第15話 私は言いなりのお人形さん
エリアス殿下とのお茶会が始まった。
でも、私は裏の顔を喪失した衝撃から立ち直れず、殿下への関心を失っていた。
一度は聖女の道を本気で求めてしまった手前、いきなり殿下の婚約者に戻れと言われたところで、頭では理解していても心が対応しきれない。
とはいえ、形だけでも婚約者としてのお勤めは、果さないと……。
父様の求めるお人形に、戻らないといけない。私は、ただうなずくだけの置物なんだ。
私は顔を上げて、殿下に微笑みかけようと思った。
でも、できなかった。
顔がこわばって、口角が上がらない。
「ナティー、先ほどからどうした。心ここにあらずといった感じだが……」
殿下は小首をかしげ、私を見つめた。
「す、すみません。少々、私事で問題がありまして。殿下にご心配をおかけするなんて、わたくしは駄目な婚約者ですわ……」
つい、自嘲した。
いけないとは思いつつも、どこか殿下への対応が投げやりなものになっている。
殿下はわずかに眉根を寄せたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「まぁ、あまり無理はするな。誰しも、調子の上がらない日はある。しかし、次までには、元のナティーに戻っていて欲しいな」
私をいたわるように、殿下は優しい言葉をかけてくれた。
いけない。
せっかく殿下が私に心を砕いてくださっているのに。
ナターリエ、あなたはいったい何をしているの!
私は自分を叱りつけた。
殿下の気持ちに応えようと、私はもう一度笑顔を向けようと試みる。
しかし――。
「……気分が悪い。笑えないナティーの相手など、時間の無駄だな。今日はお開きだ」
殿下はぶっきらぼうに告げると、不機嫌そうに表情をゆがませた。
「えっ……?」
殿下の豹変に戸惑った。
そういえば、前もこのような事態に遭遇した気がする。
最近の殿下は、どこかがおかしい。
アルシュベタが、何か関わっている?
でも、証拠はない……。
殿下がこのような調子なのに、かつてのような言いなりのお人形に、戻ってしまってもいいのだろうか。
もし、殿下がアルシュベタの影響を強く受け始めているのであれば、お人形のままの私でいては、あの悲惨な過去を再びなぞりかねない。
かといって、私にはもう、精霊の加護もなければ、私を理解してくれるユリウスもいない。父様や教育係の言いつけを破るだけの勇気は、持てそうになかった。
お人形のままでいなければ、きっと心を保てないから――。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
十日ほどが経った。
また、殿下とのお茶会の日だ。
私は完全に心を閉ざし、お人形に戻った。
これ以上、父様を失望させられない。私を護ってくれるものなど、もう何もないのだから。
「またか……」
殿下は明らかに落胆していた。
元の私に戻って欲しいと言っていた前回の殿下の希望を、私が完全に無視した格好になっている。
反応も
「そういえば、今日もいないな、あの従者。……名はなんと言ったかな」
「ユリウスのことでしょうか」
「そうそう、そのユリウスだ」
殿下は、壁際に控えている私の従者をチラリと見た。
今日もユリウスではない者が私に付いてきている。
「ユリウスは……わたくし付きではなくなりましたので」
「そ、そうかっ!」
殿下は身を乗り出し、ホッとしたような表情を浮かべた。
なんだろう、殿下はユリウスがお嫌いだった?
そういえば、従者と目配せするなって怒られたことがあった気がする。
……もしかして、嫉妬?
まさかと思ったが、他に理由も思い浮かばない。
私は自分で思っている以上に、殿下から気にかけてもらっているんだろうか。
正直、よくわからない。
殿下は椅子に座り直し、また不満げな表情に戻った。
「なぁ、ナティー。君はまた、過去の君に戻るつもりなのかい?」
考え込む私に、殿下は問うた。
「私事で何があったかは知らない。けれど、私は意見を言ってくれるようになった君を、とても好ましく思っていたんだ」
「わ、わたくしは……。ただ、父様や教育係の……」
「そこに、本当の君はいるのかい?」
「っ!?」
息をのんだ。
まさか、殿下にここまで踏み込んでこられるとは……。
思いもよらなかった。
私は、どうすればいいんだろう。
もう過去の私には戻りたくない。これが、間違いなく私の本音だ。
でも、心の支えを失った私では、親の敷いたレールから外れる勇気など持てない。
「わたくしは……わたくしは……」
答えが出せなかった。すると、そのとき――。
「で、殿下!?」
殿下の周りに黒いもやが見えた気がした。
私は慌てて目をこすり、もう一度殿下の様子を窺う。
黒いもやは、消えていた。
あの不気味なもやは、何だったんだろう。
見間違い……ではないと思う。
「答えられない、か……。私の頼みを聞くつもりはない。つまりは、そういうことだな」
殿下は怒気をはらんだ声で、私を非難する。
「ち、ちが――」
「ふんっ! つまらん、勝手にしろ!」
私の言葉を遮り、殿下はイライラした様子で吐き捨てた。
そのまま席を立ち、自室へと消えていった。
私は一人、呆然と殿下の後ろ姿を見つめた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
お茶会の帰り、私は馬車に揺られつつ、車窓から街の様子を眺めていた。
ふと、あの顕現祭の日を思い出す。
光の精霊の祝福、子供たちの無邪気な笑顔、慕われる修道女、そして、私に微笑むユリウスの姿……。
次々と胸に去来する。
礼拝堂での心満たされる感覚、ユリウスとの他愛のない語らいの楽しさ。いずれも、忘れられない思い出だ。
……やはり、手放したくはない。
聖女になりたいとまでは、今は望まない。望めない。
でも、せめて、もう一度裏の顔の私は取り戻したい!
そのためには、私はいったいどうしたらいいのだろう。
順番に考えていく。
まずは、父様からの信頼を得なければ。
これがないと、礼拝堂への参拝に理解を示してもらうのは不可能だし、ユリウスを従者に戻すよう頼むことだってできない。
では、父様の信頼を得るには、どうすればいい?
殿下からの歓心をしっかり集め、婚約者としての地位を盤石なものにすればいい。
目指すは、殿下のよき婚約者だ。
じゃあ、殿下のよき婚約者になるためには、どうすればいい?
私がお人形のままでいることをやめ、殿下の望むように、殿下に対して意見を述べればいい。
でも、お人形を捨ててしまえば、父様との関係が悪化するのでは?
なら、お人形を捨てるのは、あくまで殿下の強い希望なのだと、強く押し通すだけだ。殿下の歓心を得ることが、最終的には父様のためにもなるのだから。
なんとなくだけれど、これからの私の行動の道筋が見えてきた気がする。
孤独になってしまったけれど、私は諦めない。
あの悪夢の再現だけは、絶対にさせないんだから――。
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