奪還作戦 2

 その部屋は牢獄と比べて明るかった。というのも、その部屋の中心には淡い緑色の光を放つ、人が一人入りそうな縦長の容器があったからだ。全面がガラス張りになっているその容器は、下の土台とつながっており、その土台は沢山のパイプにつながれている。


――そしてその容器は、内側から破壊されていた。中に入った液体が流れ、床が濡れている。


「なんだこれは!? ここにあったはずの腕はどこだ!」


 イルナが叫ぶ。どうやらこの容器の中にカーミラの腕はあったようだ。だが、ここにその腕はない。ならばどこに。


「キタ。コノトキガ」


 抑揚のない声が降り注ぎ、三人は上を仰ぎ見た。


 そこに、奇妙な生物がいた。人を模した身体は白く、赤い翼を生やした異形な存在。蠱惑的な唇が、にやりと横に裂かれた。


「アダナスモノニ、バツヲ」

「お前は――カーミラ!?」


 その瞬間、純が信じられないものでも見るようにその異形の生物――カーミラを見る。


「あれが伝説の魔女……」


 楓の顔は酷く絶望に苛まれていた。その全身がひどく震えるほどに。


 一方純にとっては、魔女カーミラに対してそこに立っているだけで精一杯だった。少しでも気を抜けば、このまま気絶する自信があった。


「やはりここに来ていたか、哀れな王よ」


 ここで背後からなにやら複数の足音を響かせて何かがやってくる。


 振り返ると、そこには長身の男とその部下たちがいた。


「エスターク! 何してる! 逃げろ!」


 その男はエスタークと言うらしい。イルナは目いっぱいそう叫んだ。


「逃げろ、とは? そうなるのはあなたのほうでは? まあ、この人数で逃げられるかという話ですが」


 エスタークは状況を呑み込めていないのか見当違いな発言をする。


「上ではダルア伯爵があなたが死ぬのを心待ちにしていますよ。ほくそ笑みながらね」


 終始見下しながら話すエスタークに、イルナは警鐘を鳴らす。


「カーミラだ! カーミラが来た! このままじゃ全滅するぞ!」

「カーミラ? カーミラだと?」


――その瞬間、エスタークの後ろに引き連れていた部下達が次々と倒れていく。


「な、なんだ! なにをした!」

「ミツケタ。アノトキノ、マジン」


 カーミラは、気づけばエスタークの眼前に立っていた。その体躯は小さく、後ろ姿は子供だと見間違うほどだが、エスタークにとって目の前にいるそれは、とても恐ろしい怪物だった。


「ウデノ、ダイショウヲ、ハラエ」


 カーミラの言葉に、エスタークは動くこともできない。刹那――彼女のか細い腕がエスターク向かって振るわれる。


 ガキン!と硬化したものが激しくぶつかる金属音が響いた。


「ふんぎぃ! なんだ貴様の手は! 金属か!」


 エスタークの喉元に鋭利な爪が届く寸前、割って入ったのはイルナだ。剣を滑り込ませ、ぎりぎりで食い止めている。


「は……? 何をして」

「ここで争ってる場合か! こいつをどうにかしないと全滅だぞ! しっかりしろ! 貴様は隊長だろ!」

「だ、だが――この化け物は国の全戦力を投入して、それでも片腕しか」

「ほざいてる場合か! その片腕のせいでこいつはここまで来たんだぞ! 怯えるな!」

「お前はこいつの恐ろしさを知らないからそう言えるんだ。こいつは、化け物だ。俺は、こんなやつとやり合うつもりはない!」


 エスタークはそう言い切ると、目の前で戦っているイルナに背を向けて、走り出した。


「待て! 迂闊に離れるな! 狙いは貴様だぞ!」


 イルナの忠告が聞こえているのかいないのか、エスタークは変わらず逃亡を謀る。


――それをカーミラは、許しはしなかった。


 一息に追いついたカーミラは、必死に走っているエスタークの背中からその腕を突き出した。その腕は軽々と身体を貫通し、エスタークの胸から飛び出した。


「うぐふ!」


 吐血し、その場に崩れ落ちるエスターク。夥しい量の血が地面を流れる。


「エスターク!」

「待ちなさい!」


 近寄ろうとするイルナに楓が制す。


「迂闊に近づいたら、あんたも死ぬわよ」


 そう言われ、イルナはそこに踏みとどまった。


「お、おい隊長はやられたぞ。どうする?」

「どうするったって……」


 必然、エスタークが率いていた部下達がおろおろとし始める。なにをするべきか迷っている様子だ。


「皆の者、集まれ! 散らばれば的になるだけだ! 隊列を整えよ! 今から我が貴様らの隊長だ!」


 イルナの一喝で、隊員は冷静さを取り戻し、瞬時に列を組みなおす。狭い場所でも柔軟に隊員が一人でもはみ出ないよう作られた列に、イルナは頷く。


「これより、カーミラの討伐に――」

「ぐあ!」

「おい、中にいるぞ! 囲め!」


 いとも簡単に隊列の中に割り込み、血しぶきを上げていくカーミラ。その壮絶な光景にイルナはハッと息を呑む。そして脳裏によぎる全滅の二文字。


 格が、違いすぎる。


「ま、待て……」


 隊員がバタバタと倒れていく惨状に、イルナはどうすることもできない。

 隊員を狩り終えた次に狙った獲物は――純だった。カーミラの無感情な瞳が純を射抜く。


「う――!」


 純はその瞳と、漏れ出す瘴気を受け、地面に崩れ落ちた。意識が掠れ始める。


「まずい! 症状が出始めておる! 早くここを出なければ!」


 だが、この現状を打破する手段をイルナは持ち合わせていない。


「セイサイヲ」


 カーミラの鋭い爪が純に降りかかる――その寸前、カーミラは動きを止めた。


「……ニンゲン?」


 カーミラは今にも倒れそうな純を見ながらそう言った。


「アナタ、ニンゲン?」


 もう一度、しっかりと問われた質問に、純はこくりと頷いた。


「そうだよ」

「ニンゲン……」


 すると、カーミラの態度が豹変する。今まで発していた負の空気が収まり、労わるように純の傍に寄った。


「ニンゲン、スキ。ワタシ、ニンゲント、ヨクアソンデタ」

「人間と……遊んでた?」


 思いもよらない展開に、純は目を丸くしたままカーミラを見つめる。その瞳は、先程の無感情さはなく、なんだか親愛の眼差しが送られていた。


「エエ。コトバモ、ニンゲンニオソワッタ。ウマイ? ネェ、ウマイ? レンシュウシタノワタシ」


 この問いかけにどう答えればいいか言い淀んでいると、イルナが溜息を吐く。


「純、答えてやれ」

「……よくできてるよ」

「ホント? ウレシイ」


 まるで先ほどの殺戮なんて忘れているかのように嬉しそうにしているカーミラ。


「おい純。魔素の濃度のこと聞いてみてくれないか? 貴様から言ってくれたほうが言う事を聞いてくれそうだしな」

「わかった」


 いまだほんわかしているカーミラに、純は慎重に話しかける。


「ねぇ、カーミラ。この国の魔素の濃度って元に戻せないかな?」

「キュウシュウデキル。モトハワタシノニオイ」

「できるんだ! なら――」

「デモ、トキガカワル」

「とき……?」


 その言葉の意味を掴めずにいると、イルナが前に出た。


「カーミラ。頼む。この国を救ってくれ」


 イルナがカーミラに頭を下げると、カーミラはそれにどう答えていいかわからず不安そうな目で純を見る。


「応えてあげてくれないかな」

「……ワカッタ」


 そう言うとカーミラは、ゆっくりと瞳を閉じてこう唱えた。


「モドッテキテ」


 すると、空気の重さが無くなり、純の身体も楽になっていく。その様子にホッとした。


「モウダイジョウブ。アクリョウタイサン」

「自分の瘴気を悪霊呼ばわりするんだ」


 なんだか人間から言葉を覚えたからなのか、変わった物言いをする魔女になってしまったようだ。


「我からも礼を言うぞ、カーミラ。まさか元凶に助けられるとは思わなかった」


 するとカーミラは目をぱちくりさせた後、こう言った。


「ジュンのおかげ」


 今度はイルナが目をぱちくりさせる番だった。


「そうだな。なら純にもお礼を言わなくてはな。助かった」

「い、いやいや僕は何にも――」


 急に改まってお礼を言われても、なんと答えていいかわからずおどおどしていた。


――そのときだった。部屋が音を立ててぐらぐらと揺れ始める。


「なんだ?」

「もしかすると、魔素が薄れたことで計画が失敗したんだとダルアは思ったんでしょうね」

「だから味方もろとも生き埋めにしようという魂胆か。まったくどこまでも卑劣なやつだ」


 イルナがぐっと奥歯を噛みしめ天井を睨みつけた後、残った隊員に命令を告げる。


「死にたくなかったら今すぐここを出るぞ!」

「待ってイルナ! まだ臆人が!」


――そう、まだ臆人の問題が解決していない。彼の鍵はまだここにはないのだ。


「く――! 誰かここの牢の鍵を持ってるやつはいないか!」


 隊員に呼びかけるが、誰も反応はない。在りかを知っていそうなエスタークももうこの世にはいない。


「このままだと臆人が」

「おいイルナ! 俺はいいからさっさと逃げろ! このままだと全員生き埋めだぞ!」


 イルナは一瞬、目をつむって息を吐いた後、目を開けた。そして声を張り上げる。


「撤退だ!」


 その掛け声と共に、外へと通じる扉に向かって走り出す隊員。


「そ、臆人!」


 純は牢屋の鉄格子を掴み、中にいる臆人を見る。臆人は苦笑した。


「わりぃな純。俺の話は楓あたりにでも聞いてくれや」

「そんな……そんなのって!」


 純がどうすることもできず立ち尽くしていると、なにかが崩れる音が響き渡る。


「崩落するぞ! 下がれ!」


 扉を開けようとした隊員の上から、まるで阻むように崩れた天井が落ちてくる。そしてそれはものの見事に出口を塞いだ。


「こ、このままだと全員生き埋めだ!」


 隊員達の慌てふためく声と、ミシミシと音を立て続ける天井。このままだと生き埋めになるのも時間の問題だ。


 その場にいる全員が絶望に顔を沈めて立ち尽くす。それは純も同じだった。


「ミンナヲ、タスケタイ?」


 そこに救いの手を差し伸べたのは、カーミラだった。


「え、助けてくれるの?」

「アナタガ、ソウネガウナラ」

「なら、お願い! カーミラ! 皆を救って!」

「ワカッタ」


 カーミラはそれだけ言うと、牢屋の前に立った。そして、両手を勢いよく振りぬく。すると牢屋の鉄格子はいつもたやすく真っ二つになり、人が一人抜けられるほどの穴ができた。


「まじかよ……」


 助けられた臆人でさえ驚きを隠せない中、カーミラは平然とした様子で、背中に生えていた赤い翼をばさっと広げた。


「アツマッテ。トブ」

「そ、そんなこともできるの!」

「ワタシハマジョ。ナンデモデキルハッポウビジン」

「ちょっと意味違うけど、まあいいか」


 純は細かいことを指摘する気にもなれずカーミラの傍に歩み寄った。臆人と楓、イルナもそれに続く。


「カレラモ」


 カーミラの視線が、隊員達に向く。それだけで、隊員達は身を固くする。


「早く乗って!」


 その一言ででようやく動き出した隊員達は、カーミラの近くに集まる。のべ二十人ほどになったが、これで飛べるのだろうか。


「じゃあトブヨ」


 そう言ったカーミラは、赤い翼を大きくさせ、で二十人を抱くようにくるめると、勢いよく跳躍した。


 どうやら飛ぶではなく、跳ぶだったようで、カーミラは天井を突き破って上に上に跳んでいく。その重力に思いきり逆らっても、純達には何も感じなかった。


 視界が突如明るくなる。地下を抜け出し城の一階部分にやってきたのではないかと純は思う。ここで止まるかと思いきや、カーミラはまだ跳ぶ。


 二階、三階と天井を見事に突き破り、最上階まで来たところで勢いは緩み、その場に着地した。


 その部屋には、玉座があった。そこにはふんぞり返って座っている老人がいた。優雅にワインを嗜んでいたのか、片手にはグラスを持っている。


「な、なんだ一体!」

「これはこれはダルア伯爵。王にもなってない分際でそこに座って優雅にワインとは、頭が高すぎるのではないかな」


 イルナが先頭に立ち、にやついた笑みでダルアに迫る。


「な、なんでお前らがここに! 生き埋めになったはずじゃ!」

「助けてくれたんだよ。魔女カーミラによってな」

「た、助けた、だと?」


 ダルアは信じられないものでも見るかのように、純にくっついているカーミラを見る。


「ようやく会えたなダルア。会いたかったぜ」


 そこに登場したのは目をぎらつかせた臆人だ。


「な、なんでお前まで! 鍵はどうした! あれはここに!」

「カーミラが牢をぶっ壊してくれたんだよ。ほんと、魔女さまさまだな」

「壊しただと! あの牢の檻は百人がかりで総攻撃してもびくともしない代物だぞ! そんな馬鹿な!」

「御託はいいんだよ、ダルア。それより、今の状況わかってんのか」


 イルナと臆人がじりじりとダルアに迫る。


「待て。わかった、交渉しよう。イルナ、お前には引き続け王をやる権利を与えよう。それでお前、お前は国の追放を解いてやる。いや、特別待遇しよう、だから命だけは」

「もとより命を取るつもりはない。貴様には、とことんこれから働いてもらうからな。さぁ臆人、思う存分やれ。我が許す」

「はは、それじゃさっそく」

「ま、待て! この玉座座らせてあげるから!」

「一生ほざいてろ」


 臆人の剣が空を舞う。


「ああぁぁぁぁぁ!」


 こうして、臆人奪還ついでに国も救おう大作戦はここに終結した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る