第2話 悪夢

「いやぁぁぁっっっ!!!!」


 私は叫び声を上げながら、ベットから飛び起きた。


「お嬢さまっ、どうかなさいましたか!」


 部屋の外から、慌てた侍女の声が聞こえる。


「い……今のは、夢?」


 手のひらにべっとりと汗がしみ出していた。

 寝間着も肌に張り付き、不快感がこみ上げてくる。


 やけに現実感のある悪夢だった。


 エリアス殿下の隣に立ち、私に憎しみの視線を送ってきたあの見知らぬ令嬢。

 夢の中の私は、あの女を伯爵令嬢アルシュベタと言っていたけれど……。

 どこかで見たことがあるような、ないような……。


 首元に手を当てた。

 大丈夫、ちゃんとくっついている。

 あれは、間違いなく夢……。


 それとも、もしかして予知夢?


 背筋がぞくりとした。

 思わず両手で自分の身体を抱いた。


 しっかりしろ、ナターリエ。

 殿下の婚約者は、あの伯爵令嬢じゃない。私なんだから。

 夢見が悪かった程度で、何をびびっているの!


 両手で顔を軽くはたき、イヤな悪夢の記憶を振り払った。


「……お嬢様?」


 侍女が恐る恐る私に声をかけてきた。


「大丈夫ですわ。少し、夢見が悪かっただけですので」


 侍女はほっと息を継ぐと、私に水を一杯差しだした。


「ありがとう」


 魔法でキンと冷やされた水が、ぼやけた思考をはっきりと覚醒させる。


「今日は……登城の予定でしたわね」

「はい。殿下とのお茶会が入っております」

「わかったわ。準備をお願い」


 侍女に指示を出すと、私は王宮に向かうための身支度を始めた。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 ここ、バルヴィーン王国は、光の精霊に祝福された豊かな国だ。

 豊穣な大地に数多の森林資源、国境近くの山からは豊富な鉱石がとれる。まさに、近隣諸国もうらやむ楽園だった。


 私の家は、そんな王国の中でも指折りの有力貴族、クリムシャ侯爵家だ。

 両親の他に兄が一人、弟と妹が一人ずつおり、私は長女として、同じ年に生まれた第一王子の婚約者候補となるべく、育てられてきた。


 第一王子エリアス殿下の婚約者になることは、侯爵家の令嬢として当然のお役目だと、幼い頃から散々に教えられてきた。

 私もそんな環境に何一つ疑問を持たず、未来の婚約者、王妃を目指し、日々努力を重ねてきた。


 十二歳を期に、私の努力は実を結び、正式にエリアス殿下と婚約を結んだ。

 あの時の両親の喜びようを思い出せば、あぁ、私のやってきた努力は無駄じゃなかったんだな、と誇らしい気持ちになる。


 でも――。


「ちょっと、気が重いな……」


 殿下の姿を脳裏に浮かべると、今朝がた見た悪夢を思い出す。

 夢だとわかっていても、ぞわりと寒気が襲ってくる。


 しばらく、大聖堂には足を踏み入れないほうがいいかもしれない。

 あそこが、悪夢の現場だったのだから。

 幸いにして、次の聖なる祈りまではまだ半年ちかくある。さすがにそれだけ時間が経てば、気分も落ち着くはずだ。


 今のところ、表面上は殿下との関係は良好だ。

 不安はない。

 ……ない、はずだ。


 でも、私はなんとなく気がついていた。

 殿下の心の内が、私にまったく向いていないと。


 好かれるように努力はした。

 侍女たちに助言ももらいつつ、殿下の気を惹こうと贈り物をしたり手紙を出したり、いろいろ試しもした。

 でも、殿下は取り繕ったような笑顔は浮かべるが、一向に私の目を見ようとはしなかった。


 何がいけないんだろうか。

 私が一方的にお慕いしているのが、かえって殿下の重荷になっている?

 父様、母様や王宮の教育係のいいなりになって、殿下の言葉に一切口答えをしていないのが、殿下にとっては面白くない?


 口の悪い人たちから、私が親の言いなりのお人形さんだと言われているのは知っている。

 でも、自分から周囲に波風立てるような言動をするなんて、はしたないではないか。私はそのように、幼い頃からしつけられてきた。

 今更変えろと言われても、なかなか難しいところがある。


 それでも、私は両親の期待に応えなければいけない。

 殿下からの愛を受けられるよう、努力を続けなければいけない。


 それが、侯爵家令嬢としての、義務なのだから……。

 果たせなければ、私の存在価値なんて、これっぽっちもない。


 殿下を振り向かせられなければ、それこそあの悪夢の再現に――。


 陽光に照らされてギラリと光る刃先。周囲には刑の執行を今か今かと待ちわび、はやし立てる群衆。

 刑吏の剣で支えのロープが切られて、シャーッと音を立てて一気に私の首元まで落ちてくる断頭台の刃……。


 私はハッとして、ブンブンと頭を振った。


「今、わたくしはなんて恐ろしい想像を……!」


 悪夢が、相当に私の心を弱らせていたようだ。


 気付いたら、身支度がすんでいた。

 侍女の手伝いはあるものの、必要な動作を無意識のうちによどみなく、きっちりとこなす自分の肉体。我ながらあきれた。確かにこれじゃ、意思のないお人形さんだ。


 私はため息をつきながら、馬車の用意された玄関へと向かった。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 玄関へ着くと、扉の外に二頭立ての馬車が止まっていた。

 父様母様に出立の挨拶を済ませ、馬車の前まで移動する。


「お嬢様、どうぞこちらへ」


 私付きの従者のユリウスが、手を差し出してきた。


「ありがとう、ユリウス」


 ユリウスの手を取り、馬車に乗り込む。

 座席に座ってほどなくすると、馬車が進み出した。


 この王都の侯爵邸から王宮までは、およそ十五分。

 いつもならば、ユリウスは私に話しかけてきたりはしない。


 だが、この日は違った。


「お嬢様、顔色が悪いですよ。何かありましたか?」

「ふふっ、あなたに心配をかけさせてしまうなんて。ごめんなさい、少し、夢見が悪かっただけよ」

「しかし……。それにしては、なんだか憔悴しているような」

「大丈夫ですわ。今日は楽しい……、楽しい、殿下とのお茶会なんですもの。王宮に着くまでには、きっちりと――」


 なぜだか涙が頬を伝う。

 ユリウスが慌てたそぶりで懐から手拭きを出し、私の頬を拭った。


「やっぱり……。お嬢様、無理をしすぎです」

「ですが、わたくしはなんとしても、殿下のお心を」


 私の存在価値を示すためにも、周囲の期待に応えるためにも、立ち止まってなんかいられない。

 お茶会一つだって、決して馬鹿にはできないのだ。


「あぁっ、もうっ! これだから、お嬢様は」


 ユリウスは少し語気を強めた。


「私……俺は、いつもお嬢様の頑張りを見てきました。これだけ健気に頑張るお嬢様を袖にするなんて、あの王子のほうが見る目がないんですよっ!」

「ちょっと! いくら他の目がないからって、さすがに不敬ですわ、ユリウス!」


 とんでもないことを口走り始めたユリウスに、私はギョッとした。


「かまいゃしませんよ。お嬢様の素晴らしさがわからないボンクラには、それくらい言ってやって当然ですって!」

「もうっ……。でも、ありがとう。なんだか、少し心が軽くなった気がしますわ」


 私のこれまでの頑張りを理解してくれるユリウスの言葉に、救われる思いだった。


 幼い頃から私付きで、ずっと一緒だった男の子。

 こうして、たまに気安く言葉をかけて、励ましてくれる。唯一と言っていい、私の理解者……。


 ユリウスに対しては、感謝しかなかった。


「そうそう、お嬢様は笑顔のほうが、何倍も素敵なんですから」


 ニッと笑いかけるユリウスに、私も精一杯の笑顔を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る