第4話 光の精霊

 サッと陽光が目に飛び込んでくる。

 まぶしさに、私は思わず目をつむった。


 少し薄暗かった王宮から、無事に外へ出られたのだと実感する。


 渡り廊下を離れて以降、さらなる襲撃もなく、私たちは王宮の前の広場まで戻ってきた。

 そばの馬車止めに、我が家の二頭立て馬車が止まっている。馬を丁寧にブラッシングしていた御者が、私たちに気付いて頭を下げた。


「あれから、何事もなく外まで来られてよかったわ」

「えぇ。ただ、犯人の目星がつけられなかったのが、悔やまれますね……」


 ユリウスは渋い表情で、チラリと王宮に視線を遣った。


「わたくしがあなたを足止めしてしまったせいです。責められるべきはわたくしなので、気に病まないでくださいませ」

「そうは言っても、私はお嬢様の従者兼護衛ですからねぇ……」


 ユリウスは不満げに頭を掻く。


 あの時、襲撃者の手がかりを追おうとしたユリウスの手を取って、引き留めたのは私だ。突然命を狙われた事実に動揺し、恐怖のあまりに一人でその場に残ることを心が拒否したからだ。

 忠実に職務を遂行しようとしたユリウスには、申し訳ないことをした。


 現場に残された矢には、これといった手がかりがなかった。

 ユリウスによると、我が国でよく使われるタイプのものではなかったらしいが、それでも、そこまで珍しい代物というわけでもないらしい。

 まぁ、姿を隠して襲ってくるような輩が、物証になるようなものを残すわけもないか。


「旦那様には報告しておきます。お嬢様も、今後は重々身辺に注意してください。四六時中私が一緒にいられるというわけでもないですし」

「えぇ、わかっておりますわ」


 確かに、一人の時に狙われたら、戦うすべのない私なんてさしたる抵抗もできない。護身用の短剣は持っているものの、これも鍛えた者相手にどこまで効果があるやら……。


「ま、難しい話はここまでです。今日はもう気分を切り替えて、お屋敷に帰りましょう、お嬢様」

「そうね……」


 ユリウスに手を引かれ、馬車に向かった。


 そのとき、チラリと視界の端に、件の大聖堂が飛び込んできた。


「あっ……」


 足が動かなくなった。

 私は立ち尽くしたまま、大聖堂を注視する。


「お嬢様?」


 いぶかしげに、ユリウスが私の顔をのぞき込んだ。


 すると、突然まばゆいまでの白い光が、私を優しく包み込む。


『いらっしゃい――』


 脳に直接語りかけてくるような、不可思議な声が聞こえた。


『こちらへ、いらっしゃい、ナターリエ……』

「だ、誰!?」


 声を張り上げ、周囲を窺った。


「ど、どうしました、お嬢様!」


 ユリウスが私の肩をつかみ、揺すぶってくる。


「ユリウス、聞こえないの? わたくしを……。わたくしを、呼ぶ声が……」

「何を言っているんだ、お嬢様! 声なんて、まったく聞こえない――」


 私はユリウスの腕を振りほどき、大聖堂に向かって歩き始めた。


 行かなくちゃ。

 行かなくちゃいけない。


 不思議な声に導かれるまま、私は大聖堂に足を踏み入れた。

 背後でユリウスが何か言っているが、内容が耳に入ってこない。


 人気のない中を、大股で祭壇に向かって歩き、神像の前で立ち止まった。


 いつもなら昼間でも薄暗い大聖堂。

 だが、今はなぜだか、祭壇を中心に神々しく光り輝いているように見えた。


 不思議だった。


 私は神像の前でひざまずくと、光の精霊へ祈りを捧げた。

 自然と、そうしなければいけないと、身体が動いた。


『あぁ……。私の愛しい子、ナターリエ……』


 再び、あの不可思議な声が聞こえる。

 瞬間、周囲の光が神像の前で凝集し、人の姿を取り始めた。


「あっ……あっ……」


 あまりの光景に、私は言葉を紡げない。


「こ、これは……」


 ユリウスの驚愕の声が聞こえる。


 気付けば、大きな白い翼を持った美しい女性が、眼前でにこやかに微笑んでいた。


「あ、あなたは……」

『私はこの国を守護する、光の精霊……』

「光の、精霊様……」


 にわかには信じられなかった。

 長い長い王国の歴史の中で、光の精霊が人の目の前で顕現した機会など、数えるほどしかないはずだ。


 聖女と呼ばれる、特に光の精霊に愛された巫女が、秘術を使って初めて、その姿を見ることができる。それが、光の精霊。

 そもそも、聖女と呼ばれるほどの巫女なんて、百年に一度、現れるかどうかだとも聞いている。


 そんな光の精霊が、今、私の目の前に……。


『良かった、ナターリエ。あなたの心はまだ、壊れてはいないのですね』

「えっ?」


 何の話だろう。

 心が壊れる?


『あの時、死を目前にしたあなたをこうして過去の世界にまで戻したのは、決して間違いではなかった……』


 精霊は胸に手を当て、安堵したような表情を浮かべている。


 待って。

 ちょっと、待って。


 過去の世界ってなに?

 死を目前にした?


 嫌な予感がした。

 背筋につーっと、汗が流れ落ちる。


 ……も、もしかして――。


「あの悪夢は、現実だった……?」


 私のつぶやきに、精霊は悲しそうにうなずいた。


 嘘……。

 嘘でしょ。


 エリアス殿下に見限られ、伯爵令嬢に罠にはめられ魔女の濡れ衣を着せられ、挙げ句の果てには首まで切り落とされた。あの出来事が、実際に私の身に起こった現実だったなんて……。


 視界がぐらんぐらんと揺れる。

 私はそのまま、床に手をつきうなだれた。


 頬を熱いものが伝わる。

 あふれ出る涙を、まぶたにとどめ置くことはできなかった。


 ぽつぽつと、床の絨毯に黒い染みができる。


『愛しい子よ。あなたはあのような場所で死んでよい身ではありません』

「それは……。どういう意味でしょうか?」

『あなたは新たなる《聖女》になるべき娘。それを、よりにもよって闇の力に染まった魔女だなどと。私は許せなかったのです』

「わたくしが、聖女……?」


 今まで、私のことを聖女だなどと口にする人はいなかった。私自身も、別にこれといって信心深かったわけでもない。普通の貴族並みの信仰心だと思う。


 ただ、よくよく思い返してみると、幼い頃から時折、空耳らしきものが聞こえていたような……。

 以前、かかりつけの医師に相談した際には、厳しい勉強や躾による疲労の蓄積が原因ではないかと言われ、私は納得していた。


 でも、どうやら違ったようだ。

 まさか、光の精霊が語りかけていたからだとは……。


『先代の聖女による光の加護が薄まっています。あなたが新たな聖女として、私の加護の力を王国中に広めなければ、この国に様々な災いが起きかねません』

「そんなっ!」


 声がうわずった。

 この平和で豊かな王国が、失われてしまう!?


『あなたは王妃になどなってはいけません。聖女として、この王国を光で満たさねばならないのです』

「で、ですがっ!」


 いきなり言われても困る。

 私は幼い頃から、ただひたすら、エリアス殿下の伴侶となるべく育てられてきた。今さら生き方を変えろと言われても無理だ。

 それに、聖女になって教会へ入ってしまえば、父様や母様の期待を裏切る結果になる。侯爵家長女としての役割を、果たせなくなる。


『何を迷っているのですか? ナターリエ、あなたも見たでしょう。このまま王妃の道を進めば、破滅が待ち受けていると』

「そ、それでも……」


 私は殿下の婚約者の道を捨てきれない。

 ある程度未来がわかっているのであれば、あの伯爵令嬢の罠をうまくかいくぐって、殿下の失望を買うような結果を避けられるかもしれない。


 父様母様の、周囲の大人の、私に向けられる期待の視線を、決して裏切るわけにはいかない……。


『……あなたも強情ですね。わかりました。もうしばらく様子を見ることにしましょう』

「精霊様、すみません……」

『いいのです、あなたは私の愛し子。多少のわがままを言ってくれたほうが、かわいげがあってうれしいものですよ』


 精霊は優しく微笑み、私の頭にそっと手を置いた。


『私はいつでもあなたを見守っています。何かあったら、神像に向かって祈りを捧げなさい』

「はい……」

『愛しきナターリエに、光の祝福を――』


 精霊の手がまばゆく輝き始め、発せられた光が私の全身を包み込む。


「ナ、ナティーっ!」


 ユリウスの悲鳴が聞こえた。


 私は振り返り、大丈夫だと笑顔を見せる。

 まとわりついた光は、やがて私の身体の中へと吸収されていった。


 同時に、精霊も姿を消し、大聖堂はいつもの薄暗さを取り戻した。


 胸の奥が、暖かい。

 これが、光の精霊の加護……。


 両手を胸の前に合わせて、ぎゅっと目をつむった。

 これまでの不安が、一気に消し飛んだ気分だ。


 私はふっと息を継ぐと、立ち上がってユリウスに向き直った。


「ナティーが……お嬢様が、聖女?」


 ユリウスは呆然とした様子で、私と光の精霊が立っていた場所とを交互に見比べている。


「なんだか、そういうことらしいわ」


 ユリウスを安心させようと、私は首をちょこんとかしげながら微笑んだ――。

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