第18話 説得

 お茶会の帰り道、私は王宮の傍の大聖堂に足を運んでいた。

 改めて、光の精霊から闇の精霊について、詳しく聞きたいと思ったからだ。


 本来なら下町の礼拝堂で静かに精霊と向き合いたかったけれど、街行きは父様から禁止されている。

 他の貴族にのぞき見られる危険があるので、できればこの大聖堂は避けたかった。でも、今はそんなことを言っていられる状況じゃない。




 参拝者が少ない時間帯を狙ったので、幸いにも聖堂には私だけ。

 私はひざまずき、光の精霊に祈りを捧げた。


 私の声に応えて、光の精霊の思念が私の脳裏に語りかけてくる。


『ナターリエ……。身体は大丈夫かしら?』

「はい、精霊様のおかげで、特に悪影響は受けなかったようです」

『そう……。それは良かったわ』


 精霊のホッと安堵する声が聞こえた。

 どうやら、ずいぶんと心配してくれていたようだ。


「それで……。精霊様に、もっと闇の精霊について――」

『聖女になりなさい』

「えっ?」

『改めてあなたに告げます。聖女になりなさい、ナターリエ』


 有無を言わせぬといった勢いで、精霊は私に迫ってきた。


 以前に同じ問いかけをされた際は、ここまで精霊は強引ではなかったはず。

 闇の精霊の影響が、光の精霊にとっては看過できないほどに強くなってきたのかもしれない。


『このままでは、闇の精霊にいいようにこの国を荒らされてしまいます。そのような事態、見過ごせません』

「それで、わたくしが聖女にと?」

『えぇ、そうです。闇の精霊に対抗するには、あなたが聖女になり、私の光の加護をより効果的に引き出せるようにするしか、手がないのです』


 精霊の言葉を聞き、私は改めて心に決める。

 聖女になって、私に為せることを為さなければ、と。


 エリアス殿下は、すでに闇の精霊に取り憑かれているかもしれない。

 先ほどのお茶会で、一時的に殿下の体内から黒いもやを追い出せたけれど、それで終わりだとも思えなかった。


 殿下の婚約者として、闇の精霊に対して王室内部からの抵抗を試みる。

 ……正直なところ、この選択肢は厳しそうだった。今の殿下に対しては、どうしたって信を置ききれない。

 またいつ、あの黒いもやに殿下の心を操られるか。


「決めました」


 精霊に向けて、私は誓った。


「わたくし、聖女になります!」




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 決断したからには、あとは実際に行動するのみ。

 私は屋敷に戻るや、父様との話し合いに臨んだ。


「……本気か、ナターリエ」

「はい、父様」


 父様は訝しんだような目つきで、私を見つめてきた。

 私は目をそらさず、父様の顔を見つめ返す。


「わたくし、聖女になると決めました。すでに、光の精霊様にもその旨伝えてあります」

「精霊様と対話ができるという話自体、私にはにわかに信じられないのだが……」

「事実ですわ。……わたくしは精霊様に祝福を受けております。顕現された精霊様にも、直に接しております」

「しかし……」


 父様は腕を組み、首を何度も横に振った。

 私の言葉に納得できない様子だ。


「このままでは、我が国は闇の精霊によって荒れてしまいます!」

「その闇の精霊についても、私は存在を怪しんでおるのだが……」

「確かに闇の精霊はいるのです! 放置をしていて良い問題ではありませんわ!」


 もどかしくなり、私はつい声を荒げた。

 父様は少し驚いたような表情を浮かべている。


 私の本気度が、少しは伝わったかな?


「それに、殿下の婚約者でいるよりも聖女でいるほうが、自分が自分らしく生きていけると感じているのです!」

「なっ……」


 父様は言葉を失い、目を大きく見開いた。


「とにかく、わたくしは決めたのです」


 一呼吸置き、私はおなかにぐっと力を込めた。


「わたくしは……わたくしは、すべてを捨てて聖女になります!」


 父様の望む私の生き方を、今はっきりと否定した。

 これでもう、後には引けない……。




 父様は考え直すよう、私に迫った。

 父様の立場としては、当然だと思う。もし私が父様だったとしても、同じ行動を取るだろうし。


 でも、私の考えは変わらない。

 もう、聖女になる以外には考えられなかった。


「聖女など、もっと身分の低いものがやるべき勤めだ」


 父様の説得が続く。


「おまえはクリムシャ侯爵家の長女だ。聖女にふさわしい人間ではない。もっと己の立場をわきまえるのだ」


 確かに、父様の言葉にも一理ある。


 代々、教会の聖女は平民の身分の者が務めてきた。

 貴族出身者もいるにはいるが、すべて下級貴族の三女、四女あたり。政略結婚も難しいほとんど平民と言っても差し支えがないような地位の人間ばかりだった。


 そんななかに、国内有数の大貴族であるクリムシャ侯爵家の長女である私が混じれば、場違いも甚だしいのは間違いない。

 でも、そんな身分差がなんだというんだろう。

 大切なのは、光の精霊からどれだけ愛されているか。この一点だけのはず。


 その点で、私ほど適任な者は、今のこの王国内ではいないだろう。

 私の選択は、間違っていないはずだ。


 このまま、父様の説得に応じて聖女を諦めるべき? 殿下の婚約者にとどまり続けるべき?

 ……うん、あり得ない。


 父様には悪いけれど、もう従えないんだ。


「身分なんか、関係ありませんわ! わたくし以外に、聖女にふさわしき者は――」


 父様の言葉を遮り、私は声を張り上げた。

 瞬間――。


 バシッ!


 右の頬に、衝撃を感じる。

 ……父様に、叩かれた。


「と、父様……」

「これ以上、愚かな発言は認めない」


 父様は低い声で私を怒鳴りつける。


 でも……。

 でも、私はもう、考えを変えるつもりはない。


「父様は……」


 私は声を震わせた。


「父様は、わたくしからユリウスを奪うだけではなく……今度は、わたくしの心までも殺すおつもりなのですか!」


 叩かれた頬が熱い。

 胸も、熱い……。


「ナターリエ……」


 父様は肩をすくめ、ため息を漏らした。


「何もかも、おまえのためだ。子供のおまえには、まだわからんのだろうがな」

「そんな……。そんなこと……」

「そんなこと、あるんだよ」


 幼い子供を諭すような口ぶりで、父様は私に声をかける。


 私はなおも反論しようとした。

 でも、言葉が出なかった。


 あぁ、いまここに、ユリウスさえいてくれたら……。

 どれほど、私の心は勇気づけられただろう……。


 考えの変わらない父様の姿を見て、私は泣きそうになった。


「それよりも、ナターリエ」


 父様は私の右肩に手を置いた。


「おまえには、先にやるべきことがあるだろう?」

「えっ?」


 やるべきこと?

 聖女になって闇の精霊に対処すること以外に、やるべきことってあるんだろうか。


「社交界に広まっている、悪女として噂……。まずはそれを、なんとかするんだ」


 父様は眉根をひそめ、低い声で私に言い放った。


「ですが……。ですが、それこそ闇の精霊の仕業ですので、聖女になるしか解決方法がありませんわ!」

「まだ、愚かな話をするのかっ!」


 肩に痛みが走った。

 父様が、私の肩に置いた手に、強く力を込めたようだ。


「いつまでも子供でいるんじゃない! 貴族家の娘としての務めを、しっかりと果たすのだ!」


 父様は、まったく私の話を信じようとはしなかった。


 父様の顔がぼやける。

 いつの間にか、私のまぶたには涙がため込まれていた……。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 結局、父様の説得は不調に終わった。


 こうもかたくなに拒絶する父様を見て、私は悩んだ。

 父様の理解を得た上で聖女になろうとする希望は、もう諦めるべきなのかもしれないと。


 小さい頃から厳しく育てられ、いろいろと辛い思いもしてきた。

 でも、私はそれでも、実家を、父様を愛していた。


 聖女になるためには、そんな実家をこのまま捨てなければいけないのだろうか。


 決められない……。

 私は、どうしたらいいの?




 父様になおも詰め寄られそうになる。

 心が定まらない私は、あわてて自室へと逃げ帰った――。

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