第6話 新たな日常
エリアス殿下の婚約者としての私と、光の精霊の愛し子としての私。
表の顔の私と、裏の顔の私。
これまでとは違う、新たな二重生活が始まった。
今日は表の顔の私――エリアス殿下とのお茶会の日だ。
王宮内の王族プライベートエリアにあるエリアス殿下専用の中庭で、殿下と二人、お茶をいただいていた。
私はいつものとおり笑顔を貼り付けながら、殿下のお話にうなずいている。
口さがない者が言うとおりの、首を縦に振るだけの置物だ。
笑顔を絶やさず、口答えもしない。
教えられたとおりにこなすだけの木偶人形。
直に顔を合わせてこの状態では、いくら殿下にお花や手紙を送って気を惹こうとしたところで、無駄ではないかと思う。
でも、これが伝統的な王国淑女の作法だと言われれば、従わざるを得ない。
面と向かっての意見や口答えは、厳に慎むよう教育係に口うるさく言われている。
それにしても殿下は、本当にこのような女性を好むのだろうか。
私が殿下の立場だったとしたら、退屈で仕方がないと思う。
……殿下も、実は同じ思いなのではないか。
だから、殿下は私ときちんと向き合ってくれないのではないか。
わからない。
本当のところがどうなのかを。
私はチラリと目線を外す。
外した先には、頼りになる従者ユリウスの姿が見えた。
なんだか、ほっとする……。
「――い」
ユリウスが私の視線に気付き、小さく手を振っている。
「――ティー」
私もうれしくなり、頬を緩めた。
「おい、ナティー」
「えっ!?」
いつの間にか、殿下が私の顔のそばで、手のひらをパタパタと振っている。
「私の話にも上の空で、どうした。珍しいな」
「あっ、いえっ……。申し訳ございません」
「いや、別にかまわないのだが……。そちらに何かあるのか?」
殿下は振り返り、私の目線の先に顔を向けた。
だが、一瞬のうちに、ユリウスは少し離れた場所へと移動していた。
今、殿下の視線の先には、大理石の柱と壁があるのみだ。
「ふむ、特に何もないか……。まぁよい」
「それで、どのようなお話でしたかしら」
「あぁ、そうだったな」
殿下は気にせず、続きを語り始めた。
今度は気を抜かず、しっかりと耳を傾ける。
弟王子のかわいらしいいたずらに対する愚痴やら、剣の修練で初めて騎士と一対一で戦った武勇伝やら、殿下は身振りを交えながら話す。
なんだか、語り口調にいつもよりも熱がこめられているような気がした。
単なる、私の気のせいかもしれないけれど……。
用意されたお茶がそろそろなくなろうかというところで、お茶会はお開きになった。
次の日。
今度は裏の顔の私――下町の礼拝堂への参拝の日だ。
バッチリ変装を施し、ユリウスと連れ立って平民街を歩く。
今この一時だけの、立場を忘れたユリウスとの他愛のない会話。
今よりも少しだけ自由があった、幼いあの頃を思い出す……。
光の精霊への祈りと祝福。もちろん、これが参拝の最大の目的だ。
でも今では、この行き帰りのユリウスとの語らいが、もう一つの大きな楽しみになっていた。
もしかしたら、父様にばれやしないかとの緊張感が、より大きく私の心を揺さぶっているのかもしれない。
そう、それはまるで、子供の火遊びのように――。
このような二重生活を、私は周囲に感づかれることなく送っていた。
しかし、いつまでこのような日常を過ごせるのだろうか。
胸の内に、小さな不安が少しずつ積みあがっていた――。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ある日の王宮でのお茶会で、ちょっとした事件が起こった。
エリアス殿下が声を荒げて私に詰め寄ってきたのだ。
婚約以来、このような場面に出くわしたことは一度もなかった。
私の人形っぷりをさりげなく皮肉るようなことはあっても、決して語勢を強めたりはしなかった殿下なのに、どういうわけかこの日に限っては違った。
「殿下?」
私は戸惑い、視線をさまよわせた。
ついつい、壁際のユリウスを探してしまう。
「ほら、まただ!」
殿下は席を立つと、私の視界を遮るように目の前に立ち塞がった。
「どうして、私から視線を外す」
「えっ……」
何を言われているのか、すぐには理解できなかった。
両手を腰に当てている殿下の脇の下から、チラリと大理石の柱が見える。柱の陰に控えているユリウスと、目が合った。
とそこで、私は気がついた。
あぁ、殿下はこのことを言っているのか……。
「従者と何やら目配せをしているようだが、いったい何を企んでいる」
やっぱり……。
ユリウスと目でやりとりをしていると、誤解されているようだ。
「目配せなどは……。ご不快に感じていらしたのでしたら、謝ります。わたくしの不注意ですわ」
「む……。うむ。わかってくれればよい」
私が素直に謝ったせいか、殿下は途端に語気を弱める。
なんだろう、私に何か反論をさせたかったのかな。
今までの私の態度からこのような反応を返すだろうとは、殿下には容易にわかりそうなものなのに。
「ナティーは私の婚約者なのだ。たとえ従者といえども、そう気安く異性と目を合わせるのは、どうかと思うぞ」
殿下は不機嫌につぶやくと、自分の席に座り直した。
あれ、もしかして私、嫉妬されている?
殿下の意外な態度に、なんだかちょっとソワソワする。
「以後、気をつけます」
私が頭を下げると、殿下は鷹揚にうなずいた。
「視線の件はともかくとして、ここ最近のナティーは、なんだかいままでと違う気がする。何かあったのか?」
「いえ、それは……」
言葉に窮した。
光の精霊に出会ったこと。
殿下との婚約は諦め、聖女になるよう勧められたこと。
……とても、殿下に話せるような内容じゃない。
「なんだ、婚約者の私にも話せないことがあるのか?」
「えっと……」
困った。
殿下に口答えをするわけにはいかない。
かといって、精霊関係の事情も話せない。
煮え切らない様子の私を見て、殿下は大きくため息をついた。
「ナティー、君はもっと、自分の意見を言うべきだと思うよ。両親や教育係になんと言われているのかは知らないけれど、君はそれでいいのかい?」
「殿下……」
殿下もなかなか難しいことを言ってのけてくれる。
私だって、できればもっと自由に意見を言いたい。
ユリウスと語らう時のように、会話の投げ合いを楽しみたい。
でも、そんなことをすれば、両親も教育係もいい顔をしないだろう。淑女にあるまじき態度だと、きっと非難される。
いったい私は、どうすればいいんだろう。
殿下の言うことには唯々諾々と従いなさいとの教えを守り、殿下の希望を飲む?
しかし、殿下の希望どおりにすると言うことは、殿下に意見をすることと同義だ。結果として、両親や教育係の教えを破ることにもつながりかねない。
……両立し得ないじゃないか。
改めて考える。
今までどおりのお人形さんで過ごせば、あの惨劇の繰り返しになるかもしれない。
悪夢を繰り返さないためにも、より一層殿下との関係を深めていかなければいけない。
となると、はたして、これまでしつけられてきた教えをかたくなに守り続けるだけで、いいのだろうか。
やはりここは、多少淑女の作法からは外れるかもしれないが、殿下の言うとおりもっと自分の意見を主張していくべきなのかもしれない。
でも、完全に自由奔放な発言をするまでは、さすがに躊躇する。
その辺りの均衡をとって、うまくやっていくしかないだろう。
「わかりました。善処いたしますわ」
私の返事に満足したのか、殿下は相好を崩した。
思わずハッとした。
私の目を、見てくれている?
殿下のこのような笑顔は、初めての経験だった。
このお茶会を境に、私は自分が思ったことを、素直に殿下へ伝えるようにし始めた。
この成果なのかはわからないけれど、以前と比べて、殿下と目の合う機会が格段に増えたように思う。
あぁ、そうなんだ。
やっぱり、自分から主体的に動かないと、ダメなんだ。
そして、殿下もそのような女性を欲していたんだ。
これまでの自分のお人形のような態度が、いかに殿下を傷つけていたか。
私はようやくわかった気がした。
とは言え、今はまだ、無難な意見を言うまでにとどめている。さすがに反論や口答えをするような真似まではできなかった。
ここまでが、両親や教育係の教えと殿下の希望との間の、私がとれる折衷案。
少しずつ、少しずつ。一歩一歩着実に。
あせらず徐々に信頼を積み上げて、殿下との関係をもっと深めていければ、あの惨劇はきっと防げる。
私はそう、信じていた――。
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