助け舟

「……何? 話がついたんだから余計なことしないでよ」

「私は――反対する。だからこの手は退かさない」

「奏多さん……」

「だっておかしいよ! なんで立山くんが危険な目に遭わなきゃいけないの!」

「それはあんたのせいでしょう」


 はっきりと言われたその一言に、美愛は唖然とした様子で「え?」と声を出した。


「そう――聞いてなかったのね。こいつが命を狙われているのは、魔界に行ったからよ。あんたの一言で、こいつはこんなことになってるのよ。わかったらその手を退けて」


 力が無くなった美愛の手を払いのけて、楓は純の手当てを始める。ふわりと緑色の光が、純の脇腹を包み込む。


「立山くん……今のはほんと?」

「……黙っててごめん。その、言い出せなくて」

「……そんな」


 美愛はそれ以降、純の身体の傷が癒えるまで押し黙ったまま座っていた。


「さ、傷も癒えたし行くわよ」


 傷が治るや否や、そう言った楓に純はある疑問を口に出す。


「でも、魔界から人間界を繋げるためには、かなりの日数が必要って言ってましたけど……」

「普通はね。でも、私は違う。私なら、そうね、本気で集中すれば一時間もかからないわ」

「そんなに違うんですか……でも、なんで?」

「それはまあ、色々あるのよ」


 言葉を濁しながら曖昧に言った楓は、手を前にかざす。すると、黒い手のひらサイズの渦が何もない空間に浮かび上がった。魔渦だ。魔渦はゆっくりではあるが確実にそのサイズを大きくしていく。


 そして十分もかからないまま純が見たときと同じくらいの魔渦のサイズになった。


「十分もかからなかったんですけど……」

「ここに来るまでに、あらかた作っておいたから。さ、行くわよ」


 何食わぬ顔で純の手を取る。純は引かれるまま魔渦へと向かう。


――その瞬間、一方の手を誰かに引かれた。――美愛だ。


「ねぇ、立山くん。あの続きを言わないまま行っちゃうの?」


 その言葉の意味が、わからなかった。あの続きとはいったい。


「あの雨の中、言えなかった言葉。君は最後まで言わないつもり?」

「――――」


 ここで純は合点した。屋上で雨が降りしきる中、言えなかったあの続き。それを、美愛はいまここで聞こうとしているのだ。それはつまり――


「言うよ。またここに帰ってこれたときに」


 その瞬間、俯いたままの美愛の肩がわなわなと震える。彼女は必死に何かを堪えてる様子だった。それがなんなのかなんて、そんなの無粋な話だ。


「そんなの――言えない人が言うセリフだよ」


 全くもってその通りだと思う。物語において、このセリフは、俗にいうフラグだ。それを自ら立ててしまったわけだ。


「――行かないで」


 美愛は、純の腕を振るえながらきつく握った。


「行かないで。お願い。私を一人にしないでよ」


 不安そうに怯える美愛に、純は安心させるように微笑んだ。


「今日僕が観ようと言っていた映画、覚えてる?」

「……うん」

「あの話は、小説を書いてる女の子が、ずっと前から友達だった女の子に、自分が小説を書いていることを打ち明ける話なんだ」

「小説を書いていたことを打ち明ける……」

「彼女は最初、怖かった。友達に自分が小説を書いていることを話すのが。それでも、勇気を振り絞って友人に話した。そしたら、なにが起こったと思う?」


 その問いかけに、美愛は沈黙という答えを出した。


「彼女もまた、小説を書いていたんだ。世界が、広がったんだよ」

「世界が、広がった……?」

「新しい場所に行くのは、確かに怖いかもしれない。でも、怯えてても何も始まらない。僕は、それを奏多さんに伝えたくてあの映画を観ようとしたんだ。選ぶのに苦労したし、結局観れなかったけど」


 純は言う。


「奏多さんなら大丈夫。僕が保証する。だから、安心して」


 それを最後に、美愛の手は力なく純の腕から離れて行った。


「さ、行くわよ」

「うん」


 力なく座り込む美愛に背を向けて、純が魔渦に向かおうとした――そのときだった。


「はは、やっぱりここに開けてたか。貴様、狙ってたな?」


 何者かがぬっと魔渦から顔を出し、床に降り立った。そしてぎらりと光るような目を楓に向けた。その顔は、何かを楽しんでいるように笑っていた。


「……可能性はほぼ無いと思ってたけど、来れたのねあんた」

「はは! 変わらないな貴様は。まあでも、少々胸はでかくなったな」

「きも。ていうかなにその貴様って。王気取り?」

「王だから仕方ないだろう! というか細かいところに突っ込むな!」


 楓と仲良さそうに話す彼は、ただの少年だった。だが、そのまるで王であることを象徴するような豪奢な服装に、純は些か着ているではなく、着られているような印象を受けた。


「君は、いったい……?」


 そうつぶやくと、ようやくその少年がこちらを向く。その瞬間、着られている印象が一変し、着こなしているような印象を受けた。


「貴様が、魔界に迷い込んだという人間か?」

「……うん」


 凛々しく、気高い瞳が純を打ち抜く。


「我はイルナ。イルナ=クアンティカ。ウォールライト王国の国王だ。まあ、名ばかりだがな」


 自嘲するように鼻で笑った少年――イルナを、純はまじまじと見つめた。


「もしかして、君が純が言ってた」

「そ。人間によって父親を殺され、無理やり王にさせられた挙句、まったく権威のない形だけの国王――それが彼、イルナ」

「変な紹介をするな! まあ、見当外れでもないがな」


 イルナはしょんぼりとした様子でそれを肯定した。なんだかそこだけ切り取るとただの着飾った気弱な少年だが、一度スイッチが入ると国王の風格が備わる。――もしかするとこれは、急に王様となった故の弊害なのかもしれない。


「それで、あんたが来たってことは――臆人を助ける算段がついたってことよね?」

「臆人……? あぁ、ヴォルグのことか。ここでは臆人と呼ばれているのか、ならそれでいこう。臆人を助ける算段は――ない!」


 きりっとした様子で言うイルナに、楓がイルナのこめかみをぐりぐりとねじる。


「もう一度言ってごらん? 算段はあるわよね?」

「あるある痛い痛いあるあるある痛い痛いあるあるあるるるるる!」


 泣き叫び始めたところで、ようやく楓の拳から解放されたイルナは、楓を恨みがましそうに見ながら指をさす。


「痛いぞステラ! この暴力女! 我は王だぞ! 反逆罪だ反逆罪! ……あ、とっくに貴様らは反逆罪になっておったわ。ざまぁ!」

「余計なことはいいから喋りなさい。次は頭粉砕するわよ。それと、私はここでは楓だから」

「いや、すまない。ちょっと王にならなくていいこの環境に羽目を外しすぎたな。話を進めるとしよう」


 イルナの佇まいが、王の風格を取り戻す。


「今回我がここに来たのは他でもない。臆人を助けるためだ。あんな低能なじじいに、あいつを殺されるのはたまらん」

 忌々しそうにそう言い捨てたイルナは、「それで算段の話だが、その前に今の国の現状について説明しようと思う」と言った。

「この国が他の国とは違い魔素が異常に濃くなっていることは知っているな。これは、時を司る魔女カーミラの仕業だ」


 魔女、という言葉を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、黒い三角帽に黒の装束、そして箒にまたがって空を飛ぶ様子だが、果たして魔界ではどうなのか。


「このカーミラを城の奥深くで培養している。もちろん、そのものではない。切り落とした腕だ。その瘴気が魔素となり、この国の魔素を濃くしている」

「でも、なんでそんなこと……?」


 前に臆人は言っていた。魔素を濃くして人間を罠にかけるのは副産物であると。なら、その主要な目的はなんなのか。


「主要の目的は戦力の増強だ。魔素はふんだんに使えば魔法の威力や身体能力をより上げることができるからな。それを狙ってのことだろう。ま、ようは他国に威勢を張るためだ」

「なるほど……便利なものなんですね」


 それだけ聞くと、呑み込める部分はある。この国だって他国に威勢を張るために色々な策を講じているはずだ。それと同じ。


「だが、それには相応のリスクを伴う」

「リスク?」

「魔素の濃度を上げれば上げるほど、魔力調整が難しくなり制御しづらくなる。暴発して自滅する可能性も飛躍的に高まる。さらに、今回は純粋な魔素ではなく魔女の瘴気を代用しているから、余計にたちがわるい。瘴気にあてられ続けると不調を起こすものもいる。現に、城でも兵が何人か寝込んでいる」


 そこまでは王の威信を保ったまま話せたイルナだったが、次第にその威信は弱くなり、苦痛に顔を歪める。


「だがそれ以上に、胎児への影響が酷い。貴様と同じだ。多量の魔素は毒となり、胎児を蝕む。魔人の血を引いているので貴様ほどではないが、放っておけば彼らは衰弱死する」

「そう……そこまで深刻だったのね。知らなかったわ」


 聞かされた楓は、沈痛な面持ちで溜め息を吐く。


「これは国の問題ではあるが、発端は城で起こっている。守るための城が、国民を蝕んでいる。これが我には我慢ならない」


 ぐっと奥歯を噛みしめながらイルナは続ける。


「だが、我にはこの蛮行を止められない。父上が生きていれば別だが、もういない。他国を頼るわけにはいかない。だから臆人が捕まったと聞いた時、ここが好機だと踏んだ」


 イルナの手に力が入り、固く拳を作る。


「二人に頼む。この国を、救ってほしい。我に力を貸してくれ。その代わりと言ってはなんだが、臆人の居場所は目星がついている。そして、そこに通じる秘密の通路の場所も教える。だから、この通りだ」


 深々と頭を下げたイルナに、純はなんと言っていいのかわからず押し黙る。


「私は正直、あの国がどうなろうが知ったこっちゃないのよ」


 そう冷たく言い放ったのは楓だった。


「それは――国が貴様達に与えた仕打ちが原因か?」

「別に。ただ私は、臆人と一緒にいたいだけ。あいつの傍に、いてやりたいだけなのよ」

「それはなんとまあ、物好きなやつよな」

「だから私は、あいつが帰ってくる可能性が高いほうを選ぶ。それは――こいつを差し出して臆人を返してもらうことよ」


 言い切った楓に、イルナはきょとんとした様子だった。


「貴様は馬鹿か? 返ってくるわけないだろう。こやつを差し出せば、一人処刑されるのが二人に増えるだけだ」

「な――! そんなの交換条件になってないじゃない!」

「騙されたんだ貴様は。恐らく、もし刺客の処刑が失敗した場合の保険だろう」


 やれやれと言わんばかりのイルナに、楓は思わず地団太を踏む。


「あいつら殺す――! さっさと場所を案内しなさい! その秘密の通路ってやつ!」

「はは! やる気になってくれて我は嬉しいぞ! さて――後は貴様だ、純。貴様は来るか? 臆人との交換条件が無くなった今、行かないという選択肢もありえるが、どうする?」


 試すように、イルナは言う。その無垢な瞳に、純はある疑問を投げかける。


「僕が行ったらすぐに倒れちゃうんじゃ……」

「何だ。まだそんなこと気にしてるのか。それは貴様が人間だった時の話だろう?」

「え……あ、そうか。僕、少しでも魔人になれたから」

「あぁ、死にはせん。ただし、長時間いると倒れると思うがな。貴様の魔人としての能力は赤ん坊以下だからな」


 けらけらと笑いながらそう言われ、純は返す言葉もないが、魔界に行っても大丈夫な体になったというのは、言われてみればその通りかもしれない。


 ならば、選択肢は一つだ。


「行くよ、僕」

「わかった。ならその後ろにいる彼女に別れを告げ次第、出発しよう」


 そう言われて純が振り向くと、なにか言いたげな様子の美愛がそこに立っていた。


 そんな美愛に、純は苦笑いする。


「奏多さん。どうやら僕、臆人を助けたら国を救う使命ができちゃったよ」


 冗談めかして言うと、美愛はくすりと笑う。


「そうみたいだね。なんか、正義のヒーローみたい」

「何の力もない、ただほんの少し魔法が使える人間なんだけどね」

「それでも、私がそう思ってるんだから、そうなんだよ」

「ありがとう。じゃあ、行ってくよる」

「うん。行ってらっしゃい。帰ってきたらあの言葉の続き、聞かせてね」

「……わかった」


 純はそう言って、二人の下へ向かった。


「別れは済ませたようだな。ではこれより作戦を開始する」


 ふふふ、と不敵に笑う姿はどこにも王の風格はなくて、無邪気に彼は言う。


「名付けて臆人奪還ついでに国も救おう大作戦! いざ、スタート!」


 こうして若干ダサい作戦は開始された。

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