エピローグ

美愛の引っ越しまで後三日と迫った頃、純は臆人と共に魔界にやってきた。


「やっぱり綺麗だね」


 大草原と大海原。遠くにそびえる山々と深い森。青い空に鳥が飛び、野生動物の生活音が聞こえてくる。そこには、あの純を襲ったマグマもいた。


「ま、あっちは狭いからな。隣の芝生は青く見えるみたいなもんだろ。さ、行くぞ」


 純はここで初めて臆人が生まれ育った国に足を運んだ。西洋風の建物、露店、馬車、ローブを被った老人。そのどれもが、純の目には新鮮だった。


「そういや、あれから奏多と話したのか。なんか、約束してたけどよ」

「いや、それが、奏多さんも引っ越しとか友達との別れ会みたいなので忙しくて、まったく話せてなくて」

「なるほど。ショートケーキの苺は最後に残しておく派か」

「なにそれ、どういう意味?」

「なんでもねーよ。さ、城に着いたぞ」


 臆人は真ん中にそびえたつ天をつくような城に平然と入っていく。門番もいるが、顔なじみなのか特になにかを言ってくることもない。


 二人が中に入ると、待ち構えていたのはダルアだった。


「お待ちしておりました。さ、こちらへ」


 ダルアはあのときのいざこざをすっかり忘れたかのように二人を笑顔で案内する。


「なんか、改心したみたいだね」

「どうだかな。腹は真っ黒そうだけど。ま、いきなりなんかしてくることはねーよ、多分」


 最後の一言が気になるが、まあ確かに昨日の今日で喧嘩を売ってくることはあるまいと純も納得し、ダルアについていく。


 通されたのは玉座がある部屋だ。そこに座っていたのはイルナだ。王の風格が漂っているときにそこに座ると本当に王と謁見している気分だ。


「おう、きたか!」


 だが、それは早速崩れた。陽気な様子で片手をひょいと上げるイルナは、たちまちただの子供に戻っていた。


「いやほんと王って疲れるな。堅苦しすぎて肩がこる」


 あー、とかうー、とか言いながらぽきぽきと伸びをしている様子を見て、純はホッとした。


「ねぇ、カーミラはどうなったの? あれから僕はすぐにあっちに戻っちゃったけど」

「心配ない。後ろを見てみろ」


 そう言われて純が振り返ると、柱の陰に隠れるようにしてカーミラがこちらに顔を覗かせているのが見えた。


「こっちで預かってる。瘴気も制御できるようで濃くするようなことはしていない」

「そっか。よかった」

「ただ、様子がおかしい。なにか怖がってる様子なんだ」

「怖がってる?」


 純はカーミラを見た。たしかに、彼女の顔は浮かなくて、怯えているように見えた。


「なにかあったの? カーミラ」


 純が近づくと、カーミラは柱からぴょんと飛び出し、焦ったように左右に首を振る。逃げようとしているみたいだった。


「キタラ、ヨケイオカシクナル」

「余計?」


 主語がないので、それがなにを意味しているのかはかりかねる。


「まあ、それはおいおい聞くといい。もしかすると、まだここに溶け込めなくて慌ててるのかもしれん」

「そっか、わかった」


 まあ、確かにここで詰問しても仕方ないと思った純はイルナに向き直った。


「それより、三日後、もう一人人間が来るんだな?」

「うん」

「わかった。歓迎する準備をしよう」

「うし。報告も済んだことだし、俺が街を案内してやるよ」


 平然とそう言う臆人に、純は恐る恐る聞く。


「いいけど、臆人って……その、この国を」

「それは問題ない。我が引き取ったからな。楓もまとめてな。だからこいつは今は王子だ」


 イルナはにやりと笑った。


「え、年同じなのに! そんなことできるんだ」

「ま、王の特権よ。ま、二人にはさっさと結婚して子を作ってもらわんとな。貴様らの血で作られた子はきっと強くなるだろうしな。うはは!」

「だからしねーぞ俺は! 結婚なんて!」


 イルナの爆弾発言に照れを隠すように噛みつく臆人。


「さっさと行くぞ純。ここにいると変なことばっか吹き込まれる」

「わかった」


 それから臆人と二人で街を回った。馬車に乗ったり、剣を振ってみたり、見たことない食べ物を食べてみたり、とにかく魔界でしか味わえないことを思う存分楽しんだ。


「さて、じゃあとりあえずここで一旦お別れだな。ま、つっても学校で会うんだけどな」


 魔渦をさくっと作成してくれた臆人は、もう少し街に残るらしい。


「じゃあ、また明日な」

「うん。あ、そうだ。聞きたいことがあったんだ」

「ん?」

「どうして臆人は、人間界にきたの?」


 すると、臆人はなにかを思い出すように空を仰いだ。


「父さんは人間が好きで、よく人間と遊んでた。だから周りからは奇異な目で見られることが多くて……俺もその一人だった」


 痛々しそうに、臆人は笑う。


「だから人間に裏切られて処刑されたとき、やっぱりなって思った。周りもそんな感じだったんだ。でも時間が経つにつれて、本当にそうなのかなって思えてきたんだ。人間は、本当にそんな悪いやつなのかなって」


 純は黙って聞いていた。


「だから最初は興味本位だったんだ。人間界に行くのはさ。でも段々、引かれていった。なんとなく居心地がよかったんだ。だから俺は人間界に住み始めた。楓もついてきてな」

「そっか」

「魔界と人間界の橋渡しになりたいってのは、父さんの夢なんだ。それを、叶えてやりたいと思ってる」

「そうだったんだね」


 あの夢に、そんな思いが隠されていたとは。


「いつか、叶うといいね」

「あぁ。そのために、純には協力してもらうぜ」

「まあ、できる範囲でね」

「おう。ま、そんなところだ」

「うん。よかった、話を聞けて。じゃあ、また」

「おう」


 まるで友人の家から帰宅するみたいに、軽く別れの言葉を交わして純は魔渦をくぐって人間界に戻る。


 魔渦の設置場所は、人目につかない場所にした。探すに探した結果、廃れた公園の遊具に隠れるようにして魔渦は作られていて、純はそこからぬいったと顔を出した。


「あれ、まだ明るい……?」


 純は公園に降り立って魔渦が無くなるのを見て、空を見上げる。てっきり夕方か夜になってるかと思っていたが、思ったより空が明るい。


「ま、いっか」


 純はそのことに疑問を持ちつつも、ここから出ることを優先した。公園の遊具の裏にずっといたら変な人だと思われてしまう。


 純がいそいそと公園を出ようとしたそのとき、ちょうど一人のスーツ姿の男性と目が合った。その顔を、純は知っていた。病院で会った、たしか、刑事の田辺という名前だった。


 その田辺が、驚愕した様子でこちらを見ていた。


「――君は! 君まさか、立山純くんだったな!」


 鬼気迫る顔で純に迫ってきた田辺に、純は内心パニックになる。


「え、そ、そうですけど」


 なにをそこまで切羽詰まっっているのかわからず困惑していると、田辺は言った。


「君、この三日間どこに行ってたんだ!」

「……え?」



 そこからはもう、純に何かをする権利は与えられなかった。


 家の近くだったので、悲観した様子の両親に純が姿を見せることで安心させ――真理は泣きじゃくっていた――、そのまま事情聴取のためにパトカーに乗せられ署に連れて行かれた。


 その間、純は必死にこの状況を理解することに努めていた。そして気づいたことがある。カーミラが言っていたあの言葉だ。


 トキガオカシクナル。時がおかしくなる。つまり、時の流れがおかしくなる。


そう言いたかったのではないか。ようは流れ出した魔女の瘴気によって奇跡的に時の流れは人間界と魔界で同じだったが、その瘴気が無くなり、本来の時の流れに戻った。そして純はそこで半日過ごして帰ると、ここでは三日経っていたと。そういうことになる。


 まるで浦島太郎だと純は思った。


 だとすると、だ。今日は――美愛が引っ越す日ということになる。純はポケットから携帯を確認した。とくにラインが入っている様子はなかった。


「それで、この三日間どうしていたのか聞かせてもらえないかな」


 署まで行く最中、隣に座っていた田辺がそう切り出した。


 重々しく切り出された言葉に、純は言葉に詰まる。正直なことを言っても帰してくれないだろうし、だからといって嘘をついても見抜かれそうな気がする。八方ふさがりだ。


 そのとき、田辺が顔を寄せ、こう耳打ちした。


「君は異世界に行ったのではないか?」


 純はその言葉の意味を理解するのに時間を要した。そしてゆっくり顔を上げると、田辺を見ながらこくりと頷いた。


 それを見た田辺は何一つ表情を変えず、こう言った。


「私も行ったことがある』


 その言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立った。そして以前臆人が言っていた言葉を思い出す。昔は魔人と人間の交流が盛んだったと。


 その一人が、目の前にいる男性刑事なのだと。


 ならばと、純は口を開いた。


「すいません。僕、行かなきゃいけない場所があるんです。下してくれませんか?」

「それは、行方をくらましたのとなにか関係があるのかね」

「はい。とても」


 真っ直ぐに頷いた純に、田辺は頷いた。そして車を走らせてる若い刑事を呼ぶ。


「ちょっと止めてくれないか」


 言われた若い刑事は驚きながらも近くに車を停める。


「少し待っててくれ」


 純と田辺だけが車を降り、歩道に降り立つ。


「さっきの話、本当なんですか?」

「あぁ。若い頃にな」


 田辺は目を細めてそう言った。なんだか懐かしんでいる様子だった。


「ちなみに医者の江藤もそうだぞ。あいつとはなぜか縁が切れん」


 江藤とは、純が魔界に行った後倒れた病院先の医者だ。たしかに、あのとき江藤と田辺は親しげに話をしていた。それがまさか、魔界でつながっていたなんて。


「よく遊んでいた。赤い翼の魔女とかとな」

「赤い翼の魔女……って、カーミラですか?」

「知ってるのか?」

「……はい」

「そうか。世間は狭いな」

「……はい。本当に」


 田辺は驚くだろう。彼女によって戦いが起こり、彼女によって場を収めた。その立役者があなただちだと言ったら。でも、なんとなくそれを伝える必要はないように見えた。


「行くところがあるんだろう。行かなくていいのか?」

「いいんですか?」

「別に君は犯罪者になったわけじゃないんだ。戻ってくるなら、大目に見る」

「なら――ここで失礼します」

「わかった。用が終わったら連絡をくれると助かる」

「わかりました」


 そう言って走り出そうとした純の足がふいに止まる。


「あの、どうして異世界に? きっと、願ったんですよね?」


 すると田辺が、ふっと笑った。


「人間、どこにも行けないからこそどこかに行きたくなるものさ」


 その言葉を聞いて、ふと彼女の顔を思い出す。彼女も、そういう気持ちだったのかもしれない。


 どこにも行けない苦しみが、行けるはずのない場所に行きたくなった理由なのかもしれない。


「ありがとうございます」


 純は走り出す。向かう先は決まってる。


 でも、会ってなんといえばいいだろうか。魔界は今、時間の流れがずれてしまっている。そんなところに彼女を連れて行くのは危険だ。なにが起こるかわからない。


 なら、想いだけでも伝えるべきだろうか。


 そんなことを考えていたときだった。


『おい純! 聞こえるか!』


 頭に直接語り掛けるように臆人の声が響く。


「え、臆人? なにこれ、魔法?」


『ようやくつながったか! 無事か? いま、そっちとこっちの時間がずれてるんだろ? カーミラが大慌てで教えてきたよ。純が危ないって』


「僕がこっちに来たら三日経ってたんだ! 多分、かなり時間の流れはずれてると思う! でも、昔はこんなことなかったんだよね?」


 カーミラが瘴気を放つ前――田辺や江藤が異世界に行ったとしたら、時間の流れがおかしくなるはずだ。でも、そんな素振りを彼らは見せなかった。


『それについてはお前がいない間に調べておいた。多分、正規ゲートだ』


 正規ゲート――それはたしか人間と魔人が往来するための扉で、今は封印されていると聞いていた。そしてその代用として魔渦を使っていた。


『正規ゲートはこの二つの世界の時間のずれを上手く調整するためのものだったんだ』


「そっか……そういうことか」


 そう考えると、辻褄が合う。


『だから正規ゲートをくぐればちゃんと時間の流れが狂わずにこっちに来れるはずだ』


「でも、正規ゲートって封印されてるんじゃ」


『それは今こっちで必死に解除してるところだ。それより、奏多のほうはどうなってる? もう引っ越しちまったか?』


「わかんない。連絡もなくて……とりあえず家に向かってるけど」


『なら全力で走れ! こっちも封印が解け次第開けるのに必要な鍵をそっちに届けにいく!』


「わ、わかった!」


 純はとにかく走った。魔法まで使ってとにかく全速力で駆けぬけた。息が苦しくて、足がもつれそうだったけど、それを無理やりに鞭を打つ。


 美愛の家はもうすぐそこだ。純は立ち止まりそうな身体を必死に動かす。


 そのとき、ふわりと目の前が光った。それは粒子となり、徐々に純を飲み込むくらいの円を作る。なんだか、魔渦の白バージョンみたいだった。


「間に合ったみたいだな」


 出てきたのはイルナだった。手には何かを持っている。


「これが正規ゲートを開く鍵だ。これを渡せ」


 そう言って渡されたものを見て、純は目を見張る。


「まあそう驚くな。薬指にはめろと言うわけでもないだろう」

「それでも、ちょっと恥ずかしいかな」

「青春とはそういうものだ。さっさと行け」


 イルナに見送られ、純は走り、ようやく彼女の家の前に辿り着いた。


 だが、そこに人の気配はなかった。


 間に合わなかった。


 そう思ったときだった。


「君ってやっぱり最後の最後まで間が悪いね。いったい今度は何があったの?」


 後方から、やれやれとでも言いたげな声が聞こえる。


 振り返ると、そこには美愛がいた。


「色々あったんだ、本当に」


 純は彼女に歩み寄った。彼女も純に歩み寄る。


「まあ君は私をほっぽって三日もいなくなったわけだからね。さぞ壮大な冒険を繰り広げてきたんでしょ?」

「それが、そうでもなくて……」

「ふぅん。まあその話も聞きたいけど、それよりもっと聞きたいことがあるな、私は」


 その言葉に、純はつい顔を赤らめてしまう。その態度に、美愛がからかうように笑う。


 ならば、と純は思った。こっちだって負けるわけにはいかない。


「その話より前に、奏多さんに渡したいものがあるんだ」

「渡したいもの?」


 美愛は首をかしげる。


 純はポケットにねじ込んだあるものを取り出す。


「これ、なんだけど……」


 純が取り出したのはリングケースだ。中を見せるように開けると、中には指輪が入っていた。


 それを見た美愛の顔が一気に真っ赤になる。


「え、え、え、ちょっと待って! 指輪なんてそんなのいや嬉しいけどいやでもそれはもう少し大人になってからであってそのまだ」

「これ、異世界に行くためのものなんだよね」

「……え?」


 恥ずかしそうにしていた美愛が唖然とした様子で純を見る。そして、むすっとする。


「君、騙したね?」

「勝手に勘違いしたのは奏多さんだけど」

「あー! そういう言い方するんだ! もう知らない! 三日間も放置した挙句私をだますなんてこの結婚詐欺師!」

「すごい言いがかり!」

「そりゃそうでしょこんな寂しい思いさせといて! このいけず!」

「な、ならもう寂しい思いさせないから!」


 そう言うと、美愛は試すような目を見せた。


「ふぅん、でも私その言葉じゃ信じられないなー。もっと言葉が欲しい」


 じとっとした目で見てくる美愛に、純は苦笑したあと、指輪を取り出す。


「なら、向こうで言うよ。だから一緒に行かない?」

「うん。君がいるなら、何も怖くない」


 光る輪に入る二人。そして聞こえる声。


「ようこそ、異世界へ」

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異世界に行くのが難しすぎる よるねむ @yorunemu

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