第9話 私の居場所

 伯爵令嬢アルシュベタの出現以降、エリアス殿下との間に隙間風が吹き始めた。

 光の精霊と出会う以前のような、当たり障りのない表面上の関係に戻ってしまった気がする。


 私は、次の舞踏会が怖かった。

 今度こそ決定的に、殿下との間に溝ができてしまうのではないか、と。


 それに、光の精霊が発した警告も気になる。


『あの女は、どこかおかしいわ……』


 いったいどういった意味なのだろうか。

 淑女らしからぬ奔放な振る舞いがどうのこうの、といった話ではない気がする。

 何か、根本的なところでの違和感。

 きっと、光の精霊はそのようなものを感じ取っているのかもしれない。




 このように、表の顔の私が行き詰まりを見せている今、裏の顔の私――変装をしての礼拝堂への参拝だけが、唯一の心の安らぎとなっていた。


 今日も、ユリウスを連れて、下町の礼拝堂へと向かう。

 伊達眼鏡にスカーフ、下町風の化粧に町人の服。もうすっかり着慣れた。


 日々の悩みを忘れようと、ユリウスと二人、他愛のない会話に花を咲かせる。


 きっと、ユリウスも私の変化に気付いているはずだ。

 でも、今は詮索などせずに、私の気分転換に素直に付き合ってくれていた。


 ありがとう……。


 あらためて言葉にするのは、なんだか照れくさい。

 せめて、裏の顔の時は笑顔を絶やさないようにして、感謝の意を伝えようと思った。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 礼拝堂に着くと、今日はいつにも増して賑やかだった。


「おや、どうしたんだろう?」


 用心のため、まずユリウスが礼拝堂に入り、状況を確認する。


 するとそのとき、突然、私は後ろから何者かに突き飛ばされた。


「きゃっ!」


 小さく悲鳴を上げると、ユリウスが驚き、険しい表情を浮かべて駆け寄ってくる。でも私の様子を見るや、すぐさま眉間の力を抜いて、いつもの笑顔にもどった。


「ねぇねぇ、おねーちゃんだぁれ?」

「おいおいっ、このねーちゃんなんだかいい匂いがするぞっ!」


 気が付いたら、小さな子供たちに囲まれていた。

 さっき突き飛ばしてきたのも、どうやらこの子供たちだったようだ。


「え? あの……」


 状況がつかめず、私はオロオロと所在なく視線をさまよわせた。

 一方でユリウスは、しがみついてきた子供をひょいっと抱え上げて、肩車をしてやっている。


 なんだ、ユリウスったら、ずいぶんと子供の扱いに慣れているじゃないか。


 子供たちに服の裾を引っ張られるがままの私とは、対照的だ。

 でも私だって、弟や妹の相手をしていた時期がある。別に、子供が苦手なわけじゃない。

 ちょっと、驚いただけだ。


「ほら、ナティー。子供たちが遊んでもらいたそうにしているぞ」


 ユリウスはニッと白い歯を見せながら、私に微笑む。


「おねーちゃん、ほらほら、こっち来てー」


 私は小さな女の子に手を引かれて、礼拝堂の奥に連れて行かれた。

 後ろから、ユリウスが他の子供たちを引き連れつつ、付いてくる。


 参拝者たちが、私たちを見て何事だといぶかしげな表情を浮かべていた。


 本当に、いったい何の行列なんだか……。

 ついつい苦笑をもらす。


 ほどなくして、女の子は奥の小部屋――おそらくは調理場と思われる場所に、私を案内した。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「あら、オルガ。みんなしてどうしたの? って、おや?」


 調理場には、一人の水色の修道着を着た女性が立っていた。


「子供たちに懐かれてしまいましたか。ご迷惑をおかけしてすみません」

「いえ、それは別にかまわないのですが……。この場所は? それに、この子たちは?」

「ここは、礼拝堂に併設された孤児院です。そして、この子たちは皆、親を亡くした孤児なんです」

「まぁ、そうなんですの……」


 つらい境遇の子供たち。でも、皆、底抜けに明るい様子だ。

 この修道女の人柄が偲ばれる。


 くいっと腕を引かれた。

 オルガと呼ばれた女の子が、じいっと私の顔を見上げている。


「ねぇ、おねーちゃん。一緒に、ご飯食べよー?」


 オルガは私をテーブルに案内した。


 テーブルの上には、パンやらシチューやらが並べられていた。


「今日はね、特別な日なの」


 オルガはうれしそうに飛び跳ねている。


「特別?」

「えっとね、光の精霊様が、私たちに贈り物をしてくれる日なんだよ」

「まぁ、それはとっても素敵ね!」

「うんっ!」


 そのままオルガは他の女の子と一緒に、修道女の元に駆けていった。


 贈り物かぁ……。

 そういえば、今日は年に一度の顕現祭の日だった。

 光の精霊が最後にこの世へ顕現した日を記念した、教会主催のお祭りの日。


 ……ついこの間、私の前で顕現したばかりなのは、秘密にしておこう。


 最初は戸惑ったけれど、こうして無邪気に子供たちから慕われるのはうれしい。

 妹や弟に遊んでとせがまれた記憶が、懐かしく思い出される。


 今日、礼拝堂に参拝に来て、本当によかった。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 目の前では、大勢の子供たちと一緒に、ユリウスがテーブルにのせられた料理を平らげている。

 私は壁際の席で、その様子を見守った。


 結局、私は提供された食事はいただかなかった。

 オルガがすこし寂しそうにしていたのが、ちょっと心苦しい。


 でも、私は変装をしているとは言え、侯爵家の長女。

 さすがにこういった場で食事をとるのはどうかと思い、躊躇した。


 本当は、私もユリウスと一緒に、子供たちとスープを飲みたい。パンをかじりたい。

 大声で笑いながら、子供たちと楽しそうにご飯を食べているユリウスが、たまらなくまぶしいものに見えた。


 こういったときに、幼い頃からしつけられてきた貴族としての心持ちが、とても邪魔なもののように感じられる。


 ユリウスが私の視線に気がついた。


「おい、ナティー。意地張ってないで一緒に食おうぜ!」

「でも……」


 私は決断できなかった。

 ここで一緒に食事をとってしまえば、何かが決定的に変わってしまいそうな予感……。


 この暖かくて、心穏やかになれるひとときは、本当にかけがえのないものだと思う。

 でも、このまま踏み込みすぎてしまえば、裏の顔の私が、裏のままでいられなくなってしまうのではないか……。


 裏の顔は、表の顔があってこそだ。

 あくまで、裏は裏。表の私の心労を癒やすためのものに過ぎない。


 だって、私はエリアス殿下の婚約者なんだから……。


「おねぇちゃん。ご飯の代わりに、これあげるね」


 オルガが何かを手渡してきた。

 ちっちゃくてかわいらしい手のひらの上に、きれいにラッピングされた袋がちょこんと乗せられている。


「これは?」

「ふふっ、先生と一緒にクッキーを焼いたの! おねぇちゃんに食べて欲しいな」


 袋を受け取ると、肩掛けのバッグに丁寧にしまった。

 オルガはニコニコと、その様子を眺めている。


 しまい終えると、私はオルガに向き直り、彼女の小さい手を握りしめた。


「おねぇちゃん?」


 オルガがちょこんと小首をかしげた。


「ありがとう……ございます。おうちでゆっくりと、いただくわ」

「うんっ! 絶対に、おいしいんだからっ」


 オルガもぎゅっと私の手を握り返し、満面の笑みを浮かべた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 侯爵邸の自室に戻り、私はオルガからもらったクッキーを口にしていた。

 すこし塩っ気がきつかったけれども、おいしかった。

 なんだか、オルガが修道女と一緒に笑顔でクッキー作りをしている絵が、脳裏に浮かぶようだ。


「聖女、か……」


 つぶやきながら、ティーカップの縁を指先でちょんっと叩いた。


 修道女と聖女は、仕事としてはまったく別物だろう。

 でも、ああいう生活も、ちょっと憧れるな……。


 そのとき――。


「あっ……」


 私は目を見開き、手に持つクッキーを見つめた。


 気付いた。

 気付いてしまった。


 心の片隅で、エリアス殿下との逢瀬をおっくうに感じ始めている私がいる事実に。


「そん、な……」


 信じられなかった。

 あれだけ、殿下の婚約者でいることにこだわっていたはずなのに。


「嘘、よ……」


 私は立ち上がると、よろめきながらベッドに身体を投げ出した。




 結局その夜は、妙に頭がさえて、朝まで一睡もできなかった――。

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