第11話 再度の襲撃
殿下とのお茶会が終わり、私はユリウスとともに宮殿の廊下を歩いていた。
正直、油断していた。
まさか……。
まさか、こんな場所で……。
「ねぇ、ユ、ユリウス……」
「どうしました、お嬢様」
「しょ、少々お花を摘みに……」
「……」
うぅ、顔が熱い。
いつもはお茶会の庭を出る前に必ずトイレに寄っていたのに、殿下のあまりの変貌ぶりに面食らって、すっかり失念していた。
お茶をそれなりの量いただいていたので、さすがに限界だった。
ユリウスは私に気を利かせたのか、無言でうなずいた。
馬車で待っていると口にすると、宮殿の正面入口に向けて歩き出す。
私はそのまま脇道に入り、トイレに向かった。
「あれ?」
ほんのちょっぴり、違和感を抱いた。
ここはもう王族のプライベートスペースではない。普段なら、もう少し人気があるはずだ。
でも、今は不気味なほどにしんと静まりかえっていた。
ふと、矢で襲われたあの日を思い出す……。
「いけない、余計なことは考えちゃダメね」
頭を振って雑念を消すと、急ぎトイレの個室に入った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
用を済ませてトイレを出た。
やっぱり、この通路は何かがおかしい。
手足がゾクゾクしてきた。
「ユリウス……」
頼りの従者の名を呼びながら、私は早足で宮殿の正面入口に向かおうとした。
その瞬間――。
シュッ!!
私のすぐ目の前を、何かが通過した。
カランカランカラン……。
直後、床から冷たく乾いた音が響き渡る。
「な、なに……?」
事態がつかめない。
心臓がドキドキと早鐘を打つ。
呼吸が浅くなり、息がうまく吸えなかった。
ダメだ、足がこわばって動かない。
どうにか首だけを動かし、音のした方向に視線を遣った。
「えっ!?」
床には、鈍く光るナイフが転がっていた。
うそ、これで命を狙われた!?
今はユリウスがそばにいない。
誰かに襲われでもしたら、ひとたまりもなかった。
そのとき、背後に人の気配を感じた。
「だ、誰!?」
叫び、振り返った。
「ナターリエ様、いかがなさいました?」
王宮の侍女が立っていた。
見知った侍女だ。
私はほうっと息を継ぎ、胸をなで下ろした。
助かった。
誰かが付いていれば、襲撃犯もそう易々と再度の攻撃はしてこないだろう。
「実は、そこの床に転がっているナイフなんですが、さきほどいきなり、わたくしに向かって飛んできて……」
「ナイフ……ですか? 見当たりませんが」
「えっ?」
侍女に指摘され、あらためてナイフの転がっていた床に目を向けた。
「う、そ……」
確かに、何も転がっていなかった。
「先ほどまで、間違いなくあそこに転がっていたのです!」
私は叫び、床を指さす。
「ナターリエ様の言うナイフとは、もしかしてこちらでしょうか」
侍女は抑揚のない口調でしゃべると、私の眼前に何かを突き出した。
照明に照らされギラリと輝く……ナイフだった。
「あ、あなた……」
私は一歩後ずさった。
確かに、侍女の持つナイフは、先ほど床に転がっていたナイフと同じものに見える。
ということは、先ほどナイフを投げた犯人も、この侍女……。
侍女は無表情のまま、腕を振り上げた。
「やめなさい!」
私は怒声を上げ、侍女の身体に体当たりをした。
かわされるも、体勢は崩せた。
できた隙を突いて、私は侍女から距離をとった。
「誰か! 誰か、来て!」
大声で助けを求めた。
しかし、反応がない。
この不自然なほどの静けさも、やはりこの侍女の仕業なのかもしれない。
であるならば、いくら助けを呼んでも無駄に終わりそうだ。
無表情だった侍女が、不気味に微笑んだ。
背筋が凍る。
なんだ、この不快感は。
「くっ!」
私はひるみそうになった。
どうすればいい。
無事にこの場を切り抜けるために、私は何をするべき。
考えろ、考えるんだ、ナターリエ。
侍女がじりじりと近寄ってきた。
いけない、このままでは壁際に追い詰められる。
とにかく、私一人ではどうにもならない。
ユリウスに……。
ユリウスの元に、戻らないと……。
私は……。
私は、こんなところでおめおめと、殺されるわけにはいかない!
意を決し、私は再度侍女に突進した。
隙を突いて脇を抜け、そのまま一直線に駆け抜ける。
「甘いですね」
侍女は冷たく言い放つと、私の進行方向から少し身を引いた。
そのままグッと腰を落とし、私の足めがけて強烈な足払いを見舞ってきた。
「えっ!?」
叫んだ時にはすでに私は宙に浮き、勢いのままに一回転して床に叩きつけられていた。
「ぐぅっ!」
一瞬、息が止まった。
「あまり面倒はかけさせないでください、ナターリエ様」
侍女は冷たい瞳で私を見下す。
瞳孔が真っ黒に見えて、薄気味が悪い……。
私はなんとか身を起こし、もう一度駆けだそうとした。
だが――。
「痛っ!」
足首から鈍い痛みを感じた。どうやらくじいてしまったようだ。
このままでは、走ってユリウスの元に駆けつけるのも、難しい。
困った……。
チラリとトイレが視界に入った。
「他に手はないわね……」
私は懐に隠していた護身用ナイフを取り出すと、侍女の足にめがけて投げつけた。
さすがに侍女も驚いたのか、横っ飛びに飛んで避けたものの、そのまま床に倒れ込んだ。
この隙は、逃せない……!
私は足を引きずりながらも、急いでトイレの個室に逃げ込んだ。
扉を閉め鍵をかけ、籠城体制を構築する。
しばらくここで耐えれば、私の戻りが遅いといぶかしがったユリウスが、きっと探しに来てくれるはず。
走れない以上、今はこの策以外に手が浮かばなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
扉を激しく叩く音がする。
私はグッと唇をかみ、恐怖に耐えた。
お願い、ユリウス。
早く……早く助けに来て……。
「開けなさいっ!!」
侍女の怒声が耳に痛い。
とうとう、侍女は扉へ体当たりや蹴りを食らわせ始めたようだ。
トイレに響き渡る殴打音が激しくなる。
いやっ!
絶対に、ここは死守するわ!
私は扉に身を預け、蹴破られないように必死に押さえつけた。
するとそのとき、外で誰かの叫び声が聞こえた。
「あっ……」
頬を、熱いものが流れ落ちた。
聞きたくて聞きたくて、どうしようもなかった声。
あの声は、ユリウス……!
「ユリウス! わたくしはここよっ!!」
声を限りに叫んだ。
同時に、扉の外で侍女の舌打ちが聞こえた。
「お嬢様ぁぁぁっっっ!!」
ユリウスの怒声が近づくとともに、扉の外でもみ合う音がし始めた。
「貴様っ! お嬢様に何をした!」
「邪魔だてするな、従者の分際でっ!」
ユリウスと侍女は罵り合い、すぐさま金属と金属とがぶつかり合う音が響き渡った。
「ちぃっ!」
侍女の悔しげに吐き捨てる声が聞こえる。
そのままもみ合いはやんだようで、誰かが遠くへ走り去っていく音が響いた。おそらくは、侍女がこの場から離脱していったのだろう。
「お嬢様、もう大丈夫です」
ユリウスの声が、優しく耳に入る。
私は震える手でなんとか鍵を外し、扉を開けた。
「怖い思いをさせて、すみませ――」
「ユリウスっ!!」
ユリウスがしゃべり終える前に、私は勢いに任せてユリウスに抱きついた。
「おじょ――ナティー……。一人にして、悪かった」
「ユリウスっ! ユリウスっ! ユリウスぅ……」
気取りもなにもかなぐり捨てて、泣いた。ひたすら泣いた。
ユリウスはそのまま、私をぎゅうっと優しく抱きしめてくれる。
ユリウスの大きな胸に包まれて、ようやく手足の震えが収まってきた。
温かい……。
ありがとう。
本当に、ありがとう、ユリウス……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
落ち着くまで、ユリウスは黙って私に身体を預けてくれた。
しばらくユリウスに抱きしめられていたが、さすがにそろそろ屋敷に戻らないといけない。
名残惜しいけれど、ユリウスから離れた。
「ありがとう、ユリウス」
「俺はナティーの護衛だ。むしろ俺が君に謝らないといけないよ。怖い思いをさせて、悪かった」
ユリウスは頭を掻きながら、申し訳なさげにつぶやいた。
「そんな……。ユリウスは私の優秀な従者よ。そんなこと言わないで」
私は手を伸ばし、ユリウスの肩に手を置こうとした。
「つっ!」
ユリウスは顔をしかめて、私から少し身を引いた。
「ど、どうしたの!? もしかして、怪我でもした?」
「い、いや……。ただの打ち身だと思う。大丈夫だ」
ユリウスは苦笑し、問題ないと肩を叩く。
「そう……。私のせいでユリウスに何かあったら、申し訳ないもの。よかった……」
私は胸をなで下ろし、ユリウスに微笑んだ。
「ナティー……」
ユリウスも笑みを浮かべている。
無言で笑い合った後、私たちはトイレから離れて廊下に戻った。
これで、王宮で命を狙われたのは二回目。
いったい、誰が何の目的で私を狙ったんだろう。
襲ってきた侍女は、長く王宮で働く評判のいい女性だ。
私も何度か、よくしてもらった記憶がある。
なのに、なぜ……。
私が床に倒れた時、見上げた侍女の目は、どこか不気味だった。
まるで吸い込まれそうなほどの、なにも光を反射しない漆黒の瞳……。
ふと、伯爵令嬢アルシュベタの顔が脳裏にちらついた。
「まさか、ね……」
証拠はない。
でも、これもあの女の仕掛けた、私を陥れるための罠の一つなのかもしれない。
かつての私は、一度あの女の罠にはまり、魔女に仕立て上げられた。
十分に用心する必要がありそうだった――。
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