魔法の発芽

 身体から発せられる熱が止まらない。まるで内側から焼け焦げていくみたいに、純の身体は熱に侵されていく。


 熱い。痛い。熱い。痛い。


 どうしてこんな目にあっているのか、虚ろな意識の中思う。自分が何をしたというのか。ただ、想う人のために頑張ってるだけなのに。まるで罰せられているみたいだ。


 それでも、こんなところで負けるわけにはいかない。折れるわけにはいかない。不安で押しつぶされそうになっている彼女に比べたら、こんなのなんてことない。


 すると、その想いが通じたのか、身体に渦巻く熱がゆっくりと引いていく。


 熱が引くにつれて身体が楽になり、少しずつ身体の感覚が戻り始める。


 誰かの手が、自分の手を包み込むように優しく握ってくれてるのを感じた。


 その温かさに安心した純は、ゆっくりと深い眠りについた。



 純はゆっくりと目を覚ました。視界に映ったのは自室の天井だった。


「あれ……なんで僕」


 純が起こしながら記憶を辿ろうとしていると、部屋のドアが開いた。


「お、ようやく起きたか」

「…………」


 入ってきたのは臆人と、なんだか不機嫌そうな表情をしている楓だった。


「ようやく……? え、ちょっと待って! また僕――」

「落ち着け。寝てたのは四時間くらいだ」


 純の焦りを制すように、臆人は言った。


「四時間……でも、なんで僕」

「屋上で倒れたのをここまで連れてきたんだよ」

「屋上……」


 そこでようやく、雨が降りしきる屋上で突然の激しい痛みに倒れたことを思い出す。そして動けない純を担いでくれた楓のことも。


「そっか。ありがとう、臆人、紅葉さん」


 素直にお礼を言う純だったが、楓の顔はなんだか不服そうだ。無言でこちらを睨みつけてくる。


「ど、どうかしたんですか紅葉さん?」


 恐る恐るそう聞くと、臆人が面白がるように楓を指さす。


「あぁ、こいつが純の看病をしたんだけどな。それがあんまりにも必死だったから、純の母親がこいつを彼女だと間違えたんだよ」

「全力で否定しといたから!」

「全力、ねぇ……」


 なんだか含みのある言い方をする臆人は、純に近づくとささやくように言った。


「どうやら楓の良心的にいきなり否定できなくてな。そりゃもうあたふたしてた」


 楓が真理に「純の彼女さん!?」と迫られいつもの不遜な態度が崩れて慌てている姿を想像すると、確かに面白い。思わず口元がにやける。


「コロス」


 楓を見ると、青筋を立てて指の骨をパキパキ鳴らし始めており、ゴングが鳴ったら今にもとびかかってきそうだったので、この話をこれ以上深追いすることはやめることにした。


「というか、紅葉さんがそんな必死に看病してくれるなんて意外……もしかして、手を握ってくれてたのって……」

「それは仕方なくだから! あー、説明するのも面倒くさい! つまりは、あんたを助けるため! それだけ! そこに心はない!」


 手を握っていたことを知られていたのが恥ずかしかったのか、顔を赤くしながらやけくそに楓はそう言った。


 だが、それだと一体なにがどうなって手を握ったり必死に看病していたのかわからなかったので、説明を求めるように臆人を見た。


 臆人はその視線に気づくと考えるような素振りを見せ、やがてこう言った。


「楓がやったのは、純の身体から魔力を逃がす作業だ。熱が引いていく感覚があっただろ?」

「あ、うん……でも、魔力って? 僕の身体の?」

「あーそれについてはだな、ちょっと説明が長くなるな」


 言いにくそうに笑っている臆人を見て、純は嫌な予感がした。


「まあでも、すぐに説明することになるだろうし。今のうちにしとくか」


 と言った後、臆人はビシッと純に向けてこう言った。


「純。お前は晴れて人間から魔人になった」

「……え?」


 衝撃的発言に、純の時が止まった。


「それって、どういう……?」

「そのまんまだ。俺達と同じ魔法が使える魔人になったんだよ。って言っても、魔法を生成する器官は赤ん坊より小さいから、魔法なんてほとんど使えないだろうけどな。言ってみれば半魔人ってところだ」

「半……魔人?」

「実感が湧かないなら、ちょっとそこで思いきりジャンプしてみろ」

「え、ジャンプ……?」


 言われるがままに、純は足に目いっぱい力を入れて跳びあがる。


 すると、宙に浮いた身体は天井付近まで跳び上がり、危うく天井に頭をぶつけそうになる。


「え、うわ!」


 純は身体をわちゃわちゃと動かしながら、そのまま床にへばりつくように落下した。


「いった――くない!」


 結構勢いよく床にぶつかったが、それほど痛みは感じなかったことに驚きを隠せない。純は臆人に振り返る。


「どうなってるの!? 凄い浮いたんだけど!」

「それはお前が魔力を使ってるからだ。制御すれば、そうはならなくなる。現に俺達の身体能力は人間界の平均値くらいだ」

「で、でも、な、なんでこんなことに! もしかして魔界に行ったのが原因なの!?」

「あー、それについては調べた張本人から説明してもらおうかな」


 乾いた笑みを浮かべた臆人は、楓に説明を丸投げした。


「え、あたしが説明するの! うわ、めんどくさ」


 本当に面倒くさそうな表情で溜め息を吐く楓だが、渋々と説明を始める。


「あんたが魔人になった原因は、魔素中毒による副作用。つまり、異世界に行ってから起きたあの症状が原因よ」

「あれが……」


 今起こりうるすべての症状が詰まったかのような、あの地獄のような苦しみが原因で、純は人間から魔人となった。そう言われると、ちょっと納得する。


「魔素中毒っていうのは?」

「魔界に流れてる魔力の素、なのかしらね。詳しくは知らないけど、あんたはそれを短時間で大量に摂取しすぎたの。それで魔力中毒を起こした。そうね、こっちでいう急性アルコール中毒みたいなものかしら」


 急性アルコール中毒とは、お酒を大量に摂取したときに起こる立派な病気だ。


「なら僕は一気にその魔素を吸い込んだせいで魔人になったってこと?」

「驚いたことにね。これが魔界に知られたら、あんたはもう死ぬことすら許されなくなる。良いように身体を弄りまわされるでしょうね」


 淡々と言う楓の言葉に、純の背筋がぞくりとする。ようは、捕まれば実験台にされるということだ。


「……な、ならさっきの熱は? あれも魔力中毒?」


 嫌な想像をしたくなくて、純は話を変える。


「あれは魔力熱。あんたは魔人になって魔素を吸収して魔力にする力は手に入れたけど、それを放出する仕方を知らない。だから膨れ上がって自分の身を焼こうとした。ま、赤ん坊がよくかかるやつね」

「赤ん坊……」


 ようはいまの自分の魔人としての能力は赤ん坊レベルらしい。存外にそんなことを言われている気がした。


「そうね、例えるなら性欲みたいなものよ。まあこれは溜めててもなんの問題もないだろうけど」

「せ――!」


 楓が不敵に笑いながら爆弾発言を放り込んできて、純は不意を突かれてきょどってしまう。


 けれどこれは、その言葉そのものにきょどってしまったわけではない。


 魔力熱は性欲みたいなもの。だとするならば、先程楓がしてくれた行為は――。


「おい楓。そうなると、お前はそれを必死に処理してくれたクラスメイトになるぞ」


 臆人のその一言で、場は一気に固まり、温度が五度くらい冷えた。


「……アレハタダノネツヨ。ワカッタ?」


 楓がぷるぷると震え、顔を赤く染めながらそう言うので、臆人も純もそれ以上は何も言わないであげた。


「とりあえずこれで大方の説明は終わったと思うが、なんか質問あるか?」


 臆人にそう聞かれ、純は引っ掛かっていたことを聞くことにした。


「なら、奏多さんを連れていくことは無理だよね。魔界に行ったら僕みたいに魔素中毒を起こして魔人になっちゃうわけだから」


 純が魔界に行く理由は一つ。美愛を連れていくためだ。だが、連れて行ったら魔素中毒を起こして魔人になってしまう異世界になんて連れて行けない。


「あぁ、それなら大丈夫だ。なんせ、この魔素中毒を引き起こしてるのは意図的だからな。原因を特定して排除すれば魔界には来れるはずだ」

「え、意図的……?」


 てっきり自然の摂理でそうなっているのかと思っていたら、どうやら話は違うらしい。


「あぁ。俺達の国では魔素の濃度が他の国と比べて格段に高い。こうなったのはほんの数年前の話で、てっきり国の戦力を上げるためだと思っていたんだが、そうかこっちが本命か」


 急に情報を分析するように呟きだした臆人。


 その言葉の意味が理解できず押し黙っている純に、臆人はこう言った。


「魔素の濃度を上げたのは、魔界に来た人間を殺すためだ」


 人間を殺す――その言葉を聞いて、背筋が凍る。


「え、人間を!? な、なんでそんなこと!」

「俺達の国が、一度人間に滅ぼされたからだ」


 そう言った臆人の顔はひどく切なげで、まるで古傷が痛み出したような顔をしている。


「滅ぼされた……? ちょっと待って。人間って、以前も魔界に来たことがあるの?」

「あるよ。それも何度も、数えられないくらいある。なんせ、人間界と魔界を行き来するための正規ゲートがあるくらいだからな。まあ、人間に滅ぼされたのをきっかけに封印されちまったけど」


 その言い方はひどく自虐的で、自嘲が垣間見えた。


 ふとここで、臆人が前に言っていた人間界と魔界の橋渡しをしたいと言っていたことを思い出した。なにか、この話と繋がりがあるような気がしてならない。


「ようは、臆人の国は人間を恨んでて、それで魔素の濃度を高めて魔界に来た人間を殺そうとしたってこと?」

「そうだろうな」


 純は言葉を失う。驚くべき事実が多すぎて、なにを言えばいいのかわからなかった。


「でも、滅ぼされたって……なんで」

「多分、全能感だろうな」

「全能感?」

「人間が魔界に来ると身体能力が飛躍する。純もそうだったろ?」

「う、うん」


 それには覚えがある。魔界に行ったとき、たしかに身体能力が高くなり、何でもできそうな気分になった。


「でも、それで……」

「なんの努力もしないで手に入れた力は、場合によっては災厄になる。国は、その対処を施しただけだ。魔素という罠をしかけてな」


 冷静に今の状況を分析するように、臆人は言う。


 けれど純にとっては、それは少し冷たく聞こえた。つまるところそれは、人間は敵だということになる。そうだとするならば、それは。


「――でも、こんなのは間違ってる」


 言いようのない不安を抱えた純の心を晴らすように、臆人はきっぱりとそう言った。


「人間と魔人がいがみ合う必要はない。俺達は、共に生きていけるはずなんだ。だから俺はここにいる」


 強く、固く、決心するように臆人は言う。


「それでな、純。俺はお前にその手伝いをしてほしいと思ってる」

「手伝い……?」

「言ったよな。人間と魔人が共存する世界を作りたいって。それを、魔界にやってきた人間第一号として一緒に作ってほしい。もちろん、今すぐにというわけじゃない。いずれでいい。なんせ、俺が老衰しても叶ってるかどうかわからないレベルだからな」


 臆人は笑いながらそう言うが、純は笑えなかった。想像ができないのだ。人間と魔人が共存する世界なんて。ましてや、そういう世界を作ろうだなんて。壮大すぎる。


「話が逸れたな。とにかく今やらなきゃいけないことは、どうやって魔素の濃度を下げるのかと、魔界からの刺客から純をどうやって守るかだ」

「――え? ちょっと待って、魔界からの刺客って……?」


 なにやら不穏な発言をさらりと言う臆人に、純は言及した。


「言ったろ。殺すために罠をしかけたって。ならもしその罠で死んでいなかったとしたら? わかるだろ?」

「……で、でも、こっちにいるなら安全だよね? 臆人も紅葉さんもいるし」

「もちろん、純を死なせるつもりはない。だが、四六時中見張っているわけにもいかない」


 それもそうだ。というか、ずっと見張られるのも純としても気が休まらない。


「だから、これから魔界からの刺客から身を守る術を教える」

「え……身を守る術って、闘うってこと!? 無理だよ、相手は魔法を使う魔人なのに!」


 そう言った後、ハッとした。臆人の口元がにやりと笑う。


「魔法を使う相手なら、こっちも魔法を使えばいい。お前は、魔人になったんだからな」

「え、でも、僕は全然魔法が使えないんじゃ……」

「あぁ。単純な力比べならこっちが圧倒的不利だ。だが、こっちにはそれを覆す有利な点が二つある」


 臆人の人差し指がピンと上に伸びた。


「一つは、敵は純が魔法を使えるのを知らないこと。これはかなり有利だ。不意打ちができるからな。そんで二つ目」


 続いて中指が立つ。


「闘う場所が人間界だってことだ。この二つを上手く利用して、魔界からの刺客を追い返す」


 臆人は不敵に笑ってこう言った。


「さ、特訓開始だ」

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