第14話 引き裂かれし二人

 父様の執務室を出た。

 私はすっかり放心して、廊下で立ち尽くしていた。


「わたくしは……、わたくしは……」


 つぶやき、窓に手を置く。


「裏の顔を、失って、しまいましたわ……」


 涙が頬を伝い、ぽたりと地面に落ちた。


 父様から告げられた、冷酷な言いつけ。

 下町の礼拝堂への、参拝の禁止――。


 光の精霊からの祝福が、心の平穏を保つための頼みの綱だった。

 私はこれから、どうすればいいんだろうか。


 また、悪夢に悩まされる日々に逆戻り?


 父様に面と向かって反論なんて、とてもできない。

 胸が、苦しかった……。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 翌日、私はユリウスとともに、あらためて父様の執務室に呼ばれた。


 正直言って、いやな予感しかしなかった。

 今度は何を言われるのだろう。


 礼拝堂への参拝を禁じられただけで、すでに私の心はズタズタだ。

 これ以上の追い打ちは……。




 父様はじろりと私たちを睨みつけた。

 足が、震える……。


 そのとき、ふと、手に何かが当たる感触があった。


「ユリウス……」


 震える私を見かねたのか、ユリウスが手を握ってくれた。


「大丈夫だ、ナティー」


 ユリウスは言い、ひときわ強く、ぎゅっと私の手を握りしめる。

 一方で、父様は腕を組み、イライラしたように指をトントンと動かしていた。


「ナターリエ!」

「は、はい……」


 父様の怒気をはらんだ声に驚き、私はビクッと身体を揺らした。


「おまえにその従者はふさわしくない。今日より、おまえ付きから外すことにした」

「えっ!?」

「旦那様!」


 私とユリウスは、同時に声を張り上げた。


「反論は許さん。これは決定事項だ」

「で、でも……。どうして……」

「なぜです、旦那様」


 私たちは父様に食い下がろうとした。しかし――。


「君がそれを言うかね、ユリウス」

「クッ……」

「ユリウス?」


 父様の指摘に、ユリウスは口をつぐんだ。


 どうしたんだろう。

 何か、事情があるの?


「とにかくだ。決定には従ってもらうぞ」


 父様は冷たく言い捨てると、私たちに背を向けた。

 もう話はこれまでだ、といいたいのだろうか。


 私は、どうするべき?

 今まで唯々諾々と従ってきた父様に、ここで初めて反抗する?


 怖い……。

 怖いけれど、ここで勇気を振り絞らないと、私はユリウスと離ればなれに……。


 ダメ!

 今さらそんな状況、耐えられるはずがない!


 私は意を決して、口を開いた。


「待ってください、父様!」

「……私に抗弁する気か、ナターリエ」


 父様は振り返ると、少し意外そうな表情で私の目を見つめてきた。


「ユリウスはよくやってくれています。どうか……どうか、わたくし付きからはずさないでくださいませ! 礼拝堂の件は、全面的にわたくしが悪いのです!」


 私は身を乗り出し、激しい身振りを交えて父様に訴えた。


「護衛から外す理由は、それだけではない。わかっているな、ユリウス」


 父様は頭を振ると、私の隣に立つユリウスに視線を遣った。


 どういうこと?

 ユリウスは、護衛解任について、なにか理由を知っている?


「うっ……。ですが、ですが、私は……」

「話にならんな」


 言いよどむユリウスを見て、父様は不機嫌そうに吐き捨てた。


 刹那、父様は剣を抜き、私に斬りかかってきた。


「と、父様!?」


 突然の事態に、私は身動きがとれない。

 ユリウスが私をかばおうと前に進み出る。だが――。


「っ!!」


 ユリウスは突然うめき声を上げ、自分の剣を床に取り落とした。


「しまっ!!」


 ユリウスが膝を落として剣を拾おうとした時には、父様の剣の切っ先が、ユリウスの眼前に突きつけられていた。


「これが現実だ。わかったな、ユリウス」

「は、はい……」


 父様は剣を鞘に収め、ユリウスを見下しながら言い放つ。

 ユリウスは両手を床に付き、うなだれた。


「いったい、どうして……」


 信じられなかった。

 いつものユリウスなら、きっと父様の剣を受けきっていたはず。


「おまえは気付いていなかったようだが、ユリウスは宮殿での一件で、肩に深い傷を負った。その結果の、このざまよ」

「うそ……。ユリウス、ただの打ち身だって……」


 父様の言葉に、ドキリとした。


「おまえが原因で負った怪我だ。心配をかけたくなかったんだろう。その点は、健気で立派だとは思うが……」


 知らなかった。

 まったく気がつかなかった。

 まさか、ユリウスがそこまで深刻な怪我を負っていたなんて……。


 いままで素っ気なかったのは、私に怪我を悟られまいとした、ユリウスの配慮……。


 私はなんて愚かだったんだ。

 私が気に病むことのないようにと、必死に隠していたユリウスの気持ちに、まったく感づけなかったなんて。


 胸が、苦しい……。

 今までユリウスの何を見てきたんだと、自分を責め立てたい。


 同時に、目から涙がにじみ出てくる。

 ユリウスに感じる、たまらない愛しさ……。


 相反する感情が、私の小さな胸の中で、ぐちゃぐちゃに入り乱れていた。


「しかし、護衛としてみた場合は、どうだ? ろくに戦えもしないのに護衛を続けるだなんて、不誠実だとは思わないか?」


 正論だった。

 今の私に、父様へ反論できるような説得力のある主張はできない。

 感情に訴えたところで、父様が考えを改めるとも思えなかった。


「わかったな、ナターリエ。明日からおまえの従者兼護衛は、別の人間が務める。そのつもりでいろ」


 父様の言葉が、私の脳を破壊する……。


 目の前が真っ暗になった。

 まるで時が止まったかのように、私の世界からあらゆる音が消え去った気がした――。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 数日後、私は新たな護衛とともに、王宮のお茶会へ向かっていた。


 行きたくなかった。

 でも、裏の顔を失った私に、もはや殿下の婚約者になる以外の道は残されていない。


 勤めは、果さねばならなかった……。




 王宮に着いた。


 あの侍女による襲撃が、脳裏をかすめる。

 一瞬、王宮に足を踏み入れるのに躊躇した。 


 だが、立ち止まっているわけにはいかない。


 私は意を決して宮殿に踏み入り、殿下の待つお茶会の庭へと向かった。


「な……に……?」


 妙だ。

 なんだか、違和感を覚える。


 誰かに見られている?

 もしかして、またあの時の侍女?


 私は周囲を見回した。

 特段、おかしな人物は見当たらない。


「どうかなさいましたか、お嬢様?」


 護衛が私に声をかけた。


「いえ、視線のようなものを、感じた気がいたしまして……」

「はて……。先日の件もあり、気になさりすぎているのでは?」

「かも、しれないわね……」


 私はうなずき、歩を進めた。


 それでも、なんだかじろじろと見られている気がする。


 もしかしたらこれまでも、私を監視する目があったのかもしれない。

 ユリウスが、私の気付かぬうちに警戒してくれていたのだろう。


 改めて、失ったユリウスの存在が、いかに私にとって大きなものだったのかを、強く強く感じた――。

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