 私はそう言って玄関に行く。そして靴を履き、簡単に蹴破れそうな程にボロい玄関の引き戸を、ガラガラと開けた。





 昼過ぎであったが、外はまだ明るかった。私はのんびりと祭りの会場へ向かうことにした。


 山の方に神社があって、そこが祭りの会場だった。山のふもとから長く高い石の階段が伸びている。その階段を登りきると大きな鳥居が立っている。そこから拝殿まで石の床が伸びていて、それに沿って屋台や提灯が配備されていた。


 まだ外は明るいから、提灯は点いていない。しかし屋台の準備はほぼ終わっていた。


「おう、智也!」


 ガラガラ声が私の名を呼んだ。声の主は金魚すくいの屋台を構えていた。手ぬぐいをグルグルに捻って額に巻いており、紺色のシャツはタンクトップの様に袖を捲っていた。肌の色が真っ黒なのは、日焼けの所為だろう。


「おっちゃん!」


 私はおっちゃんに近寄った。おっちゃんは私が近寄ると、神妙な面持ちで見てきた。


「智也。杏ちゃんのこと、吹っ切れたか」


 尋ねるおっちゃんの顔に、笑みはなかった。


「うん、まあ」


 と私は歯切れ悪く答える。


「そうか。まあ、ここに来たってことは、そうだよな!」


 おっちゃんは不安を吹き飛ばすかの如く、ニカッと笑った。


 私は金魚すくいの装置を見た。楕円の水槽には水が張っていて、波紋を映しながら揺らめいている。赤や白や黒の無数の金魚たちが、その水槽を回る様に泳いでいた。


 ふと、杏の幻影が見えた。杏は金魚の浴衣を着ていた。確か金魚の浴衣を着ていたから、金魚すくいをしようと言い出したのだ。杏は水槽の前に屈んで、紙が貼られたすくいを握って構えている。


「てやっ!」


 杏の声が響いたかと思えば、おはじきの様な水しぶきが跳ねた。水滴は金魚の模様を乱反射していた。


「ふっふん、見てよトモちゃん。2匹も掬っちゃった!」


 杏のお椀には、宣言通り2匹の金魚がいた。


 そんな幻影が、見えた。


「杏ちゃんがいなくなって、もう一年か」


 おっちゃんの声に、私は我に返った。


「女の子が一人いなくなったっていうのに、時間は変わらず進んでいくってんだから、不思議なもんだよなあ」

「うん。そうだね」


 おっちゃんの呟きに、私は同調した。

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