第16話 悪女の噂
とうとうこの日がやってきた……。
今日は三ヶ月に一度の、王宮での舞踏会の日だ。
私とエリアス殿下があの女――シェリー伯爵家令嬢アルシュベタと出会ってから、二回目の舞踏会……。
私自身は前回の舞踏会以来、アルシュベタと直接顔を合わせる機会はなかった。
殿下は、どうなんだろう……。
もしかしたら、どこぞの貴族との晩餐会なりで、顔を合わせている可能性もありそうだ。
殿下に確認しようにも、私は怖かった。アルシュベタの名を出した途端に、殿下が豹変するのではないかと。
最近の殿下が見せる不自然なまでの感情の変化が、私を不安にさせる。
今日も、私は婚約者として、殿下のエスコートを受けて舞踏会会場に入場した。
果たして、アルシュベタはどう出てくるだろう。
おなかにグッと力を込めて、私は気合いを入れた――。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
会は今日も、滞りなく進んでいった。
殿下とのダンスも終え、私は中二階のホスト用の席で、会場全体を見渡していた。
いつ、アルシュベタが殿下に接触してもいいよう、注意を怠らない。
しばらくの間、ドリンク片手に殿下の様子を窺った。
「やはり……。来たわね」
アルシュベタが殿下に近づいていく。
いきなり止めに入る真似は、悪手だと思う。
嫉妬に駆られて出しゃばる婚約者、などと誤解されるのは不本意だ。
少し、様子を見ようかな。
アルシュベタは今回も露骨なボディータッチをしている。
上目遣いで殿下に何か話しかけているようだが、どうせろくでもない内容だろう。
それにしても、なぜ周囲の人たちはアルシュベタを止めないのだろうか。
殿下には私という婚約者がいることを、誰もが知っているはずなのだから。
今のアルシュベタの行動は、公の場で淑女がすべきものではない。
一人や二人、苦言を呈する者がいてもいいではないか。
場の雰囲気が、アルシュベタの都合の良いものに作り替えられているような、なんともいえない違和感……。
そろそろ潮時だろう。
「わたくし自身が出向かねば、このままアルシュベタの思いどおりになってしまいそうですわ」
ドリンクをテーブルに置くと、私は意を決して立ち上がった。
さあ、いざ尋常に、勝負よ!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ごきげんよう、アルシュベタ様」
「あら、ナターリエ様」
「ナティー……」
私が声をかけると、アルシュベタは露骨に顔をしかめた。
一方の殿下は、前回の舞踏会と同様、少し困ったような表情を浮かべている。
アルシュベタに迫られているこの状況が、決して本意のものではないのだと殿下は私に訴えている――と信じたい。
でも、殿下は前回の舞踏会の時、態度を豹変させた前科がある。
用心するに越したことは無いと思う。
「以前にも指摘させていただきましたが、人の婚約者に対してそのような態度は、あまりにも無礼ではないでしょうか」
あくまで冷静に。
感情的だととられないよう、語調にあまり抑揚は持たせないよう注意した。
「でしたら、私の返答も同じです。あなたに、そんなことを言われる筋合いはありません」
アルシュベタは鼻で笑い、殿下の腕にしがみついた。
……やっぱり、この女とは相容れない。
でもダメ。ここで声を荒げてしまえば、それこそアルシュベタの思うつぼ。
深く息を吐いた。
心が落ち着いたところで、私はアルシュベタの目をしっかりと見据える。
「私は殿下の婚約者です。婚約者に色目を使うような輩にもの申して、いったい何が悪いのでしょう」
「そんな……。誤解ですわ、ナターリエ様」
アルシュベタはくねくねと身体を揺らし、殿下にしなだれかかった。
……この女、はしたないにもほどがある。
「私はただ、殿下と楽しくおしゃべりをしているだけです。ナターリエ様のおっしゃるような、やましい魂胆などありません」
悪びれもせず、アルシュベタは平然と言いのけた。
いったい、どの口がこんな世迷い言を並べるのか……。
「たとえあなたの本心がそうであったとしても、周囲で見ている者たちは、果たしてどうでしょうか。どう思われるかを考えて行動をなさるほうが良いと、老婆心ながら忠告させていただきますわ」
ここは、しっかりと正論をぶつけなければいけない。
冷静に、冷静に。
感情をあらわにして喚いてしまえば、やりとりを傍で見守っている人たちの私への心証が悪くなる。
「あら、そうかしら。むしろ、ナターリエ様こそ、周囲の反応をしっかりと確認されたほうがよろしいのでは?」
アルシュベタはニヤリと笑った。
「えっ?」
予想外の返しに、私は戸惑った。
周りを見回してみると……。
なぜか、皆が私を白い目で見ている。
「うそ、どうして……」
私は呆然と立ち尽くした。
ひそひそ声が聞こえる。「言い過ぎじゃないかしら、ナターリエ様」「もしかして嫉妬? 醜いわね」……などなど。
「周りが見えていないのは、果たしてどちらでしょうか?」
アルシュベタは勝ち誇ったように一笑する。
いったい、どうして……。
周囲に非難されるほど感情的になった覚えはない。
中二階のホスト席から眺めていた時に、アルシュベタがおかしな雰囲気を作っていると感じたけれど、この周囲の反応もそれが原因?
とにかく、この妙な空気を、どうにかしなければ……。
このままでは、私が悪者にされてしまいかねない状況だ。
私はどうすればいい?
考えれば考えるほど、アルシュベタが裏で何かを仕掛けているとしか思えない。
殿下の態度の豹変。周囲の人間の反応。どれも、普通ではあり得ないと断言できる。
なら、私は……。
「あなた、いったい何者なの?」
直接本人に問いただすまで。
アルシュベタだけに聞こえるように小声でささやきながら、彼女の腕をとろうとした。ところが――。
「きゃあっ!」
不意に、アルシュベタは悲鳴を上げ、床に大げさに倒れ込んだ。
「えっ?」
「ナティー! なんて真似をしているんだ!」
戸惑う私に、殿下が怒声をぶつけてきた。
えっ、えっ、いったい何が起こったの!?
周囲がざわめき立つ。
やっぱり嫉妬に狂ったのかやら、口で言い負かせないからって暴力はあんまりじゃないかやら、言いたい放題言われている。
……意味がわからない。
私はただ、アルシュベタの手に触れようとしただけ。
あの女が勝手に床に倒れたのに、なぜ私のせいになっているの?
「わ、わたくしはなにもやっておりません!」
声が震えた。
ダメだ、もう冷静ではいられない。
否定をしても、周囲の私を非難するささやき声は消えない。
「……君がそんな人間だったとは」
殿下が冷たい視線を向けてきた。
背筋が、ぞくりとする……。
「ナティー……、いや、ナターリエ。今日はもう帰れ。嫉妬に狂った君は見たくない」
殿下は吐き捨てると、床にへたり込んでいるアルシュベタに手を差し伸べた。
「殿下、ありがとうございます」
「いやなに、当然だ」
アルシュベタは殿下の手を取り立ち上がった。
その瞬間、アルシュベタが私に顔を向け、ニヤッと笑う。
おかしい。
絶対におかしい。
光の精霊の言うとおり、この女には何かがある……。
でも、今の私に手がかりはない。
今日はただ、負け犬としてすごすごと逃げ帰るのみだ……。
胸がぎゅうっと締め付けられ、苦しかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
悔し涙を流して退散した私に、後日、さらなる追い打ちがあった。
王都の社交界で、私がアルシュベタにたびたびひどい嫌がらせをしているのではとの噂が、流れ始めたのだ。
あの女はお人形なんかじゃない。魔女だったんだ!
まさに悪女と呼ぶにふさわしい振る舞い。なんと恐ろしい!
耳に入る事実無根な中傷の数々……。
私は衝撃のあまり、数日寝込む羽目になった――。
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