刺客との闘い
純と美愛は急いで映画館へと向かっていた。映画館は三階にあり、エスカレーターを上ってそのまま奥に進めば見える。
「よかった、なんとか間に合いそう」
エスカレーターを上り、映画館が見えたところで、美愛は安心したようにつぶやき足を緩めた。純も、それに続く。
「とりあえず、カウンターでチケット買おうか」
「そうだね」
そう言って館内に入ろうとしたそのとき――禍々しいオーラが純を包み込んだ。
「――!」
その感覚にぞくりと身を震わせ、純はつんのめるように足を止める。
「どうしたの立山くん? まるで幽霊でも見たような顔して」
不思議そうな顔をしている美愛に、純は苦笑する。
「多分、幽霊よりもよっぽど質悪いかも」
純は自然な様子で後方を振り返った。そこに、禍々しいオーラを発している人物を視認した。
その人物は男だった。黒い服を身にまとわせており、通路脇の手すりにもたれかかりながら映画館に入ろうとしている二人をじっと見据えるように立っている。――その目は、獲物を狙う肉食動物のそれだった。
「ごめん奏多さん。映画、行けなくなっちゃった」
「え、行けなくなったって……」
ぽかんとした様子で美愛がこちらを見る。だが、その真剣な表情に何かを悟ったらしい。
「なにか、理由があるんだね」
「うん。とにかくここを離れよう」
純が館内とは逆側に身体を向け、歩き始めようとしたとき、黒服の男はなにかを感じ取ったのか、一歩ずつ早足でこちらに近づいてくる。
純は意を決して、奏多の手を握った。
「走るよ! ついてきて!」
純はそのまま黒服の男から逃げるように走り出した。
それを見かねて、黒服の男も走り出す。
「ねぇ、誰か追いかけてくる!」
美愛が震えた声で純に言う。純は頷いた。
「とにかく今は走って! 出入口まで戻る!」
このショッピングセンターの構造上、上りエスカレーターと下りのエスカレーターはそれぞれ端と端に設置してある。そのため、ここから下りのエスカレーターで下りるためには反対側まで行かなくてはならない。普通のショッピングセンターなら訳ないが、ここは日本最大級の広さを誇るため、反対側に行くのも一苦労だ。
純と美愛は人通りの多い通路を通行人にぶつからないよう注意しながら駆け抜ける。途中、ぶつかってしまう人もいたが、謝るだけ謝って猛ダッシュだ。
「おいてめぇ! 目付いてんのか!」
背後からイラついた若い男の声が響いて、純は思わず自分のことかと思い振り向いた。
だが、その相手は自分ではなく後方にいる黒服の男だった。
黒服の男は間を縫うように進んでいる純達とは違って、まるで体当たりでもするかのように通行人を押しのけてこちらに迫ってくる。なので、距離はあっという間に縮まった。
「く――!」
純はその瞬間、魔力循環を発動させた。身体能力がぐんと上がる。
「え――! ちょ、はや――!」
美愛はその速さについてこれなくなり、前のめりになり危うく転びそうになる。そこで理解した。普通の女の子である美愛の手を引いていては、身体能力を上げても彼女がついてこれないと。ならば――。
「奏多さん、その、ごめん!」
純は握った美愛の手をぐいっと自分に引き寄せると、そっと左手で彼女の首に手を回し、右手で転びそうになっている膝を抱えるように持ち上げた。
「ひぃあ!?」
美愛は急にお姫様だっこのように純に持ち上げられたことに驚きながらも、とにかく落ちないように純の首元にしがみついた。胸に柔らかい感触が当たる。
だが、そんなところに意識を集中させている余裕は純にはなかった。とにかく、通路を勢いよく駆け抜ける。そしてエスカレーターの前までたどり着いた。
そして――
「いっけぇ!」
純はそのままエスカレーターを飛び越えるように跳躍した。
「ひぃやぁぁぁ!?」
美愛の泣き叫ぶような声が純の耳に木霊する。こんな絶叫マシンより怖い思いをさせて、後で謝らないといけない。
エスカレーターを飛び越え、純は二階の床にどすんと降り立つ。束の間、また走り出す。
次に目指すのは出入り口だ。これも厄介なことに、反対側に設置されているので、またしても通路を縫うように走らなければならない。
「た、立山くん! だ、大丈夫?」
「大丈夫? なにが?」
「いや、その……こういう風に持って重くない? 私、降りようか?」
どうやら美愛はお姫様だっこをしている自分が純の負担になっているか気にかかっているらしい。その健気な様子に胸を打たれるが、純は強気にこう言った。
「ううん、大丈夫。むしろこのほうがいいかも」
「……どういう意味?」
「ほら、なんていうか、お姫様を助けにきた王子様って感じじゃない?」
「……ふふ。それはまた、ロマンチックな考え方だね。じゃあ私は、大人しく王子様に身を任せるとするよ。でも――」
美愛はまったく変わらない様子で、でも有無を言わせない迫力を持って、こう言った。
「どうしてこうなったのか、理由は聞かせてもらうからね?」
その問い掛けに、なすすべもなく肯定した――そのとき。
「中々豪胆な男だなぁ! まさか人間があれを飛び越えるとは思わなかった!」
眼前から急に現れた黒服の男は、舌なめずりをしながら得物を握った手を凄まじい速さで純の眼前に突き出してきた。
純はそれを、顔を逸らすことによって回避したが、逃げるのが遅れて頬に一筋の切れ込みが入る。その切れ込みから、滴るように血が流れ落ちる。
「あ、血が――!」
「ごめん奏多さん。このままだと服に血がついちゃうし、危ないから降ろすよ」
純は後ろにそっと労わるように美愛を降ろした後、傷口から流れる血を拭いた。痛みはない。多分、魔力循環のおかげなのだろう。
「なんか臭うなぁ、お前」
黒服の男が、訝しげな眼で純を見る。まるで値踏みでもするかのように。
そこでようやく、純は黒服の男が持っている得物を見た。それはカッターナイフだった。刃先を数センチほど出したところで止められている。
「さてはお前、人間じゃねぇな?」
「魔人でもないけどね」
軽く返した純はポケットからスマホを取り出した。いま日本のスマホ市場の大半を占めている齧られたリンゴマークのあれだ。
スマホを取り出した純は、すぐさま画面を下から上にスライドさせる。カメラが起動する。シャッターボタンを押す。そしてシャッター音と共にフラッシュが焚かれる。
「な、なんだ!?」
黒服の男は怯んだ様子で袖で顔を覆う。やはり、文明の利はこちらに有利に働くようだ。
純はその隙に、美愛の手を取って素早く黒服の男を横切った。
「あぁ、くそ! うぜぇなやっぱこの世界は!」
黒服の男は地団太を踏んでこちらに駆けてくる。純がそれを見て前を向こうとしたその瞬間、男の姿がふわりと消えた。
「――え!?」
突然の出来事に動揺するが、すぐさま思い直す。相手は人間ではない。魔人なのだ。ならば、透明になるような魔法が使えても驚くほどではない。問題なのは、それに対してこちらに攻略する術がないということだ。
仕方なく、純は美愛を連れて出入り口まで急ぐ。出入り口を出ても、今度は電車を使わなければ逃げることはできないので、状況はかなり悪い。
「おらぁ! こっちだよ!」
黒服の男が現れたのは、純の右隣だった。攻撃をするときは姿を現さないといけないようで、その姿が露わになる。そしてカッターナイフが容赦なく襲う。
純は魔力循環でなんとかそのカッターナイフをかわす。すると、またしても黒服の男の姿はふわりと消える。これはまずい。
どうすればこの状況を打破できるか思考を巡らせていたときだった。また、黒服の男の声が響く。
「おらぁ、次はこっちだ!」
その声に、純は身を固くした。純が見ている前方左右に黒服の男の姿はない。まさか姿が見えるのはフェイクで透明のまま攻撃できるのか、そう考えたときだった。
「きゃあ!?」
後方から声が聞こえて、純は後方――つまり美愛のいる場所へ目を向けた。
そこには、美愛にカッターナイフを突き出そうと迫る黒服の男の姿があった。その顔は、へらへらと笑っている。
「やめろぉぉぉぉぉ!」
純は美愛を包み込むように庇う。――その瞬間、脇腹に鋭い痛みが走る。
「うぐ――!」
「やっぱ人間ってちょろいな。友情ごっこお疲れさん。さっさと逝けや」
躊躇いもなくカッターナイフを抜く。血が容赦なく服を濡らす。魔力循環は切れ、それ相応の痛みが純を蝕む。
「ま、恨むなら、魔界に行こうとした自分を恨むんだな」
その一言に、怒りが沸き立つ。何も知らないくせに。
「僕を殺したら、君は捕まると思うけど」
「どうせ、失敗したらあっちで殺されるんだ。それよかましだ」
それが当然だとでもいうかのような口調で、彼は言う。そして、刃は突き付けられる。
「あばよ、人間でもない魔人でもない奇怪なの」
その刃が純の喉元に突き刺さるその手前、下からの衝撃で彼の腕が上に吹き飛び、その手からカッターナイフが飛び、勢いよく天井に突き刺さった。
「は?」
黒服の男が唖然とした声を出したその瞬間、その顔面が何かの衝撃によってひしゃげ、そのまま後方へと吹き飛ばされた。
「え……紅葉さん?」
純の危機を救ってくれたのは、楓だった。彼女は、黒服の男が伸びていることを確認すると、純のほうを振り返った。
「……危なかったわね」
その一言はとても冷淡で味気なくて、純の背筋がぞわりとした。なにか様子がおかしい。
「紅葉さん……? どうしてここに?」
「話しは後よ。とりあえずここを離れるわ。そうね、いつものようにあんたの部屋に移動するってことで」
楓は、純の了承はおろか、脇から血が垂れ流されていることに気にも留めず、彼の頭に手を置いた。
「ま、待って! 止血しなきゃ!」
そこに待ったをかけたのは美愛だ。必死な様子で楓を見る。
「いたのね、美愛。ちょっとこいつから離れてくれる? そうしないとあんたも一緒に転移することになっちゃうわ」
「転移……? なら、私も連れて行って! 事情が知りたいの!」
食らいつくように言う美愛に、楓はため息を吐いた。そして、凍えるようにぼそりと言う。
「地獄を見ることになってもいいのなら、一緒に来なさい」
冷酷なその物言いに美愛は一瞬言葉を詰まらせるが、すぐさま純にしがみついた。
「そう。――じゃあ行くわ」
その一言でによって、うすぼんやりしていた純の視界が光に包まれる。
そして気づいた時には、純と美愛、そして楓は純の自室にいた。
「うぐ……!」
純はその瞬間、脇腹を抑えながら床に伏した。額に脂汗が滲む。多量の出血で意識が朦朧ととし始める。
「ねぇ楓! あなた魔法が使えるんでしょ。なら、治療することだってできるよね?」
「できるわよ。でも、条件がある」
「条件? こんなときになにを言って――」
美愛が噛みつくように楓に迫ったその瞬間、美愛の眼前で、楓の手が広がった。
「大人しくしないと。無理やりにでも大人しくさせるわよ。今は時間がないの」
「時間がないって――!」
あまりの楓の冷たさに、美愛は取り乱しながらも一歩退く。色んな言葉を、呑み込んだ。
「……弁えてるのね。良い子」
どこか寂し気にいう楓の顔が、純に向いた。
「傷を治したら、私と一緒に魔界に来なさい。それが条件よ」
「……理由が、あるの?」
その問いかけに一瞬躊躇った素振りを見せた楓は、やがて口を開く。
「臆人が捕まった。返して欲しければ……その先はわかるでしょ」
「……時系列が合いませんよ。それだと、あの刺客は最初から失敗する予定になる」
「なら、こう言ってほしかった? 失敗させた。あんたを交渉の道具に使うためにね」
どこまでも無表情に冷淡に、まるで会話に感情を移入させないようにしているその素振りに、ほんの少しだけ純は安堵した。やっぱり彼女は、わかりやすい。
「わかった。僕を、魔界に引き渡してよ。まあでも、あっちに行ったら僕、すぐに死んじゃうかもしれないけど」
あはは、と眉根を下げて笑う純に、楓はきつく唇を噛む。
「あんたは、きっと見世物にされる。死んでいく姿を嗤われながら、無残に朽ちていく。それでもいいの?」
「なら、助けにきてくださいよ。臆人と一緒に」
その言葉に、楓は我に返ったように純を見る。まるで珍獣でも見るかのような目だ。
「――助けられるか、わからないわよ」
「それでも、信じてますから」
純は本心だった。だって、今の楓の顔は先ほどの冷酷で無感情とは程遠い、葛藤し苦悩した表情だったからだ。
「……そう。なら治療を――」
そう言って楓が純の身体に触れようとしたときだった。
「待って」
その手を横から掴んだのは、美愛だった。
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