デート当日

デート当日になるのは、あっという間だった。


 ここ埼玉には有名な超大型ショッピングセンターがある。名前は『アイクタウン』。その広さは他県のショッピングセンターの追従を許さず堂々の一位を誇っている。


 純が通う草刈高校があるのはその近辺なので、何かにつけて生徒はここを使う。ようは草刈高校の生徒の溜まり場なのだ。


純もここには何度も足を運んだことがある。だが、それは気心が知れた男友達とであり、女子とデートをするために使ったことはない。


純は緊張した面持ちでここアイクタウンへとやってきた。髪はいつもは付けていない整髪料をつけ――母親に驚かれた――、服もとっておきのを選んできた。


今回待ち合わせにしているのが、アイクタウンの入り口に出迎えるように置いてある噴水の前だ。待ち合わせにはいい目印なので、待っている人も多い。


純はそこに紛れるようにして、噴水の前に立った。まだ待ち合わせには三十分はある。それまでに、気を引き締めておかなければならない。


もしかすると、ここが戦場になるかもしれないからだ。


「あれ? 立山くん、来るの早いね。まだ三十分くらい時間あるけど」


 不意にかけられた声に虚を突かれ、純の肩がびくんと震え、「うわ!」と声が出る。


「そんなに驚かなくても……なにか考え事でもしてた?」

「あ、いえ! なんでもないです!」


 美愛の服装は、水色のワンピースに白いカーディガンを羽織っていた。私服を見ただけで、心臓がどくりと跳ねる。


「というか、奏多さんも早いですね。僕は早く起きちゃって暇だったので」

「あ、じゃあ私と一緒だ。私も早く目が覚めちゃって」


 一緒、という言葉にまた心臓がざわつく。もしかすると、彼女も待ちきれなかったのでは、なんて考えたりしてしまう。


「立山くん、ワックス付けてるんだね。なんかいつもと雰囲気違う。良いと思うよ」

「そ、そうですか。奏多さんもその……似合ってますよ」


 後半は恥ずかしさの余り目線を逸らしてしまったが、言い切ることができた自分にほんの少し嬉しさを感じる。


「ありがと。頑張って選んだ甲斐があったかも」

「あ、そ、そうなんですね」

「うん。だって、こうして君と二人で出かけることも、もう無いかもしれないし」


 努めて平然と言う彼女に、純の心がちくりと痛んだ。


「じゃあ、行こっか」

「そうですね」


 純が一歩歩き出した瞬間、後ろから誰かの視線を感じて振り向いた。――だが、そこに怪しい人影はない。


「どうしたの? 誰か知り合いでもいた?」

「あぁ、いえ……人違いだったみたいです」


 純が前を向いて歩き始めると、もう誰かの視線を感じることはなかった。

――けれど、胸のざわつきは消えてはくれなかった。



「え、魔素が濃くなった原因を調べにいく?」


 時は遡り、純が美愛とのデートの誘いにこぎつけた翌日のこと。


 純と臆人と楓の三人が、純の部屋に集まっていた。


 臆人と楓の表情は真剣。だが、そこには陰りがあるように見えた。


「なんでそんな急に……魔界からの刺客だってまだ来てないのに」

「それに関しては本当に悪いと思ってる。けど、ここしかタイミングがないんだ。まだ魔界から刺客が来てない今だからこそな」

「どういう意味?」

「もし万が一刺客が来た場合、純は魔法――つまり切り札を使って相手を退けることになる。そうなると、次に来る刺客はそれを念頭に置いて戦いにくる。そうなると、俺達がいないとお前は殺されるか、最悪さらわれておもちゃにされる可能性が高い」


 そう言われて、純は臆人の意図するところがわかった。


「つまり、魔法が使えることが相手に知られたら、後手に回るしかなくなるってこと?」

「あぁ。こうなると俺達も動きにくいし、純も毎日死との恐怖から戦わないといけなくなる。だからこそ、今切り札を知らないときにこっちから攻めに出る」


 臆人の理屈はよくわかった。だが、だからといってはいそうですかと呑み込める話でもない。相手は自分より遥かに魔法に長けた魔人なのだ。それをたった一人で身を守れというのは、かなり酷な話だ。


 それを察した臆人は、こう切り出した。


「人間より魔人のほうが強い。そう思ってるかもしれないが、実は違う。人間にも秀でているものがある。それはなんだと思う?」


 急な問いかけに、純は何を答えればいいかわからず押し黙る。


 すると臆人はポケットからあるものを取り出した。それは、見慣れた電子機器だった。


「文明だよ。人間界は、魔界より遥かに文明が発展してる。それが人間の――いや、人間界の強みだ。そしてそれが、秩序につながってる」

「秩序?」

「いわゆる法律だな。強盗とか殺人とか罪を犯したりすると、例外なく人は牢屋に入れられるだろう。それは魔人だって同じだ。人間界で人を殺せば殺人罪に問われる」

「で、でもそんなの魔法でやっつければ」

「それをいつまでやればいいと思う? 人間が全滅するまでか? そんなの、全滅する前にこっちが戦意喪失だ」

「な、なら魔界に逃げちゃえばいいじゃないか」

「確かにそれが一番最善だ。だが、それは現実的じゃない」

「どうして?」

「純が魔界に行ってから結構日が経ってると思うが、いまだ刺客が来てないのはなんでだと思う?」


 これには、純もピンときた。


「時間がかかる?」

「そうだ。上手くやっても、人間界と魔界を魔渦でつなぐのは一週間以上かかる。正規ゲートを使えば別だが、あれは前も言ったが封印されてるからな」

「で、でもそれまで逃げきれれば……」

「純は電車にも乗ったことがない魔人が、この世界で一週間も逃げ切れると思うか?」


 そう言われると、純は返す言葉もなかった。


「あいつらは危険を冒してこっちの世界で勝負をかけてくるんだ。それを逆に利用しろ。法で縛ることによって着実に進化したこの文明を、最大限生かせ」


 臆人はちゃんと純のことを考えてくれていた。その安堵と、同時に食ってかかってしまった自分の浅はかさが嫌になる。


 純が謝ろうと口を開けたとき、それより早く臆人は言った。


「これが、純を説得するための表側の事情だ」


 臆人が自嘲するように笑った。


 その瞬間、終始俯いていた楓の顔が驚いたように臆人のほうを向いた。


「あんた、言うつもり? 」

「あぁ。全部、話しておきたい。いいよな?」


 臆人の言葉に、楓は逡巡した後、「まあ、あんたがそれでいいなら」と言ってそれから何も言わなくなった。


「……裏の事情があるんだね?」

「あぁ。その前に少し、昔話をしていいか?」


 臆人が話してくれたのは、こんな話だった。


まだ、純が幼い頃。純には仲のいい友達が二人いました。一人は楓、もう一人はイルナと呼ばれる男友達でした。


 純は平民、楓は貴族、イルナは王族でそれぞれ身分の違う三人は、毎日のように下町に集まり、無邪気に遊びまわっていました。


 そんなある日、事件が起きました。人間に、王が殺されてしまったのです。国はパニックになりました。殺された人間の首謀者は、斬首刑として首を切られ、ホッとしたのも束の間、これから王を失い、混沌と化している国をコントロールする新たな王が必要になりました。


 そこで選ばれたのが王の息子であるイルナでした。彼はまだ子供でした。それでも、祀り上げられるように、彼は王となり国を任されるようになりました。


 それ以降、純や楓がイルナと会うことはなくなりました。二人は混沌とした国から逃げるように人間界へとやってきました。


「ここからが裏の事情だ。今、イルナが抱えてる国――俺達の故郷が、二度目の崩壊の危機を迎えようとしている」

「二度目の……?」

「まだ、正確な情報は掴めてないが、どうやら魔素の濃度を上げたのが崩壊の原因となっているらしい。だから、俺は一刻も早くその原因を食い止めたい」


 臆人の顔が、一瞬痛みにでも耐えるように歪んだ。


「俺は、純と俺の国を天秤にかけて、国を取ることを選んだ。これが、裏側の事情だ」


 そう断言した臆人の顔に迷いは一切なかった。


――だからこそ、こちらも迷いなく言える。


「そう。なら、とっとと国、救ってきてよ。こっちはこっちで何とかするからさ」


 まるで宣戦布告でもするかのように臆人に叩きつけるように言い放った言葉に、臆人はにひっと笑った。


「任せろ。俺、こう見えても結構強いんだぜ」



 そしてそこから六日が経過した今でも、臆人からも楓からも何の音沙汰もない。それをどう受け止めればいいのかわからないまま、デート当日となった次第だ。


 いまだ、刺客はきていない。


「ねぇ、立山くん。聞いてる?」


 不意に美愛の訝しげな表情が眼前に現れて、純はハッとなった。今はデート中だ。余計なことを考えている時ではない。


「あ、えっと……なんの話でしたっけ?」

「映画。なに観るの?」

「あ、映画。それなら、もう決まってますよ」

「そうなんだ。タイトルは?」

「小説の神さまっていうんですけど、知ってますか?」

「うーん、知らないと思う。どんな話なの?」

「小説を書いてる一人の女の子が、一歩踏み出すお話ですかね」

「ふぅん……あ」


 興味深そうに聞いていた美愛の視線が、ある一点に止まり、足を止めた。


「どうしたんですか?」


 純も立ち止まり、美愛の視線の先を辿っていく。


 そこには、白を基調とした外観のお店があった。看板には、『幸せのパンケーキ』と書かれている。


「ねぇ、立山くん。まだ映画まで時間あるよね?」

「あそこのお店に行きたいんですか?」

「うん。だめ?」


 好きな子にそう言われて、断れる男子なんていない。


「いいですけど」

「やった。あそこのパンケーキ、食べると幸せになるらしいよ」

「なんか怖い謳い文句ですね」


 純はああいった女子が通っていそうなふわふわしたお店に入ったことがないので、若干気後れしながらも、うきうきとした様子の美愛と共に店内に入っていく。


 店内は落ち着いた内装で、お客にも男性だけで食べに来ている人もいて、純は意外に感じながら席に着いた。


 メニュー表には色とりどりの果物をあしらった、いかにも写真映えしそうなパンケーキがずらりと並んでいる。値段も、決して安くない。


 店内を見渡すと、お客は皆、運ばれてきたパンケーキを写真に収めている。これが俗にいうインスタ映えというやつだろう。


「うわー、色々ありすぎてどれにしようか迷うなぁ」

「こういうとこ、よく来るんですか?」

「うーん、誘われたら行くけど、自分から行きたいとは思わないかな」

「へぇ……なんでですか?」

「だってさ、このパンケーキで小説買えるんだよ? ならそっちにお金使ったほうがいいかなぁって」

「それ、小説家の人に言ったら泣いて喜びますね」

「お礼にパンケーキ買ってくれるかも」

「そしたら一石二鳥ですね」


 他愛もない話をしながら、パンケーキを注文した。今回頼んだのは一番王道で、看板の名前がそのまま使われているものだ。パンケーキの上にバニラアイスとミントがトッピングしてあり、そこに添えるようにキャラメルソースの入った瓶が置かれている。


 パンケーキはすぐにやってきた。


「やっぱり写真は撮るべきかな」

「別に強制じゃないですけどね」


 とは言うものの、二人は記念に写真に収めておく。


「それで、撮った写真はあれだよね、インスタグラム」

「インスタ映えってやつですね」


 純はインスタをやっていないので、写真を撮っても載せる気はないので、そのままパンケーキに手を付ける。食べてみると確かに、幸せを感じるようなふわふわ食感で、いくらでも食べられそうだった。


「ねぇ、立山くん。いま私大変なことに気がついたよ」


 なにやら真剣な表情で画面を見つめている美愛に純が首をかしげる。


「どうしたんですか?」

「インスタ、登録してなかった」

「……はは! なんですかそれ!」


 純は思わず声に出して笑う。それを見た美愛が、眉を吊り上げて純を睨む。


「そんなに笑わなくてもいいんじゃないかな」

「いや、すいません。でも、こういうお店来たことあるんですよね? そのときはどうしてたんですか?」


 そう切り返された美愛は、目を逸らしてこう言った。


「食欲のほうが、勝っちゃって」

「なるほど。……でも、なんで今日は?」

「それは……ほら、そのほうが、女の子っぽいかなって」

「……変なところ気にするんですね」

「乙女心ってやつだよ、立山くん。君、そういうの理解しないとモテないよ?」

「あはは……肝に銘じておきます」


 その後はパンケーキを二人で食べ進めながら他愛もない話をした。女子はやっぱりダイエットしてるものなのかとか、あのラノベの新作が面白かったとか、あの子とあの子が付き合ってるのだとか、とにかく色々だ。


 そんな話をしていたら、あっと言う間にパンケーキを食べ終えていた。


「そうだ、立山君。君は私に風邪を引かせたお詫びとしてこうして映画に連れて行ってくれてるわけだけどさ」

「……はい」


 口直しにコーヒーを飲みながら、美愛は言う。


「まだ、足りないんじゃないかな」

「え――」


 純は思わず持っていたコーヒーカップを落としそうになりながら、目を白黒させる。まさかそんな話になるとは思っていなかったからだ。


「それでさ、君に一つしてほしいことがあるんだけど」

「してほしいこと、ですか?」


 一体何を要求されるのだろうか。ここのパンケーキ代を払えだとしたら、喜んで払う。というか、元々払うつもりだったので、痛くもかゆくもない。


 そう呑気に構えていると、美愛の口からは出てきたのは、まったく予想外の言葉だった。


「敬語、やめにしない?」

「……あー」


 確かに、美愛はいま普通にクラスメイトに話すように話しているが、純は違う。敬語を使って、一歩距離を置いたような話し方をしている。


 これは、出鼻で敬語を使ってしまったことによる弊害で、どこで敬語からタメ口に戻せばいいのかわからなくなり、結果この二年半敬語でやってきてしまっていた。


 正直、これは敬語からタメ語に直せるとても良い機会だった。


「うん、わかった。ありがとう、奏多さん」

「まあ、君このままだと転校するまで敬語で話してそうだしね。粋な計らいってやつだよ」

「あはは、助かった」


 お膳立てをしてくれたとはいえ、距離が縮まったような気がして純は嬉しくなる。本当に今日は嬉しくなってばかりだ。


 そのとき、美愛がふと携帯で時刻を確認した途端、「うわ!」と声を上げた。


「立山くん! もうすぐ映画始まっちゃうよ!」

「え! うわ、ほんとだ!」


 二人はすぐにお会計を済ませて、店を飛び出した。


 その二人の背中を、一人の男が捉えた。長身で、黒い装束を見に纏った文足い男だった。


 そしてその男は、その内の一人を純だと認識すると、にやりと怪し気に笑った。


「みーつけた」

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