第12話 すれ違い

 宮殿内のトイレでの襲撃を撃退後、私たちは特に混乱もなく、宮殿正面入口の馬車止めまで戻ってきた。

 さすがにもう寄り道はできない。素早く馬車に乗り込むと、侯爵邸への帰路についた。


 道すがら、私は幾度もユリウスに話しかけた。

 気分が高揚しているせいか、誰かと話していないと落ち着かなかったからだ。


 でも、ユリウスはどこか上の空。

 しつこく食い下がると、ユリウスもようやく気付き私に微笑みかける。

 だが、すぐに真顔に戻って、馬車の外に視線を移した。


 こんなやりとりを、もう何回も繰り返している。


 ユリウスの様子が、どこかおかしい――。


「ねぇ、ユリウス。本当にどうしたの? 先ほどから、なにか変よ」

「……少々、疲れただけです」


 いくら問いただしても、他人行儀の素っ気ない返事しか戻ってこない。


 襲撃直後は、あれだけ私を気遣ってくれていたのに……。

 ちょっと心配だ。たまには主人らしく、私がユリウスを安心させてあげたいな。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 侯爵邸に帰ってきた。


 ユリウスとともに、父様へ今日の出来事を報告した。

 当然と言うべきか、父様は血相を変え、私の身体に異常はないかをしつこく尋ねてきた。


「問題ありません。軽く足首をひねりましたが、数日もすれば回復するでしょう。しっかりとユリウスに護ってもらいましたわ」

「それなら、よいのだが……」


 父様はチラリとユリウスを見る。


「フム……」


 口元に手を当てながら、父様は何やら考え込んだ。


「父様?」

「あ、いや。……私は少し、ユリウスと話がある。おまえはもう下がりなさい」


 はてなと思ったけれど、父様に下がれと言われた以上は、退室しなければ。


「では、わたくしは部屋に戻ります」

「うむ、しっかりと身体を休めなさい」


 退室の際、父様は私へにこやかに微笑んだ。


 よかった。

 なぜ不用意に護衛から離れたと、もっと叱られるかと思っていた。


 私は胸をなで下ろし、父様の執務室を後にした。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 翌日、私は様子がおかしかったユリウスが気になり、使用人部屋に会いに行った。


「ユリウス、いるかしら?」


 呼びかけてみたが、返事はない。


「あら、いないようね……」


 諦めて部屋に戻ろうとした。すると――。


「お嬢様……」

「えっ?」


 私の背後から、突然ユリウスがぬっと現れた。


「び、びっくりしたわ。って、どうしたのユリウス!?」


 私は目を見開いた。


 ユリウスは目を赤く腫らしており、明らかに憔悴しきっている様子だ。

 間違いなく、何かがあった。


「何でも、ありません……」


 ユリウスはつぶやくと、私の脇を通り抜けて、使用人部屋に入っていった。


「あ、待って、ユリウス」


 慌ててユリウスの腕をつかんだ。

 あの様子、何もないはずがない。


「お嬢様、すみません。今は忙しいので……」

「えっ、でも……」

「すみません」


 有無を言わさず、ユリウスは私の腕を振り払って部屋の奥に引っ込んだ。


「なん、で……」


 私は振り払われた自分の腕を、呆然と見つめた。


 やっぱりユリウスはおかしい。

 昨日のゴタゴタで、どこか疲れているんだろうか……。


 それとも、私が退室した後、父様に何か言われた?


「ちょっと時間をおいたほうがいいのかしら……。あとでもう一度、様子を見に来ようかな」


 今、無理にユリウスへ迫っても、余計に疲れさせてしまうだけだろう。

 私は一旦、自分の部屋へ戻ることにした。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 昼食後、私はあらためてユリウスに会いに行った。


 使用人部屋を覗く。

 どうやら、ユリウスは机に向かって何かの報告書を作成しているようだった。


 ちょうど他の使用人は出払っている。

 二人きりで話す好機だった。


「ユリウス」


 呼びかけると、ユリウスはチラリと私に顔を向けた。


「あぁ、お嬢様……。何かご用ですか?」


 やっぱり、いつものユリウスとは違う。

 普段はもっとハキハキと返事をしてくれるのに……。


 見過ごせない。

 悩みがあるなら、きちんと聞いておかないと。

 主人として、手助けできることがあるのなら、なんとかしてやりたい。


「何か悩みでもあるの? よかったら話してくれないかな?」


 机に座るユリウスのそばまで行き、そっと背中に手を触れた。


「くっ! ……お嬢様には、関係のない話です」

「ユリウスっ!」


 つれないユリウスの反応に、私はつい声を荒げた。

 ……そんなつもりは、なかったのに!


「お願いします、放っておいてください。これは、私の問題です」

「でも……」


 食い下がろうとしたが、ユリウスはそのまま口をつぐんだ。


 まさか、ここまで拒絶されるとは……。

 本当に、いったい何があったんだろう。


 事情がつかめない。でも、話してくれなければ探りようがない。


 素っ気ない態度の理由は、きっと私を護るために緊張感を張り詰めたせいで、相当に精神が疲弊したからだ。私はそのように、自分の心を無理矢理納得させた。


「わかりました、私は部屋に戻ります。……本当に、無理はしないでちょうだい、ユリウス。あなたは、従者としてよくやってくれていますわ」


 去り際、ユリウスに努めて優しく声をかけて、私は使用人部屋を後にした。


「くそっ!」


 背後から、ユリウスの悔しげなつぶやきが漏れ聞こえてきた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 二日後――。


 あれから外出の機会もなく、ユリウスとはいまだにギクシャクしたままだ。

 まともに会話ができていない。


「はぁ……。どうしたらいいのかしら」


 つぶやき、ぼんやりと窓の外に視線を送りながら、廊下を目的もなくぐるぐると歩いていた。


 すると、父様の執務室のほうから声が聞こえてきた。


「何かしら?」


 少し気になり、様子を見に向かった。


 あれは……ユリウス?

 父様に呼ばれたのかな。


 ちょうど父様の執務室から、ユリウスが出てくるところを目撃した。


「ちょ、ちょっと……」


 胸元をぎゅっと握りしめた。

 ユリウスの顔を見たとたんに、私は胸が苦しくなった。


 ユリウスの状態が悪化しているのは、一目瞭然だった。


「父様に何か言われたの? もしかして、宮殿での私の護衛について、叱責されたのかな……」


 この状況から推測するに、どう考えても父様が原因で、ユリウスの生気が失われているとしか考えられない。


「でも、宮殿での一連の出来事は、元々の原因が私。殿下に気取られてトイレに行きそびれた私の失態。さすがにトイレまで一緒に付いてきてだなんて、言えないもの……」


 私が原因でユリウスが叱られるのは、ちょっと心苦しい。


 それが、従者としての仕事だと言われれば、そうなのかもしれない。

 しかし、あれほど気落ちをしているユリウスを、私は見過ごせなかった。


 よし、ユリウスを励まさないと!


 ぎゅっと両拳を握りしめて、私は気合いを入れる。


「さて、どうしようかしら」


 下手に声をかけても、また素っ気ない返しをされそうな気がする。


 よくやってくれているわ、ユリウスは最高の従者よ、と励ますのが一番無難な気はするけれど、本当にそれでいいのかな。


 二日前に同じような励ましを投げかけたけれど、反応はいまいちだった。

 少し、手を変えたほうがいいのかもしれない。


 ……よし、決めた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「ユリウスっ!」


 私はとぼとぼと歩くユリウスに近づき、声をかけた。


「お、お嬢さまっ!」


 ユリウスは身体をビクッと震わせて、私に振り返る。


「シャキッとしなさい! そのような体たらくで、わたくしの従者など務まりませんわっ!」


 あえて厳しい言葉で、発破をかける。

 優しく慰めようとして効果がなかったのなら、今度はその逆をいくまでだ。


「背筋を伸ばしなさいっ! いつものユリウスは、もっと自信満々に、胸を張っていたはずですわっ!」


 普段の私では決して口にしないきつめの言葉。

 慣れないので、少し胸が痛む。


「くっ! お嬢様は……!」


 ユリウスはくしゃっと顔をゆがめた。


「お嬢様には、私の気持ちなんて……!」


 ユリウスは吐き捨てると、そのまま私に背を向けた。


 しまった!

 発破は逆効果だったかもしれない。

 ここまで反発されるとは、完全に予想外だった。


 後悔先に立たず。

 私は不用意な発言を悔やんだ……。


「ならせめて、せめて、何に悩んでいるのかだけでも、教えてちょうだい?」


 このままではいけない。

 私は必死に食い下がった。


「すみません。以前も言いましたが、お嬢様には関係のない話です」


 ユリウスは私に顔を向けることなく言い捨てると、そのまま使用人の控え室へと向かっていった。




「やってしまいましたわ……」


 私は膝に手をつき、うなだれた。


 ユリウスを無神経な言葉で傷つけた。

 何で私は、あんな言葉をかけようと思ったのか。


 最後、ユリウスは私の顔を見てくれなかった。

 頭がズキズキと痛い。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 それからしばらくの間、ユリウスは私に接触してこなかった。

 もちろん、その間の礼拝堂参拝も中止。


 一度あった宮殿のお茶会も、別の護衛が付いてきた。


 いったい、どうしてこんなことになったんだろう……。


 ユリウスとの関係性の変化に、私はただただ戸惑った――。

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