第8話 伯爵令嬢アルシュベタ

 今日は三月に一度の、王宮での舞踏会の日。

 私はユリウスを伴い、登城した。


 舞踏会場の控え室では、エリアス殿下が待っていた。

 その場で、私はユリウスから殿下へと引き渡される。エスコート役は、もちろん婚約者の殿下だ。


 殿下が私に手を差し出した。


「さぁ、行こうか。ナティー」

「はい、殿下……」


 ゆっくりと殿下の手を取り、笑顔を向ける。


 燕尾服を着て直立する殿下は、それはそれは見目美しい。長い金髪も、シャンデリアに照らされてキラキラと輝いている。

 思わず、ため息が漏れそうになる。


 一方で私も、殿下のそばに立っても恥ずかしくないよう、光沢のあるシルクにパールを贅沢に散らした、薄いブルーのボールガウンを着こなしている。

 元々細身なので、貧相に見られないように気を配っている。殿下に見劣りしていないと、信じたい……。


 私は殿下にエスコートされながら、舞踏会場へと向かった。


 王宮での舞踏会は、形式上ホスト役は殿下になっている。

 婚約者として、殿下に恥をかかせないよう、きっちりとお役目を果たさないと……!


 


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 会のプログラムは順調に消化されていった。


 殿下とのダンスも終え、私は一息つくべく、中二階になっている場所に設けられたホスト用の席で、ワイン片手にくつろいでいた。

 ここからなら、ホール全体が見渡せる。


 すぐ後ろの柱の陰から、ユリウスの気配を感じる。

 警護ありがとうと声をかけたいところだが、ぐっと我慢した。さすがに殿下に失礼だ。


『たとえ従者といえども、そう気安く異性と目を合わせるのは、どうかと思うぞ』


 以前、殿下から頂いたお小言を思い出す。

 誤解されるような振る舞いは、厳に慎まないと。 


 しばらくボーッと、ホールの様子を見守った。


 すると、一人の令嬢が殿下に近づいていく様子が視界に入る。

 令嬢は殿下のそばにピタリと張り付き、やたらとボディータッチをしているように見えた。


「あれは……。ちょっと、ないわね」


 周囲にいた他の令嬢も、眉をひそめて件の令嬢を睨んでいる。


 一方で件の令嬢は、周囲の視線をまるで気にもせず、殿下にしなだれかからんばかりに身体を密着させていた。


「さすがに、ダメでしょう」


 あれは、婚約者がいる相手にしていい態度じゃない。

 私はグラスをテーブルに戻すと、席を立って殿下のそばへ向かった。




「失礼いたしますわ」


 殿下に声をかけた。


「ナティー……」


 殿下はすこし困ったような表情を浮かべながら、肩をすくめている。


「あら、ごきげんよう、ナターリエ様」

「先ほどから見ておりましたが、少々お戯れが過ぎませんか?」


 殿下に寄りかかるようにして立つ令嬢に対し、私はすこしきつめに嫌みをぶつけた。

 殿下に対しての反論や口答えは慎んできたが、相手が他の令嬢だというのであれば、話は別。


「別に、あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ」

「なっ……」


 絶句した。

 この女は、何を言っているんだろう。


 私は、殿下の婚約者だ。

 その婚約者である私の眼前で、この女は恥ずかしげもなく殿下に色目を使っている。

 そんなふしだらな女をたしなめて、いったい何が悪いのか。


 令嬢は扇で口元を隠しながら、不敵な笑い声を漏らしている。


 チラリと殿下に視線を遣った。


 えっ……。


 私はあっけにとられた。

 先ほどまで困惑した様子だった殿下が、なぜだか今は、まんざらでもなさそうに令嬢に身体を許していたのだ。


「で……殿下?」


 声が震えた。


 いったいどうして?

 目くじらを立てている私のほうがおかしいの?


「ナティー、そんなに怖い顔をするな。彼女が怖がっているだろう?」


 怖がっているって、いったいどこの誰が?


 視線を令嬢に戻した。

 令嬢は先ほどまで薄ら笑いを浮かべていたはずなのに、今はガタガタと小刻みに身体を震わせている。


 なによこれ。

 これじゃまるで、私がいじめているみたいじゃない……。


「ほら、私は大丈夫だから、ナティーはすこし休んできなさい。怒った君は、舞踏会に似つかわしくない」


 殿下は令嬢の背に片手を添えると、そのまま二人でテラスに向けて歩いて行った。

 私は一人、その場に取り残される。


 立ち尽くしながら、殿下と令嬢の背を目で追った。


「どうして……、殿下……」


 つぶやき、ぎゅっと拳を固める。


 周囲の視線が、痛かった――。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 ホストの席に戻り、私はワインをぐいっとあおった。


「信じられないわ、あの女……」


 思わず愚痴がこぼれる。


 人の婚約者に色目を使って迫っておきながら、いざたしなめられると、まるでいじめられでもしたかのようにか弱いご令嬢を演じて見せたりして。

 はしたないってものじゃすまない。


 それに、殿下も殿下だ。

 若い女性にしなだれかかられたからって、婚約者の前であの態度はないじゃないか。むしろ、殿下があの令嬢に苦言を呈すべき状況だと思う。

 確かに、私は殿下に必要以上の身体の接触はしないように心がけている。でもそれは、結婚前の淑女として当然の配慮だ。

 仮にも将来の王妃になろうかという立場の私が、あの女のような卑しい真似なんて、できるはずもない。


 まったく、私が馬鹿みたいだ……。


 そういえば、扇で顔を隠されていたので、あの女が何者なのかをしっかりと確認できなかった。

 あの声、どこかで聞いたことがあるような、ないような……。


「ねぇ、ちょっといいかしら?」


 近くにいた給仕を呼び止める。


「殿下のお側にいたご令嬢、どこのどなたかご存じ?」

「はい。……たしか、シェリー伯爵家のアルシュベタ様かと」


 その名を聞いた瞬間、手に持ったグラスを取り落とした。


「ナターリエ様!?」


 給仕が慌ててグラスを拾い、ワインで濡れた私のドレスの裾を、丁寧に布で拭う。


「う、嘘……」


 全身を寒気が襲った。


 聞きたくもなかった名前……。

 聞いてはいけなかった名前……。


 視界がぐらぐらと揺れる。

 そのまま、私は腰をとられて床にへたり込んだ。


 意識が薄れていき、視界が暗転した――。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 陽光に照らされてギラリと光る刃先。周囲には刑の執行を今か今かと待ちわび、はやし立てる群衆。

 刑吏の剣で支えのロープが切られて、シャーッと音を立てて一気に私の首元まで落ちてくる断頭台の刃……。


 いやっ!

 その光景を、もう私に見せないで!




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「やめてっ!!」


 私は叫び、ベッドから起き上がった。


「ナティーっ!」


 ユリウスの声が聞こえた。


「あっ……、ユリウス?」

「あぁ、俺だ。……よかった、熱はないな」


 ユリウスは私の額に手を当て、安堵する。


「わたくし、どうして……」


 周囲をキョロキョロと窺った。


 確か、舞踏会の会場にいたはず。でも、ここはおそらく、王宮の休憩室。


「驚いたよ。突然、ワインの酔いが回って倒れたって聞いたから」

「ワイン?」


 頭が痛い。

 舞踏会場での最後の記憶をどうにか思い出そうとするも、はっきりとしない。


 そういえば、確か……。


「アルシュベタ……」

「えっ?」


 私のつぶやきに、ユリウスは首をかしげた。


「まさか、あの女だったなんて……」

「何かあったのか?」


 心配げに私の顔をのぞき込んでくるユリウスに対し、私は首を横に振った。


 例の悪夢――という名の惨劇については、ユリウスには伏せておきたい。

 必然、アルシュベタについても、話せない。

 そもそも、過去に遡ってきたと言ったところで、信じてもらえるだろうか。


「まぁ、言いたくないなら、無理には聞かない。貴族には、いろいろとあるだろうし」

「ごめんなさい、ユリウス」

「ほらっ、今は休んでおけって」


 うつむいた私の頭を、ユリウスが手で優しく撫でた。

 すこし、ホッとする……。


 落ち着いたところで、私はあらためてあの時の状況を考える。


 私を地獄へと突き落とした、あのアルシュベタが現れた。

 しかも、さっそく殿下と親密になっている。


 もしかして、悲劇は必ず繰り返される?

 私が殿下の婚約者にこだわり続ければ、いずれはあの惨劇と同じ状況に陥るっていうの?


 私はこれから、どうすればいいのだろう。

 アルシュベタの出現で、大きく流れが変わろうとしている。


 殿下を、これからも信じ続けていいのだろうか。悲劇の繰り返しにならない?


 最近の殿下は、私にちょっとした嫉妬心を見せたりしていたので、すっかり安心していた。

 でも、私はかつて、アルシュベタに殿下のお気持ちを奪われている。決して忘れてはいけない。


 それに、アルシュベタと出会った瞬間、殿下の私に対する態度に明確な変化が現れた。

 やはり殿下は、奔放で自由な女性のほうが、お好みなのかもしれない。


 だとするならば、これからの私がとるべき手段は?


 もっと殿下に奔放に接し、アルシュベタ以上の興味を持ってもらえるように試みるべき?

 でも、それは王妃候補としてはどうなんだろう。

 明らかに、周りからははしたない女だと思われる。国母としてはふさわしくない。


 それとも、これまでどおり地道に、殿下の信頼を獲得していくべき?

 王道はこちらの方針だと思うけれど、先ほどのあの殿下の様子を見ると、正直不安になる。

 殿下を信じ切っても大丈夫だろうか。

 結局、私が何をしたところで、あのアルシュベタに殿下の御心を持っていかれるのではないだろうか。


 決めきれなかった。


 殿下の信頼は得たい。でも、その殿下自身を、私はどうにも信用しきれなくなっていた。




 王宮からの帰り際、殿下から謝罪を受けた。あの場ではお酒が入り、どうかしていたのだと弁明する。


 でも、本当にお酒だけのせいなのだろうか……。

 私の胸は、きゅうきゅうと締め付けられた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 舞踏会の翌日、いつもの礼拝堂参拝の際に、光の精霊が気になることを言ってきた。


『ナターリエ、気をつけなさい。あの女は、どこかおかしいわ』


 精霊の発した警告が、私の心に暗い暗い影を落とした――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る