田舎と夏祭りと記憶喪失の彼女

violet

プロローグ

 ガタンゴトンと揺れ動く列車。車窓からは青い空と白い雲。そして緑豊かな山と、青く煌めく海が見えた。


 やがて列車は停車した。プシュウっという音と共に、ドアが開く。するとムワっと外の熱気が車内に入り込んできた。その入り込んできた熱い空気が肌に触れて、私は真夏の暑さを再度実感するのだった。


 手荷物を持って列車を降りた。田舎だけあって相変わらず小さな駅だ。アスファルトで固められたホームが長く作られていて、その上にチョコンと小屋とも言うべき小さな建物が建っていた。実はその中に駅員室と改札があるので、私はその中へ入った。


 駅員は私に見向きもしない。相変わらず、此処ここの人たちは冷たい。


 駅を出て、私は周囲を見渡した。田んぼと整備された道が続いていた。その先の遠くに海があって、私の後ろには山があった。山の斜面は段々畑になっている。わさびか何かを栽培しているに違いない。


 蝉の鳴き声は喧しい。しかし耳を澄ませば、田んぼに沿って引かれた用水路から、せせらぎの音が聞こえてくる。清涼感のあるその音は、真夏の世界にほんのちょっとの涼しさをもたらしてくれた。


 実家は標高の高い場所にあった。その道中は坂になっていて、海が一望できた。目を凝らして見れば、海鳥が数羽飛び交っている。近くに行けば、きっと鳴き声も聞こえるのだろう。


 何人か付近に住んでいる老人とすれ違った。暑い中、畑仕事で疲れていたのだろう。私には見向きもしない。


 歩いていると、山の方が提灯ちょうちんや屋台で賑わっていることに気がついた。毎年この時期になると夏祭りを3日間行うのだ。祭りの最後には、あの海にポツリと浮かぶ孤島から花火が盛大に打ち上げられる。


 私は、此処の夏祭りが大好きだった。


 その夏祭りは今でも続いていた。私がいなくても、夏祭りは続いていく。世界とはそういうものだ。私が知らないものが、私が知らない間に増えていく。それは好きな人であっても例外ではない。


あんず


 私は好きな子の名前を呟いた。それは昔、大好きだった夏祭りでの出来事であった。

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