第5話 変装の聖女

 光の精霊との出会いから、十日ほどが経過した。


 私を襲った犯人の手がかりは、結局つかめないままだった。

 父様から、出歩く際には決して一人になるなとの厳命を受けている。なので、最近はずうっと、屋敷では侍女、外ではユリウスと一緒だった。


 誰かが常にそばに付いている以外に、私の日常はそう大きく変わってはいない。

 屋敷にいる時は、勉強、勉強、勉強、……たまに礼儀作法。数少ない外出も、エリアス殿下がらみで王宮へ行くのみだ。


 私は殿下の婚約者ではなく、聖女になるべき。光の精霊からはそう聞かされた。

 しかし、私は違う決断をした。

 殿下の婚約者として、王妃の道を目指す、と。


 でも、心のどこかでささやく自分もいる。

 聖女になって、もっと自由な生き方を求めてもいいのではないか、と。


 光の精霊の言うとおり、聖女となれば光の加護を国中隅々まで行き渡らせる必要がある。このため、必然的に旅をする機会が多くなる。

 王宮へ閉じ込められる王妃とは、真逆の生活だ。


 自らの足で歩き、庶民の話を聞き、祈りを捧げる。

 いったい、どんな気分なんだろう……。


「どうした、ナティー?」


 立ち止まって考え込む私の顔を、ユリウスがのぞき込んだ。


 道ばたで止まっていては、往来の迷惑になる。

 私は慌てて歩き始めた。


 ここは王都の平民街。貴族街とは違って、人の行き来も多い。気をつけないと……。


 大きさが合わずに少しずれてきた伊達眼鏡を、指先でくいっと押した。


 この伊達眼鏡に口元を覆うスカーフ、いつもとは違った化粧。さらには、屋敷のメイドに無理を言って借りた、庶民の好む服。


 完璧な変装だと思う。


 隣を歩くユリウスも、ごくごくありふれた町人の服を着ている。腰に剣をぶら下げているが、商人なんかも護身用に帯剣をしている場合が多いらしいので、特に不自然ではない。


 これなら、貴族の娘のお忍びだとは気付かれまい。


 変装をしてまで、平民街に降りてきた理由。

 それは、礼拝堂に行って、神像の前で光の精霊への祈りを捧げたいからだ。


 精霊から祝福を与えられた時、私の心は幸福感で満たされた。

 あの感情を、また味わいたい……。


 悪夢が現実だったと知ってしまい、うなされる夜が増えた。

 でも、光の精霊の祝福があれば、きっと私は耐えられる。


 屋敷に閉じ込められたままでは礼拝に行けない。かといって、王宮に行った際に大聖堂に寄るのも無しだ。

 あの日はたまたま大聖堂に人がいなかったけれど、普段もそうだとは限らない。もし万が一、祈りを捧げている姿を誰かに見られでもしたら、具合が良くない。

 できれば、光の精霊に祝福されている事実は、隠しておいたほうがいいと思うから。


 特に、父様と敵対する貴族に知られでもしたら事だ。

 私を無理矢理聖女に祭り上げ、殿下の婚約者の地位を奪い取ろうとするかもしれない。それは困る。

 私はまだ、殿下の婚約者の地位を諦めてはいない。


 なので、私はユリウスと相談し、変装をほどこして下町の礼拝堂に向かうことにした。さすがに、貴族の監視の目は届いていないはず……。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 礼拝堂への道すがら、幼い頃を思い出しつつ、砕けた調子でユリウスとの会話を楽しんだ。

 愛称のナティーで呼ばれると、ちょっとこそばゆい。


「さっきはね、光の精霊様のことを、少し考えていたの……」

「あれなー。ほんと、驚いたぜ」

「ユリウスでも驚くことがあるのね。いつもひょうひょうとしているから、何事にも動じないものとばかり」


 クスクスと笑うと、ユリウスは頬を膨らませ、反論した。


「馬鹿を言うなよ。俺だって、ただのちっぽけな人間だぜ。あんな人知の及ばない存在を目にしたら、そりゃ驚くさ」

「たしかに、神々しいまでの光の精霊様のお姿だったわね」


 まばゆいまでに光り輝く白い翼に、この世のものとは思えないほどの美貌。

 あの姿を見たら、些末な私たちなんて、ただただ平伏するしかない。


「それで、ナティーはどうしたいんだ?」

「え?」


 ユリウスは真面目な表情に戻り、私に問いかけてきた。


「聖女になれって、言われたんだろ?」


 ドキリとした。

 まさか、ユリウスがその話題を振ってくるとは……。


「私は、殿下の婚約者よ? 巫女として教会に入るわけにはいかないわ」


 平静を装いつつ、よどみなく答えた。


「本当に、ナティーはそれでいいのか?」

「……うん、いいのよ」


 どこか悲しげな雰囲気を漂わせながら、ユリウスが見つめてくる。

 私はいたたまれず、目を背けた。


 駄目。

 そんな目で私を見ないで。

 一度固めた決意が、揺らいでしまう……。


 私は侯爵家の娘として、父様や母様の期待に応えないといけない。他の選択肢なんて、とるべきではないのだから。


 ユリウスとの楽しかった会話も、ここで途切れてしまった。

 結局、礼拝堂まで私たちは無言のままだった。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 礼拝堂に着いた。


 私は神像の前でひざまずき、光の精霊への祈りを捧げる。


 すると、以前大聖堂で受けた祝福の時と同様に、私の身体は白い光に包まれた。


『ナターリエ……。今は、迷いなさい。そして、悩みなさい』


 脳裏に光の精霊の声が響き渡る。


『その悩みの深さの分だけ、あなたはより成長するでしょう』


 言葉を聞き逃さないよう、意識を集中した。


『どうか忘れないで。私は常に、あなたとともにあります。ナターリエに、祝福を……』


 光の精霊が喋り終えると同時に、白い光は私の体内へと吸収された。


 大聖堂の時と同じだ。

 胸が、ほんわかと暖かい。心が軽くなる……。


 ふうっと大きく息を吐き出し、立ち上がった。

 すごく、すっきりした。無理を押してまで来て良かった。


「終わったか?」

「えぇ、祝福をしてもらったわ」


 ユリウスに振り返り、私は笑みを浮かべた。

 ユリウスもうれしそうに頬を緩めている。


「……ねぇ、ユリウス」

「なんだ?」

「これからも、この礼拝堂に通いたいと思うんだけれど」

「任せろ、しっかりと俺が護衛をしてやるさ」


 ユリウスは胸を叩き、ニッと笑う。


「いいの?」


 私は首をかしげながら、あらためてユリウスに問い直す。

 正直なところ、断られるんじゃないかと思っていた。


「俺はナティーの従者であり護衛だ。当たり前じゃないか」

「でも……」


 父様には黙ってのお忍びだ。

 私のわがままに付き合ったところで、ユリウスにはデメリットしかない。

 ばれてしまえば、ただではすまないだろうから。


「だから、俺に任せておけって。そんな顔をするな」


 ユリウスは私の頭を軽く小突き、いたずらっぽい笑みを浮かべている。


「……ありがと」


 思わず涙ぐみそうになったのを、必死でこらえた。

 本当に、ユリウスには感謝しかなかった。




 こうして、私たちは数日に一回、一緒に礼拝堂へと通うことになった――。

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