届かぬ想い

 翌朝、昨日の天気が嘘のような曇天の中、純は普通に学校に登校した。


 今回の件に関しては、学校側には交通事故で軽い怪我をして入院したということになっているらしい。昨晩警察から電話がきたそうだ。


 真理は嘘をつくことに渋面していたが、純にとっては好都合だった。この四日間の話をまともにされたら、クラスが自分を過多に心配しかねないと思っていたからだ。


 純は昇降口で靴を履き替え、下駄箱まで持っていく。


 そこでばったりと美愛に会った。


「あ……」


 美愛はまるで珍しい物でも見ているかのようにぱちくりと目を瞬かせた後、ぽつりとこう言った。


「……生きてた」

「え? 生きてた?」


 純が聞き返すと美愛はハッとしたような表情になる。


「あ、その――なんでもない!」


 美愛はまるで純から逃げるようにぱたぱたと駆けて行ってしまった。


「何だったんだろう……」


 純はいまいち釈然としないながらも、教室へと向かう。


 教室に入ると、クラスメイトの視線が痛いほど集まった。その視線に悪意はないが、一斉に浴びる視線は純の居心地を悪くさせる。けれど、こうなることはわかっていたので、そそくさと自席に向かう。


 だがその途中、待ち構えるようにして一人の男子クラスメイトが立ちはだかり、純はやむなく足を止めて前を見た。――そしてハッとした。


「おい純! 交通事故に遭ったんだって? 大丈夫か? 話だと軽いって聞いたけど」


 周りに聞こえるような声で、臆人は冗談めかすように聞いてきた。


「う、うん! この通り怪我はまったく」

「そりゃよかった! 四日も学校休んだから心配したぞ」

「なんか検査入院とかで時間かかっちゃって。逆に病院で暇してたくらい」

「なんだよ、じゃあずる休みみたいなもんか」

「ずるではないけどね」


 純と臆人の会話を耳にしていたクラスメイトは、純の特に問題なさそうな雰囲気を見て取ったのか、視線を元に戻す。


「ありがとう。助かったよ」

「また貸しが増えたな」


 こうして微妙な空気を払いのけることに成功した純は、安堵しながら自席につく。


「もっと堂々と入ってきなさいよ。事件でも起こしたわけじゃないんだし」


 すると、突然隣の席からやや不機嫌そうに声をかけられて、純は思わず振り向く。


 むすっとした表情の紅葉楓が、頬杖をつきながらこちらをにらんでいた。


「え……あ、うん、そうだよね」


 急に話しかけられたことに困惑しながら、純は苦笑する。


 そんな純の様子を、楓は黙って見つめ、やがて溜め息。


「こいつのどこが良いんだか」


 投げ捨てるようにそう言う楓に、純はますます困惑する。そもそも楓とは、こんな風に会話したことがほとんどない。なのになぜ、こんな急に話しかけてくるのか。


「……それで、具合はどう? あの群れ熊に襲われたんでしょ。あいつら、ちょっかい出すとすぐに群れで襲ってくるから」


 やれやれとした様子でそう言う楓に、純は昨日臆人が言っていた言葉を思い出す。


「も、もしかして……臆人が言ってた仲間って、紅葉さんのこと?」

「そうよ。驚いた?」


 さも平然と言う楓に、純は言葉が出ない。まさか、美愛の一番の友達である楓が、臆人の仲間――つまり魔人だなんて。


「そんなことよりさ、ちょっと聞いてほしいことがあるのよ」

「そんなことって……」


 自分が人間ではなく魔人だったなんて話を、そんなこと呼ばわりするくらいの話の内容は、こんな感じだった。


「私の髪って、地毛が桜色なのよ」


 楓は自分の栗色の髪を指で弄びながらそう言う。


「さ、さくら……?」


 楓の髪色が桜色だったことの驚きと、だからなんなのかという疑問を抱えながら生返事をするが、楓は聞いていないのか意気揚々と話を続ける。


「でね、こっちに来る時にその色じゃ、絶対浮いちゃうでしょ。だからね、この学校に入る前に、髪色を変えようと思ったの」

「変えようと……? どうやって?」


 純はいまだ話の展開が掴めないままそう聞くと、楓が周りを気にしながら純の耳元でこう囁いた。


「魔法よ、魔法」


 耳元で囁かれることにぞくっとしながらも、純はこくこくと頷く。


「それで最初は無難に黒にしようかと思ったんだけどね、やっぱり茶色のほうがいいかなーって思って。ほら、やっぱりこの位の女の子の憧れでしょ、茶髪って」

「まあ、そうなのかも……」


 男の自分にとってはあまりピンとこないが、楓が言うのだからそうなのだろう。


「だから私、めちゃめちゃ努力して、校則違反ぎりぎりの茶髪に変えてみたのよ。凄くない? というか、凄いって言ってくれない?」


 楓はドヤ顔をしながらも、言葉としては懇願気味であることに、多分その努力に関して凄いと言えるのが現時点で臆人か自分しかいないからだろう。そして多分、臆人はこういうのに疎い。


「凄い、ですね」

「……それだけ?」

「え!? いや、その……似合ってる、かな」

「……で?」

「か、可愛いー、美少女ー」

「それ、心こもってる?」

「…………」

「はい殺す」


 楓がそんな殺伐としたツッコミをしたところで、「で、それより本題なんだけどさ」とまたしても話題を切り替えて話し始める。純は、それについていくだけで精一杯だった。


「美愛の様子が変なんだけど、心当たりない?」


 それは、たしかに本題だった。それも、先ほどの下りが前座にもならないくらいに。


「なんか、急に顔つき変わったわね」

「そ、そうかな? それより、変って」

「なんか、いつにも増してぼうっとしてるのよ。この前なんか電柱に頭ぶつけてたわ。このままだと、車にはねられてもおかしくないくらい」


 純は自然と廊下側の席に座っている美愛に視線を移す。彼女は、浮かない表情をしていた。


「で、そうなったのが、あんたが学校を休み始めてからなのよ」

「僕が……?」


 それはようするに、と純の妄想が膨らみ始めようとしたところで、


「心配してたから、じゃないと思うわよ。いや、まあそういう一面もあるかもしれないけど、それが主な原因じゃない」

「な、なんでそんなこと……」

「だって、それならあんたの無事が確認された時点で元気になるはずでしょ」


 そう言われれば確かにそうだ。もう、美愛が心配する必要はない。なのに、美愛の表情はいまだ暗い。


「なら、他に原因が?」

「うん。でも、話してくれないのよ」


 楓は少し寂しそうな表情をした後、「引っ越しのときも、そうだった」とぽつりとつぶやいた。


「だからあんたなら何か知ってるんじゃないかなって思ったけど、その様子じゃ心当たりはなさそうね」

「すいません……」

「謝るんじゃなくて行動しなさい。ここであんたが知らないなら、知ろうとすればいいのよ。もしかすると、あんたにならなにか話すかもしれない」


 まるで託すように、楓は言った。


「話を聞いてあげてほしいの。私じゃ、ダメだったから」


 その友達を想う様子に、やっぱり彼女は魔人ではなく人間なのではないかと思う。というかそもそも魔人と人間の違いってなんなんだろうとか考えてしまう。


「うん、聞いてみるよ」

「ありがと。じゃあとりあえず屋上の鍵開けといたから、話をするならそこを使って。そこなら誰もいないだろうし」


 楓はすぐにけろっとした表情に戻り、予め用意しておいたような口調で喋り始める。


「え……屋上って何年か前に開かないよう封鎖されたって」

「そんな人間の小細工なんて、私にかかればへっちゃらよ」


 ふふんとドヤ顔をする楓に、やっぱ人間と魔人って違うわ、と思った純なのであった。



 こうして純は楓と美愛と話をするという約束をしたわけだが、ここで早速問題が発生した。


「どうやって話しかけよう……」


 純と美愛の関係は図書委員の業務をしているときは、クラスメイトとして普通にしゃべることはあるが、クラスではほとんど会話はしない、といった関係性だ。


 なので、クラスでの美愛の話しかけ方がまったくわからないのだ。


「そんなの普通に話しかければいいじゃない」


 楓に聞いてもそんな答えしか返ってこないので、純は一人うじうじと悩んでいた。


 そして気づけば放課後になっていた。


 帰り支度をしている様子の美愛が視界の端に映る。まずい。このままでは帰ってしまう。


 ここで勇気を振り絞れなくては、男が廃る。


 純は跳ねるようにして椅子から立ち上がると、意を決して美愛の席に行こうとした。


 だが、ここで予想外のことが起きる。


「立山君」

「うわぁ!?」


 純が振り向いた先に、美愛が立っていた。そのことに驚き、純は後ろにひっくり返りそうになる。


「そ、そんなに驚かなくても……」


 後ろに倒れそうになってる純を心配そうに見つめ柄、美愛は言う。


「あ、そうだよね! そ、それで、どうかしたんですか?」


 先ほどの失態が無かったかのように振る舞う純。


 そして美愛は、こう言った。


「ちょっと話があるんだけど、いいかな」



 屋上のドアは本当に開いていた。なんだか罪悪感を覚えながら外に出る。


 屋上は灰色の石畳と二メートルを超える落下防止の柵が周りを囲っているだけで、それ以外に特に何もなかった。


「ここ開いてたんだね。前に閉められたって聞いたけど」

「いや、なんか偶々友達が開いてるのを見つけたらしくて教えてくれたんだ」

「ふぅん」


 美愛はさほど驚いた様子もなく、風でなびく髪をそっと片手で押さえながら柵の外を眺め始める。それにつられるように、純も外の景色を見る。


 今日は朝からずっと曇り空だ。そのせいで景色は仄暗く、周りも住宅地と道路とそこを走る車だらけで、とても良い景色とは言えない。


「それで、話って?」


 純は思い切って口火を切った。


「あぁ、うん。そのことなんだけど……」


 こちらを振り向いた美愛の表情は、やはり元気がない。彼女の視線が下に落ちる。


「君にその……謝りたいことがあって」

「謝りたいこと……?」


 美愛の表情が浮かない原因は、そのことなのだろうかと考えつつ、なにか謝られるようなことをされたかどうか記憶を辿っていく。だが、思い当たらない。


「なんですか、それは?」

「それは……その」


 言い淀む美愛に、純は何も言わず彼女が言葉を発するのを待った。


 やがて、ぽつりと言葉が出た。


「事故に遭ったのは、私のせいなんだよ」

「――え?」


 純は思ってもみないことを言われ、しばし言葉を失う。


「え、奏多さんのせいって……いや、そもそも」


 事故は起きていない、という言葉が出かかって、慌てて止める。口に出していいものなのかどうか不安に思ったからだ。


 だが、話は進んでいく。


「私が、あんなこと言っちゃったから」


 美愛は沈んだ顔を更に沈ませ、そう言った。


「あんなこと……?」

「異世界があるとかなんとか、君に聞いたでしょ?」


 まるで言わなければよかったとでも言いたげに、彼女は言う。


 異世界があるか、という話は、森山との個人面談の帰りに美愛とばったり出くわしたときのことで間違いないだろう。


 忘れるはずがない。その問い掛けは、純が異世界へ行くきっかけになったものなのだから。


 だが、それと事故――架空ではあるか――にどんな関係があるのだろうか。


「それで、もしかして君は本当に異世界を探そうとしたんじゃないかなって」


 美愛の言うことは的を得ていた。現に純は帰り道必死に異世界に行くにはどうすればいいか考えていたわけだから。


「でも、それと事故にどんなつながりが――」


 そこまで言いかけて、ハッとなった。まさか?


 そのタイミングで、美愛はこう言い放った。


「だって、異世界に行こうとするなら交通事故に遭うのがお約束だから」


 そうだ。その考えは純も一番最初に考えたことだ。そしてそれは同様に、ラノベ好きでもある美愛も考えることでもある。


 ――だが。そうだとするならば、それは同時にあまりにも非現実的だということも考えられるはずだ。ありえないと。


「そ、そんなことしませんよ!」


 純はきっぱりと否定する。彼女は、こんな非現実的なことで悩んでいたのだろうか。


 けれど、そうではなかった。美愛は薄く笑って頷く。


「うん。そんな非現実的なこと君はしない。というか、誰もしないよね」


 美愛はあっさりとそれを肯定した。それによって美愛の真意がわからなくなる。


「でもね、私はどうしてもそれじゃ納得できなかった。だって、あんなこと言った後に君が事故に遭ったんだよ。なにか、なにか私に原因があるんじゃないかって、いっぱい考えた」


 美愛の今にも泣きだしそうな悲痛な表情が、あのときの教室で泣いていた彼女と重なって心が痛む。そんなことを考える必要なんて、微塵もないのに。


「それでね、こう考えたの。異世界に行こうと思ったから、交通事故に巻き込まれたんじゃないかって」

「――――!」


 彼女は、自分が異世界あるのかどうか純に聞いたせいで、純が異世界を探そうとし、それが原因で交通事故に巻き込まれたと思っているのだ。


 それは――それはなんて盛大な勘違いなのだろうか。


 純は思わず苦笑する。


「な、なにがおかしいの! 私は本当に悩んだんだよ! そのせいで電柱に頭をぶつけてこぶができたんだから!」

「らしいですね。紅葉さんが言ってました。大丈夫ですか?」

「うん、まぁ……じゃなくて、どうして笑ってるのか聞いてるんだけど!」

「それは……実は僕、交通事故には遭ってないんですよ」

「……え?」


 今度は美愛が予想外の言葉に呆然とする番だった。


「え、でも森山先生から君は交通事故に遭ったって……」

「それは嘘なんです。その、僕への配慮というか、なんというか……」


 言い訳がましくそう呟いていると、ぐいっと美愛が近づいてきて、顔を寄せてきた。


「ちゃんと説明して」


 美愛の気迫に押され、純はこれまでの経緯を純を負って説明した。


「なら君は気づいたら道路で倒れてて、そこから病院で高熱のまま三日間眠っていたってこと?」

「まあ、はい……そうなりますね」


 純が曖昧にそう答えると、美愛が疑り深い目でこちらをにらみつけてくる。


「怪しい。まだなにか隠してるんじゃないの」


 そう言及された純は、迷った末にあのことを美愛に話すことに決めた。あの話をすれば、きっと彼女は喜んでくれるんじゃないか、そんな淡い期待をしながら。


「実は僕、高熱で倒れる前に異世界に行ったんです」

「……え? 異世界に、行った?」


 美愛は思いもよらないことを言われ戸惑っている様子だった。無理もないな、と純は思った。


「でも行ったら熊みたいな獣に襲われて、追い払ったんですけど死にかけて、気づいたらこっちの病院で三日も寝てたっていう感じで」


 純は異世界での出来事をとりあえず捲し立てる。美愛の反応は、思ったより薄いことに動揺しながら。


「だから、その、事故には遭ってなくて。でも、異世界には本当に――」

「異世界なんて存在しないよ」


 美愛は、まるでなにかから目を背けるようにそう言った。その口調は、どことなく冷たくて、純は言葉を失う。


「君は夢を見てたんだよ、きっと」

「そ、そんなこと! 紅葉さんか臆人に聞いてみればわかりますから!」

「楓も、一緒になって私をからかうんだね」


 純が異世界を肯定すればするほど、美愛の顔は沈んでいく。


「なら、どうしたら信じてくれますか?」

「じゃあ、今すぐ連れて行ってよ。その異世界に」

「それは――」


 純は「できる」と言いたい言葉をぐっとこらえた。異世界に行くこと自体は、臆人や楓に頼めばなんとかなるかもしれない。だが、いま異世界に連れて行ったら原因不明の病で倒れることになる。そんな危ないところに、美愛を連れて行くことはできない。


「今はまだ……で、でもいつか必ず!」

「その頃にはもう、転校してるんじゃないかな」

「それは……!」


 ないとは言い切れない状況に、純は何も言い返せなくなった。


「……ごめん、意地悪なこと言っちゃったね」

「いえ……」


 美愛の顔には、不安が色濃く映っていた。彼女は不安なのだ。不安で不安で仕方ないのだ。


 だからこそ、純は救いたいと願う。少しでも力になりたいとあがく。


「奏多さん、僕は――」


 突然、雨が降り始めた。最初はぱらつく程度だったが、すぐにその雨足は強くなる。


「降ってきちゃったね」


 雨雲を見上げながら、美愛が言う。


「……そうですね」


 戻りますか、と聞こうとしたけれど、もし聞いたらこのまま終わってしまう気がして、怖くて聞けなかった。雷が遠くのほうで音を立てはじめる。


「もし仮に異世界が本当に存在したとしてさ」


 美愛は、まだ空を見続ける。


「そんな遠い所、私には行けない。ほんの少しここから離れた場所に行くだけなのに、こんな怖いんだもん。無理だよ、異世界なんて」


 美愛の身体は震えていた。これは雨に濡れて冷えたせいなのか、それとも――。


「大丈夫ですよ、奏多さん。異世界には僕がいますから。ちょっと、頼りないかもしれないですけど……それでも、一緒にいるくらいはできます」


 恥ずかしさをぐっと堪えながら、純は美愛を見つめて言った。


 その言葉に、唖然としていた美愛だが、やがて口元が緩む。


「ありがとう、立山くん」


 その笑顔を見た瞬間、純の心臓が高鳴った。


 今なら、いけるかもしれない。


 臆人は、勇気が出ないなら異世界で告白しろと言った。それは言い換えれば、勇気が出るなら告白していいということになるはずだ。


 美愛の転校まで時間がない。それまでにあの原因を突き止めて異世界に行ける保証はない。なら、告白できそうなタイミングで告白してしまったほうがいい。


 どくんどくんと、心臓の音が大きく、早くなっていく。


「そ、その、奏多さんにつ、伝えたいことがありまして!」


 全身が熱くなる。心臓はもう張り裂けそうなほど高鳴る。


 高鳴る。高鳴る。


「ぼ、僕は、ずっと前からあなたのことが――」


 そして。


 純の全身が、まるで火傷でも負ったかのように熱くなり、それは激しい痛みへと変わった。


「あっぐ――!」


 その抑えきれないほどの熱と激しい痛みに、純は地面に倒れこむように蹲る。


 なにかが――純の体内から飛び出そうとしている。それがなんなのかわからず、純は必死に身体に力を入れ、それを内に留めようと踏ん張る。


「え、立山くん……? 立山くん!」


 呆気に取られていた美愛が、蹲っている純に慌てて駆け寄ろうとする。

 その手が純に触れようとした瞬間、ぴしゃりと誰かにその手を跳ねのけられた。


「離れて! 死ぬわよ!」


 飛び込んできたのは――楓だった。軽やかに滑り込んできた楓は、純をすくいあげるように脇に抱え込む。


「え、なんで楓がここに――!」

「話はあと!」


 楓はそう言い切ると、高さ二メートルもある柵に目をやった。

 そして、助走もなしに飛び跳ね、柵の上に乗った。


「うそ……」


 美愛は目を丸くして立ち尽くしていると、あろうことか楓はそのまま屋上から飛び降りた。


「え、ちょ――! 楓!」


 美愛は屋上から落ちて行った楓の様子を確認しようと柵に手をかけ隙間から下を覗く。


 だが、そこにはもう楓の姿も純の姿も見つからなかった。


「いったい、どうなって」


 なにがなんだかわからないまま呆然と立ち尽くす中で、美愛は純が言おうとしていた言葉を思い出す。


 それはもしかすると、彼女が一番望んでいた言葉だったのかもしれない。


 けれどそれは同時に、一番望まない言葉でもある。


 あの問い掛けに、なんて答えるのが正解なのだろう。


 降りしきる雨の中、彼女は一人考えるのだった。

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