三元素通り 8

 街の外は元の状態に戻っていた。氷の道もなければ黒々とした草原もない。もしかするとフリーズがなにかしてくれたのかもしれない。素直に感謝だ。


 コウは舗装された一本道を歩いた。すると道の脇に見覚えのある少年が草をむしって遊んでいた。


「オウマ」


 呼ぶと、彼はこちらに視線を向けて、にこりと笑った。


「勇者さま!」


 そしてオウマはむしった草を投げ捨ててコウに走り寄った。


「くるな」


 それをあろうことかコウは剣で制した。オウマは驚きの表情を浮かべる。


「どうして?」

「お前が魔王だからだ。当然のことだろ」

「まおう……?」


 オウマはきょとんとして首をかしげた。


「まおうって?」

「とぼけなくていい」


 コウはオウマの首に刀を突き抜けた。


「ぼくはまおうじゃないよ」

「ならばおとなしく死ね」


 コウは振りかぶり、そのままオウマの体を斬りつけた。ブシュ! と肩から脇にかけてオウマの体から血が噴き出した。


「はぁ!」


 コウは攻撃の手を止めなかった。手を返し、刀を袈裟に斬る。オウマの体に傷が入り、また血が噴き出す。それでもコウは無慈悲に刀を振りかぶり、今度は縦にオウマの体を斬らんとする。


 ――だがそれは、寸でのところで止められた。


「痛いなぁ」


 オウマの声ではない。くぐもったぞっとしてしまうような声だった。


 オウマはコウを睨んだ。その目に光は宿っていなかった。無機質な黒が、オウマの体を包み込む。


「こんな小さな体を躊躇なく斬るなんてきみ、勇者失格じゃない?」

「魔王がそこにいて、斬らない方がおかしい」

「ふふふ……いやぁすばらしい。どうしてばれたのかな。たしかに設定がちょっと甘かったのは認めるけど、確信が持てるところまではいかないと思ったんだけどなぁ」


 オウマの体に漂う黒が蠢き、オウマを包み込む。そして霧散した。


「はじめまして勇者。僕の名前はヒール。魔王さ」


 魔王――ヒールは色黒の肌をしていた。豪奢な鎧に身を包み、黒のマントを羽織っている。髪の色はきらびやかな金髪で、美形の顔によく似合っている。


「どうしてばれちゃったのかな? 教えてよ」

「簡単だ。俺を最初から勇者だと認識していたのがフシギとお前だけだったんだ」

「あれ? でも僕人から聞いたって言わなかったっけ?」

「俺は自分が勇者だと街のみんなに言ってない。まぁ例外はいるが、そいつは他の人に言ってないそうだ」

「あぁなるほど。僕は墓穴を掘ってしまったわけだね」


 ヒールは美しく笑っていた。けれど心はこもっていなかった。彼はただ笑っただけなのだ。


「ねぇ、僕を倒す気なの?」

「あたりまえだ。俺はそのために存在してるのだから」


 コウは刀をかまえた。ヒールは楽な姿勢でこちらを見ている。


「武器はないのか?」

「ないよ。でも、これがある」


 ヒールは手を広げた。その瞬間、見えないなにかがコウを襲った。


「う……おぇ!」


 コウは跪き、吐いた。


「いいねその格好。勇者にはお似合いだ」

「なんだ……これは……」

「戦闘力の威圧っていうのかな?」

「戦闘力……だと?」

「そ。僕の戦闘力は『無限』。そこに限界はない。そして戦闘力を上げれば上げるほど、人はそれに酔う。戦闘力が弱ければ弱いほど余計にね」

「なるほどな」

「ちなみに勇者の戦闘力っていくつ?」

「100だ」

「あは! たったそれだけ! それだけで僕を倒そうとしたのかい! ずいぶんと楽観的だね! そういうの、無謀っていうんだよ」

「無謀なのは……承知だ」

「そんなみじめな格好してよくそんなこと言えるね! 僕なら発狂しちゃうなぁ! そんなこと言うくらいなら――死んだほうがましってくらいにね」


 瞬間、コウは吐血した。鼻からも血が垂れてくる。呼吸がうまくできない。


「戦闘力の差が大きくなればなるほど、君の体は破壊されていく。さて、どこまでもつかな? 楽しみだね、勇者」

「――ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 今度は体に激痛が走った。体は重く、一歩も動けない。意識が断裂していく。


「いいねぇ! いい声だ! もっと叫べ!」

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ふと、痛みが止んだ。コウは息苦しさを覚えながらも何度も何度も息をする。今はそれが精一杯だ。


「そこにずどん」


 左腕が弾け飛んだ。


「――くは!」


 血があたりに飛び散る。コウは痛覚を忘れ、必死に肩の部分をおさまえた。

 続いて右足が弾け飛んだ。もうそこに痛みはなかった。


「勇者よわ!」


 よほどつぼなのか、ヒールは目尻に涙を浮かべながらげらげら笑っていた。

 コウの目はそれでも死んではいなかった。


「勇者は――負けない」


 コウは体の気力を振り絞り――拳を握りしめた。できたのは、ただそれだけだ。


「がんばって動くのが右手だけって! かわいそう! ていうかもう立てないか!」


 見下しながら笑うヒールを無視し、コウはフシギを見た。フシギは黙ったままコウをみつめていた。


「そうだろ――フシギ」


 フシギは黙っていた。ヒールはなんのことだかわからず首をかしげていた。


「そういう物語……なんだろ?」


 フシギはあいかわらず黙ったまま、コウをみつめていた。


 そして――小さく笑った。


「いえ」

「――は?」


 コウは息が止まりそうになった。


「考えてみてくださいよ、コウさん」


 そこからフシギは悦に浸りながら――まるでそこに桃源郷でもあるかのような口調で語り始めた。


「この世界には勇者が勝つ物語が跳梁跋扈している世界なんですよ。そんな世界で私がそんなありふれた物語を創ると思いますか? そんなこと万に一つもないんですよ。ありえない――ありえないんです! ここまで魔王が強くなり、勇者が簡単に負けるのも物語としてはつまらないのですが、それは勇者であるあなたが弱かったのですよ、コウさん。つまりあなたは役不足だったのです。そしてそれを選んだ私の罪でもあります。それは償うべきものです。だからやり直します。だからもうこの世界は――この物語は。終わってもかまいません。ていうかもう終わってください。みじめにあがいても飽きるだけです」

「そんな――」


 愕然とした。フシギの目はもう、一緒に旅をしていたときのものではなかった。使い終わったおもちゃをゴミ箱に放り投げたあと、最後に慈しむような――そんな顔だった。


 ようはコウは見捨てられたのだ――フシギに。


 そしてフシギはもう新たなおもちゃに目移りしている。もうコウなんてみていない。『違う世界』をみているのだ。それがコウの心を張り裂けんばかりに押し潰した。


「なんだい? 仲間割れかい? そこの少女がなにを言っているのか理解できなかったけど、どうやら勇者は見捨てられたようだね」

「見捨てたのではありませんよ、魔王。見限ったのです」

「同じことだ」

「いえ、ぜんぜん」

「……?」


 いまの発言はなんだろうか。胸になにかが引っかかった。


「それより魔王。はやく勇者を殺してください。なぶるのが楽しいのはあなただけです。みなは楽しくありません」

「はぁ? ていうかさっきからなにお前? なにさまなの?」

「私は物語の紡ぎ人。あなたよりも高貴な存在です」

「物語の……つむぎびと? は? なにそれ」

「ばかにはわからなくてけっこうですよ」

「ぼくにそんな口を――聞くなぁ!」


 ヒールはカッと目を見開いた。そして戦闘力を爆発させる。


 フシギはゆっくりと歩いた。ちょうどそこはコウの直線上で、ヒールの体が隠れている。だからなのか、戦闘力が上がってもコウに被害はない。


「おい嘘だろお前……いったい何者なんだよ!」

「二度も言う気はありません」


 フシギはヒールの眼前に立った。身長は、ヒールの半分くらいの小さく無力な少女が、何倍も大きくヒールの目に映った。


「もうこれ以上上がらな――」


 そっと、フシギがヒールの頬に手を添えた――気がした。


「はやく殺してくださいよ――興ざめです」

「わ、わかったからそこをどけ!」


 そう言ったヒールの前に、フシギの姿はなかった。


「――!」


 後ろから視線を感じて振り向くと、そこには笑みを浮かべたフシギがいた。


「怖すぎだろ」

 ヒールは視線を前に向けた。いまだ地べたに這いつくばっているコウの姿が目に映る。それだけで、ヒールは安心した。


「なら一撃だ。一撃で終わらせてやるよ!」


 ヒールは真上に手をかざした。キュウゥという吸い込まれるような音が響く。


「戦闘力の上昇は魔力の上昇! 戦闘力で殺すより、これがよっぽど魔王らしい!」


 突如として、ヒールの頭上に黒の塊が姿を現した。規模はもう、コウにはわからなかった。けれど絶望的な大きさなのはわかった。


「お前みたいなゴミにこんな魔力使うのはあれだけど、まぁいいさ。どうせ俺にはもう怖いものはない」

「俺が怖いか、魔王」

「はぁ? 怖いわけないじゃん。お前弱いし」

「弱い? 俺は強いぞ」

「なにを――」


 気づけばコウは立っていた。片腕と片足を失くしながらも、彼はその場に立ったのだ。


「立ったからなんだ! それだけで威張ってんじゃねぇよぉ!」


 真上にかざしていた手を、ヒールはコウに向けた。ゴゴゴゴゴゴゴと音を立てながら、黒の塊はコウへと向かっていく。


 コウは――笑っていた。凄惨に。泥臭い笑みを顔に張り付けていた。


 それはとてもきもちの悪いものだった。なにせ今この瞬間に死が迫っても笑っているのだから。


 ヒールは――怯んだ。


 その瞬間、黒の塊が口を開け、コウを呑み込んだ。次いで大地に接触し、そのすべてを呑むように破壊した。


 ヒールの目の前には黒く抉れた大地が広がっている。そこにはなにも――


「は?」


 ヒールの目の前には、コウが立っていた。さきほどと変わらない立ち位置でそこにいた。唯一彼の足場だけそこには残っていた。それ以外は無だ。


「どうなってんだ?」

「ひるんだからだ――おまえが」

「はぁ? なに言ってんだ! 俺がひるむわけないだろ!」

「俺が生きてるのが証拠だ。お前は怯んだ。そして自ら戦闘力を下げたんだ」

「ばかを言え! そんなことあるわけ――!」

「お前はもう俺に勝てない」

「ふざけたことを――抜かすなぁ!」


 ヒールが黒い光線を発射した。それはコウに直撃する。


「俺は本気だ」


 コウは平然としていた。倒れることなく立っていた。


「いったいなにが起きてるんだ!」

「お前の負けだ」

「は! そこからどうやって動いてどうやって勝つっていうのさ! そんなところにそんな体でいたら動けないだろ!」

「お前に勝つつもりはない。俺は――フシギに勝ったんだ」


 刹那――空間が歪んだ。


「はぁ?」


 ヒールの間の抜けた声がした。


「さすがですね、コウさん」


 フシギの声が聞こえた。


「私の物語を――覆すなんて」

「な、なにを言ってるんだこいつは!」と、ヒールが慌てた声を出す。

「じゃまなのでどいてください。ていうかどけ」

「いきなり雑すぎる!」


 ヒールはのけぞるようにしてフシギの道を開けた。


 フシギはどんどん進んでいく――黒に染まったなにもない大地でさえも。

 やがてフシギはコウのもとにたどり着いた。


「どうしてくれるんですか、コウさん。せっかく魔王が勝つ物語にしたのに。コウさんのせいで台無しです」

「お前が俺を見捨てなかったからだ」

「……いやですねぇ。あれにそこまで深い意味はありませんよ」

「たとえそうでも、俺はそう受け取った」

「けっきょく私のミスということですね」

「そうだ」

「でしたら私の完敗です。このさい乾杯しますか? ここで」

「おことわりだ」


 世界に穴が開いていく。それを、ヒールは涙目になりながらみていた。


「ならばどうしますか? この世界はまもなく終焉を迎えます。物語のない――終わった世界なんてないも同然ですので」

「創り変えるんだ」

「創り変える? どういうふうにですか?」

「勇者が魔王に勝つ――そんな物語を」


 気づけばこの世界に残っているのはコウとフシギだけだ。あとはすべて、闇に呑まれた。


「もっとひねりが欲しいです」

「なら魔王が二人いるのはどうだ」

「あんなのが二人もいるのは嫌です。このさい勇者を二人にしますか? そして始まる二人の群像劇!」

「いやだ。勇者は俺だけでいい」

「ふふふ……私がコウさんをまた勇者として採用するかわかりませんよ?」

「採用してくれ」

「ならばこうしましょう。一度『無世界』にいってから考えるのです」

「どこだそこは?」

「行けばわかりますよ。さぁ、いきますよコウさん! 時間は無限であり有限なのです!」

「そんなに時間かかるのか?」

「はい。なぜならたけのこの里にはまだまだ続きがあるのですから」

「たけのこの里?」

「なんでもありません。さ、いきますよコウさん! 『無世界』という名の桃源郷へ!」

「……本当にお前は不思議なやつだな」

「そういう名前ですから」


 そして二人は闇の中へと消え去った。


 世界は終わりを告げた。


 そして新たな物語が紡がれる。

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