第10話 初めての苦言

 今日は、表の顔の私だ。

 いつもどおり、王宮内のエリアス殿下専用の庭で、お茶会をしている。


 眼前には、指でテーブルをしきりにトントンと叩いている殿下の姿がある。明らかに不機嫌そうだ。

 私も、正直なところ気乗りがしなかった。

 それでも、婚約者としての務めはきちんと果たさないと……。


 困ったな。

 アルシュベタとの出会いから、どうにも殿下とうまくいっていない。

 どうすれば関係が改善できるだろうか。


「ナティー、黙っていないで何かしゃべってくれ」


 殿下が私に振ってきた。


 そう言われても、いつも聞き役に徹している私に、いったい何を話せというのだろう。

 最近は私も意見をするようになったけれど、それもあくまで殿下のお話に対して、私が応えるって言う形だ。


「殿下は、どのようなお話がお好みなのですか?」


 私の持ちネタに、はたして殿下好みのものがあるだろうか。


「そうだな……。そういえば、アルシュベタ嬢が面白い話をしてくれた」

「シェリー伯爵家の、アルシュベタ様のことですか?」

「あぁ、そうだ。先日の舞踏会の夜、テラスで少し話し込んだんだ」


 ここで、あの時の話をするんですか、殿下……。

 怒っている私は邪魔だと追い払っておいて、殿下は夜風に当たりながら、アルシュベタとよろしくやっていたって訳ですね。

 殿下は私の気持ち、これっぽっちも察してくれないんですか。


 なんだか頭痛がしてきた。

 私はため息をつきつつ、チラリと壁際に視線を送った。


 ユリウスが苦笑しながらうなずいている。

 やっぱり、ユリウスも殿下の態度にあきれているんだな……。


 こうしてユリウスの姿を見ていると、あの顕現祭の日の礼拝堂でのひとときが、忘れられない大切な記憶として思い出される。


 きゅっと胸が締め付けられた。


 一方で、私の心中などに気づきもせず、殿下はマイペースで話を続けている。


「隣国のおとぎ話だった。我が王家では、他国のおとぎ話を聞く機会がなくてな。なかなか新鮮だったぞ」

「どんなおとぎ話だったんですか?」


 隣国というのが、少しだけ引っかかった。


 この国は、一国でほぼ何でもそろう豊かな国だ。めったに他国との交流はない。

 私も、自国のおとぎ話しか知らなかった。


 そんな中で、なぜアルシュベタは隣国のおとぎ話なんかを知っていたのだろうか。

 シェリー伯爵家は、何か隣国とのえにしがあるのだろうか。


「遙かな太古に、世界の精霊たちが争ったという話だった」

「……興味深いですわね」


 知らない話だった。

 我が国のおとぎ話に、それに類似した内容のものはなかったはず。


「意外だったのは、光の精霊が闇の精霊に破れたって点だ」

「えっ!?」

「驚いただろう? 我が国を守護する、全知全能とも言われている光の精霊が、敗北しただなんて」


 私は思わず、テーブルに身を乗り出した。


 信じられない。

 私を過去の世界に送り返すほどの力を持っている、あの光の精霊が負けた?

 相手が闇の精霊ってことは、相性の問題でもあったのだろうか……。


「酔いが回っていたので、結末を思い出せないのが残念だ。今度アルシュベタ嬢に会う機会があったら、もう一度聞いてみるかな」

「い、いけません、殿下!」


 私は反射的に叫んでいた。


 絶対に駄目だ。

 殿下とアルシュベタを二人きりにさせては、何かよくないことが起こりそうな気がする。


「……なんだ?」


 殿下は少し驚いたように、目を大きく見開いた。


「婚約者のわたくしを差し置いて他のご令嬢と二人っきりになるだなんて、よくない噂が立ってしまいますわ!」

「なんだ、もしかして嫉妬しているのか?」

「しっ……!? 嫉妬、ではありません。わたくしは、婚約の持つ重みについて、殿下は少々軽くお考えなのではないかと苦言を呈しているだけですわ」

「フム……」


 殿下は顎に手を置き、考え込んだ。

 なんだか少し口角が上がっているような……。もしかして、うれしいのだろうか。


 ……私にたしなめられて、喜んでいる?


「いつもそのように、自分の意見をきっちり主張すればいいのだ、ナティー」


 殿下が口に当てていた手を放した。


「あっ……」


 ドキリとした。

 殿下が、にこやかに笑っている。私に、微笑みかけている。


 あぁ、そうか。

 私は今、初めて殿下に口答えをしたんだ。

 勢いに任せてではあったけれど、確かに、殿下に文句を言った。


 私が殿下に反抗したことが、殿下にとってはよほどうれしかったんだ。


 なんだか、私も少し心が軽くなった気がする。


 刹那――。


 殿下は一瞬にして、元通りの不機嫌顔に戻ってしまった。


「え?」


 私は大きく目を見開いた。

 何だったんだろう、今の表情の急激な変化は。


「気分が優れない。今日はお開きでいいか?」


 殿下がぶっきらぼうに告げる。

 そのまま、私の返事も聞かずに席を立った。




 私は一人、庭に取り残される……。


「なに……。今のはいったい、なんですの……」


 殿下の変わりように、私はただただ呆然とするだけだった。


 やっぱり、殿下はアルシュベタと出会ってから、何かがおかしい。

 一目惚れをしたにしても、あまりにも露骨にアルシュベタを気にしすぎている。婚約者の私が目の前にいる時でさえも……。


 いくらアルシュベタが好みのタイプだからって、こうも急激に態度を変えるのは、おかしくないだろうか。

 殿下も王族、そのあたりの分別はしっかりなさっていると信じていたのだけれど……。


 それに、なんだか情緒が不安定になっているようにも見える。

 困惑顔を浮かべていたと思えば、一瞬あとにはニコニコと笑っていたり、今みたいに、うれしそうにしていたかと思えば、あっという間に不機嫌顔に取って代わられる。


 今までの殿下には見られなかった傾向だ。


『あの女は、どこかおかしいわ……』


 あらためて、光の精霊の警告が思い起こされる。


 なんだか、胸騒ぎがしてきた――。

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