第19話 すべてを捨てるべきか、否か

 自室に戻った私は、ベッドに身体を放り投げた。


「このまま、すべてを捨てて聖女になってもいいの?」


 仰向けになり、はしたなく両手両足を広げながら、私は天井をぼんやりと見つめる。


 これ以上、父様といくら話し合ったところで、議論は平行線のままになると思う。

 聖女になるためには、実家でのなにもかもを捨てて、教会に逃げ込む以外なさそうだった。


「ユリウス……。こんな時、あなたならどんな言葉をかけてくれるのかな……」


 離ればなれになった従者の顔を思い浮かべながら、私はベッドのシーツをぎゅうっと握りしめた。


「孤独……。ひとりぼっちは心細いよ、ユリウス……」


 いくらこの場でつぶやいたところで、ユリウスに届きはしない。わかってはいるが、口に出さずにはいられなかった。




「……もう猶予はないわ。父様も、このまま黙っているわけはない」


 私の想いをぶつけた以上、父様も私に対して何らかの対処をしてくる可能性は高い。

 身動きがとれなくなる前に、決断をしないと。


「すべてを成り行きに任せて、父様に従うべき? それとも、実家と決別して教会に入るべき?」


 私の中ではすでに答えは出ている。

 聖女になる。それ以外にはない。


 でも、たった一人で、私は父様に抗えるのだろうか……。


 このままでは、魔女として殺される前に、父様に断罪されてしまうのではないか。実家の品位を貶める不肖の娘として。


「父様も貴族。いざというときは、たとえ実の娘であろうと……」


 這い寄る悪寒に、私は身体を震わせる。


 そのとき、ふと、傍机の上のあるものに視線が惹き付けられた。


「あっ……」


 手を伸ばし、そのあるものを取った。


 かわいらしい絵が描かれた、小さな包み紙――。


「あの平穏な日々こそ、私が本当に望むもの……」


 礼拝堂の孤児院でもらったクッキーの包み紙を見ていると、うれしそうにニコニコと笑顔を振りまいていた少女オルガの姿を思い出す。


 なんだか、私の背中を優しく押してくれるようだった。




 私はベッドから立ち上がり、窓際に移動する。


「迷っているわけにはいかない。一度した決断を、今さら反故になんてできないわ」


 窓にそっと指を這わせながら、大きく息を吐き出した。


「私にはもう、聖女になる以外に生き延びる道はないって、わかっているじゃないか!」


 父様に強く否定されて決意がぐらついたけれど、進むべき道はもうわかっている。


「もうすぐ、殿下の婚約者――私による聖なる祈りの日がやってくる。その場で、私は聖女になると宣言するんだ。公の場で宣言してしまえば、もう、父様でも止められない」


 聖女になれば、殿下の婚約者ではいられない。

 つまり、婚約者である殿下本人の前で、実質的な婚約破棄を告げるも同然だ。


 聖なる祈りの日には、多くの貴族も訪れる。

 いくら父様の権力を持ってしても、私の発言をもみ消すことはできないと思う。


 それに加えて――。


「きっとアルシュベタが、私を魔女だと罵るだろう。でも、もう殿下の婚約者ではないと私自らが身を引けば、状況は変わるはず。嫉妬心で私がアルシュベタに害を為しているのではないかという噂も、意味のないものになるはずだわ」


 過去に戻る前、私がアルシュベタの罠にはまり、魔女として捕らえられたのが、この聖なる祈りの日。


 今度は、あの女の思惑どおりにはいかない。

 光の精霊の加護の元に、アルシュベタの――闇の精霊の謀を、阻止してやるんだ。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 聖なる祈りの日が近づいてきた。

 やはりというか、社交界に再び妙な噂が流れ出す。


 アルシュベタが怪我を負い、その犯人が嫉妬に狂ったナターリエではないか、と。


 馬鹿馬鹿しかった。

 嫉妬に狂っているのは、アルシュベタのほう。


 私はもう、殿下の婚約者からは降りて、聖女になると決めたんだから。


「ユリウス、見ていてね……。たった一人だけれども……私は、私は、やるわっ!」


 決意も新たに、私は対決の日を待った――。

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