第7話 従者ユリウス
王都のクリムシャ侯爵邸。
私は自室で、日課の勉強中だ。
今日の課題は王国史。家庭教師はすでに退室をしており、今は自習の時間になっている。
だが、あまりに退屈な王国史に飽きが出て、すっかりやる気が萎えていた。なにしろ、この国はあきれるほどに平和すぎて、歴史にドラマがなさ過ぎる。
少しくらいだらけたって、光の精霊もお叱りにはならないだろう。
もう、頭は王国史から完全に離れていた。
机に頬杖をつきながら、窓の外をぼんやりと眺める。
「ユリウスに、何か返せるものはないかしら……」
私は大きくため息をついた。
最近の悩みの種の一つ。
それは、従者のユリウスだ。
ユリウス自体がどうのこうのというわけではない。あくまで、私自身の気の持ちようの問題だ。
何が問題なのかと言えば、私がユリウスから様々な恩恵を受けているのに対し、私からはユリウスに何らの利益も返せていないことだ。
主人と従者の間柄なのだからと、割り切ってしまえば話は早い。
でも、私はそんな関係は望んでいない。
ユリウスは、私を理解してくれている大切な幼なじみでもあるのだから……。
「少し、観察してみようかしら」
そういえば、私と一緒でない時の普段着のユリウスを、あまり知らなかった。
まずは相手のことを、もっと知るところから始めないと……。
そうと決めたら、即行動だ。
この時間のユリウスは、おそらく使用人の部屋で報告書を書いているはず。
こっそりとのぞき見をするために、私は物音を立てないように現場へと向かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
使用人の部屋の入口そばで身を潜めながら、私はユリウスの様子をじいっと見つめた。
ユリウスは机に突っ伏し、頭を抱えている。
「何か、悩んでいるのかしら?」
ユリウスは時折うなり声を上げつつ、髪の毛をワシャワシャとかきむしっていた。
「何か報告しづらい問題でもある?」
パッと思いつくのは、例の礼拝堂への参拝。
でも、あれは私とユリウス二人だけの秘密の行為。ユリウスが父様に報告を上げるはずがない。
「じゃあ、いったいなにかしら?」
見当が付かず、私は小首をかしげた。
ユリウスは立ち上がり、机の周りをうろうろし出した。
空に指で何か文字を書きながら、ブツブツとつぶやいている。
やがて、棚から紙束を持ち出してくると、再び席に着いた。
いつもは見せないユリウスの行動に、思わず微笑が漏れる。
私に見せるひょうひょうとした態度とは異なる、あのしかめっ面。結構貴重だ。
でも、このままずっとのぞき見しているのも、ちょっと趣味が悪いかな。
ユリウスがまた頭を抱えだしたところで、私は声をかけることにした。
もしかしたら、何かユリウスの役に立てるかもしれないと思ったから……。
「ユリウス」
私が話しかけると、ユリウスはビクッと身体を揺らし、ぎこちなく振り返った。
「うげっ、お嬢様!?」
「ちょっと! うげっとはなんですか、うげっとは」
いたずらがばれた子供のように、ユリウスはばつの悪そうな表情を浮かべている。
それにしたって、『うげっ』はないと思う。
「はははっ……。こんな場所まで、どうしました。何か問題でも起こりましたか?」
「そういうわけじゃないの。ちょっと、調査というか何というか……」
「へっ?」
口よどむ私を見て、ユリウスは首をかしげた。
「もうっ、わたくしのことはいいのです。それよりも、あなたですわ、ユリウス!」
「私、ですか?」
「そう、あなたです! 先ほどからウンウンと唸って、何か困っているのではなくって?」
「あぁ……。これですよ、お嬢様」
ユリウスは苦笑を浮かべながら、私に机の上の書類を示した。
サッと内容を確認したが、どうやら週ごとにまとめなければいけない消耗品の報告書のようだった。
「特に悩むような内容ではなさそうね。どこが問題なの?」
「笑わないで聞いてもらえますか?」
「うーん、内容によるわ」
「そんなっ、お嬢様、ひどい!」
おどけたようにユリウスは笑い出す。
「もうっ」
私も、ユリウスの頭を軽くコツンと小突いて応えた。
「はははっ」
「ふふっ」
お互いにひとしきり笑ったところで、仕切り直しだ。
「実は私……俺、計算がダメなんだ」
「あら、意外ね」
笑ったことで緊張感が解け、口調も気安いものに変えた。
この話し方にすると、裏の顔の私になったようで、ちょっぴり心が弾む。
それにしても、何でもこなせる完璧従者かと思っていたユリウスにも、意外な弱点があるとは……。
「割とどうでもいいところでミスをして、家令の旦那からはしょっちゅうダメ出しを食らっているんだ」
頭を掻きながら、ユリウスはため息をついた。
これは、好機かもしれない。
ようやくユリウスに、何かを返せる。
「よしっ、私が少し手伝うわ!」
「えっ!? ナティーにこんな雑事をやらせるのは、さすがに……」
「いいの、いいの。私も気分転換になっていいから」
私は少し強引に、ユリウスから書類を奪い取った。
「この程度なら楽勝よ」
戸惑うユリウスを尻目に、私はペンを持ってユリウスの計算の結果を確認していく。
「なるほど……」
「どうした、ナティー? やっぱり、あちこち間違えていたか?」
私はうなずき、ユリウスに書類を示す。
「こことここ、それからここね。数値が違っているわ」
「うへぇ……。助かったよ、また家令にどやされるところだった」
ユリウスは苦笑いを浮かべながら、数値を訂正していく。
その間、私はユリウスの目線、計算過程、メモの取り方、などなどを注意深く見つめた。
「これじゃ、ミスも増えるわね……」
「えっ?」
私のつぶやきに、ユリウスは大きく目を見開いた。
私が見る限りでは、大きく三つ問題点があるように感じた。
一つ目は、あまりに暗算に頼りすぎていること。
もっと丁寧に途中経過を記録すれば、計算ミスは相当に防げそうだ。
二つ目は、メモの字があやふやなこと。似た数字や記号がごっちゃになりやすそうな書き方をしている。
せっかくメモ用の紙を大量に支給されているのだから、もっと大きな字で、くっきりはっきりと文字を書けば、転記ミスも防げるだろう。
三つ目は、前回報告の数値に引っ張られすぎていること。
前回報告を元に報告書を作成している関係上、前回と今回で似たような数字になっていると、うっかりその数値をごっちゃにした値を誤記してしまいがちだ。
例えば、前回が7727で今回が7227だった時に、7722やら7277やらと書いてしまう。
こればかりは、似たような値になった際に注意深く確認をしてもらう以外にないだろう。
いずれにしても、これだけ間違いを誘発しそうな要因が重なれば、結果は推して知るべしだ。
「ユリウスの問題点は、三つあるわね。まずは――」
具体例を示しながら、ユリウスに丁寧に説明する。
対して、ユリウスは驚いた顔で何度も何度もうなずいていた。
よかった、どうやら感謝してくれている。
ユリウスの調査に来て、正解だったな……。
それからしばらくの間、私はユリウスにいろいろと計算や検算のコツを教えた。
帰り際、ユリウスに両手をぎゅっと握られ、「ナティーはすごい! さすがだよ!」と賞賛された時には、あまりのうれしさに、胸の中を温かいものが目一杯に広がっていったように感じた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ようやく、ユリウスの役に立てた。
私は鼻歌を歌いながら自室に戻り、気分よくベッドに飛び込んだ。
侍女に見られでもしたら、きっとはしたないとたしなめられる。
でも、今だけはいいじゃないか。
誰かのために何かを為すって、やっぱり楽しい。
私は枕に顔を埋めながら、ユリウスの笑みをたたえた表情を思い返す。
「でも、ユリウスが私に与えてくれたものは、こんな程度ではないわ」
まだまだ、ユリウスの恩に報い切れていない。
「さあ、ナターリエ。これからどうする?」
私は自問した。
せっかくのこの機会を活かし、今後もユリウスの書類作成を手伝って、仲を深めるべきだろうか。
それとも、主人と使用人の分はきちんとわきまえ、これ以上の口出しは控えるべきだろうか。
私があれこれとユリウスの仕事に差し出口を叩きすぎても、嫌がられるかもしれない。それに、主人に手伝わせるとは何事だと、ユリウスが上司の家令に叱られるおそれもある。
あれこれと悩んだ結果、私は一つの結論に達した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「さぁ、ユリウス。始めるわよ!」
「本気か、ナティー?」
「もちろんっ!」
私は、ユリウスに計算を教えることにした。
私が直接、ユリウスの報告書の作成に手を貸すのが良くないのなら、間接的に助けるまでだ。
ユリウスが私のそばに控えている際の空き時間に、計算の苦手なユリウスへ私がいろいろとコツを教えてあげるといった体で、家令や侍女長に認めてもらった。
今日から私は、ユリウスの計算の家庭教師。
なんだか、わくわくしてきた。
結果として、ユリウスは報告書の作成を、私の自室でする機会が多くなった。
必然的に、ユリウスとの二人の時間も増える。
これで、ユリウスにもっと多くのものを与えられる。今までの悩みも、解決する。
加えて、私もユリウスに計算を教えることで、気分転換になる。
うん、いいことずくめだ。
……もしかしたら、エリアス殿下にも同じように、私から何らかの協力ができれば、もっと仲を深められるのではないか。
これは、今後の重要な課題になりそうだった――。
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