第13話 将来

 ユリウスに距離を置かれてから、しばらくしたある日のことだった――。


「お嬢様、ちょっといいですか?」


 珍しくユリウスから声をかけてきた。


「あら、ユリウス。どうしました?」

「いえ……。今までの私の態度を、謝ろうかと」

「えっ?」


 私は目を見開き、まじまじとユリウスを見つめた。


 いつもの……ユリウスのように見えた。

 何か吹っ切れたのだろうか、表情も明るい。


「すみませんでした。自身のふがいなさに、自分で自分が許せなくて。つい……」

「そんなことは……ありませんわ。でも、ユリウスが元に戻ってくれてよかった。今日は、すっきりした顔をしていますね」


 悩んでいた問題へ、ユリウスなりに一定の納得がいったのだろう。

 本人がきちんと悩みを消化できたのであれば、もうあれこれと私から詮索すべきではない。野暮っていうものだろう。


「ご心配おかけしました。明日よりお嬢様の護衛に戻ります」


 ユリウスは深々と頭を下げた。


 ……ホッとした。

 これで、今までどおりの日常に戻れる。


 去り際、ユリウスは私の耳元でささやいた。


「……礼拝堂参拝も、もちろんご同行させていただきますので」

「……お願いね」


 裏の顔の私も、これで活動が再開できる。


 襲撃者の問題やユリウスとのすれ違いもあり、ここ数日は特に悪夢にうなされる夜が多かった。


 最後の光の精霊の祝福から、間が開いている。

 できれば、明日にでも参拝に行きたいな……。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 翌日、私はさっそく、ユリウスにねだった。


 ……昨日の今日で、ちょっとわがままな主人だと思われるかもしれない。


 でも、私の心は、一刻も早い祝福を欲していた。

 悪夢で目覚めも悪く、いい加減日々の勉強などにも支障をきたしはじめていたからだ。


「ごめんなさい、ユリウス。勝手な主人で」

「いえ、かまいませんって。礼拝に行けなかったのは、私にも問題があったわけですし……」


 ユリウスは言いよどみ、頬を掻いている。


「ありがとう……。じゃ、さっそく着替えましょう」


 ユリウスの手を取って、いつも変装に使っている、屋敷の裏庭にある物置小屋へと向かった。


「っ!?」


 一瞬、ユリウスの顔がゆがんだ気がした。

 何か、いやな気配でも感じたのだろうか。


 王宮での一件があるから、ちょっと怖い。

 まさか、侯爵邸に侵入を試みてまで、私の命を狙うとは思いたくないけれど……。


「ユリウス?」

「すみません、私の気のせいだったようです」

「そう……」


 ユリウスは私に笑顔を向けたが、用心するに越したことはない。


 少し、呼吸が速くなる。

 私は、ユリウスの手のひらをぎゅっと握りしめた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 久しぶりの下町の礼拝堂は、どこか物寂しかった。

 最後に訪れたのが、特に賑やかになる顕現祭の日だったから、余計にそう感じるのかもしれない。


 光の精霊に祈りを捧げ、私はあらためて祝福をもらった。

 すぅーっと心の重荷が下ろされていく感覚……。


 やはり、ここに来ると落ち着く。

 王宮でお茶会をしている時よりも、精霊に祈りを捧げている時間のほうが、よっぽど私らしくいられる。


 ……聖女という未来を、もっと真剣に考えるべきなのかな。


 なんとはなしに脳裏に浮かんだ思いに、私はドキリとした。

 今までの私の人生を否定するような考えを、無意識のうちに求めている。


 あの顕現祭の日を境に、私の中で、何かが決定的に変わってしまったのかもしれない。


「ナティー?」


 ぼんやりと立ち尽くしていると、ユリウスが顔をのぞき込んできた。


「ご、ごめんなさい。ちょっと、未来を、ね……」

「未来?」


 ユリウスが怪訝そうに首をかしげている。


「……ここだけの話よ?」


 私はいたずらっぽく笑い、ユリウスの耳元に顔を寄せて、ささやいた。


「殿下の婚約者ではなく、聖女として生きる道も、もっと真剣に考えるべきなのかもしれないと」

「ナティー!?」


 ユリウスは私に顔を向け、大きく目を見開いた。


「ふふっ、驚くのも無理はないわよね。今までの私は、殿下の婚約者以外の道を、かたくなに見ようとはしてこなかったのだし」


 いったん区切って、大きく深呼吸をした。

 ユリウスはまだ戸惑っているようで、ソワソワと落ち着かない様子だ。


「でもね、あの顕現祭の日、孤児院の子供たちとの交流の中で、私気付いたの。殿下の婚約者でいる自分よりも、ユリウスと一緒に、一人の町娘として子供たちと他愛のない話をしている自分のほうが、よほど心が安まると」

「それで、聖女か……」


 ユリウスは腕を組み、ふぅーっと息を大きく吐き出した。


「あの孤児院の修道女が、ちょっとうらやましかったというのもあるわ。聖女があの修道女と同じような生活をできるかどうかは、わからない。でもね、殿下の婚約者でいるよりは……」


 私が言いよどむと、ユリウスがニッと笑いながら口を開いた。


「ナティーが聖女になったとして、そこに、俺の居場所はあるのかな?」

「っ……!」


 一瞬、息が止まった。


「できれば、俺もナティーのそばに、ずっと立っていたい」

「も、もちろんよっ!」


 私は胸に手を当てて、ゆっくりと目を閉じた。


 ユリウスに言いたかった言葉を、まさか、ユリウスから先んじて伝えてきてくれるだなんて。


 うれしかった。

 胸が、なんだか温かい――。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 礼拝堂からの帰路。

 私は地に足が付いていないかのように、ふわふわとした気分だった。


 ユリウスからかけられた言葉が、何度も私の脳裏をぐるぐると巡っていた。


『ナティーのそばに、ずっと立っていたい』


 あぁ、ダメだ。

 どうしても、顔がにやけてしまう。

 こんな顔、ユリウスにはとても見せられない。


 ……だって、恥ずかしいじゃないか。


 少しうつむきながら、私はユリウスと連れ立って歩いた。


 ユリウスはああ言っていたけれど、私はユリウスとの幸せな将来を、望んでもいいのだろうか?

 エリアス殿下は、私のことをなかなか理解してくれようとしない。でも、ユリウスは違う……。


 本当の自分でいるためにも、私はやはり、光の精霊のいうとおりに聖女を目指すべきなの?


 私は……。

 私は、やはり――。


「ナティーっ!」


 突然、ユリウスが声を荒げた。

 現実に引き戻され、私の思考は中断される。


 いつの間にか、屋敷の裏庭まで戻っていた。

 目の前には、着替えに使っている物置小屋があるが……。


「と、父様!?」


 小屋の扉の前で、父様が腕を組みながら、私たちを鋭い目つきで睨んでいた。


「ナターリエ、これはいったいどういうことだ。……従者と一緒に、どこへ行っていた!!」


 父様の怒声が、庭中に響き渡った。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 私たちは父様の執務室まで連行された。


 道中、何も話しかけてこない父様の横顔が、ものすごく恐ろしかった。


 まさか……。

 まさか、父様にばれてしまうなんて……。

 あぁ……。

 やはり、私は父様の言うとおりにしないといけないのかもしれない。


 なんて馬鹿なことをしでかしたんだろう……。


 ごめんなさい、ユリウス。

 私のわがままのせいで、あなたに多大な迷惑をかけてしまいました。




 涙が次々にあふれ出てくるのを、私はとどめおけなかった――。

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