助けの恩人
真っ暗な世界の中心に、火が灯った蝋燭がある。その火はだんだんと強くなり、次第に炎のように燃え盛る。
そしてその世界は、その炎に呑まれていく。
純はハッとしたように目を覚ました。
視界の先には真っ白な天井。次いで消毒液のようなツンと鼻に来る匂いが押し寄せる。
「ここは……病院?」
どうして自分がここにいるのか釈然としないまま身体を起こそうとするが、まるで石でも詰められているかのように重く、純は起き上がることすらできなかった。
「いったいどうなって……」
「純!」
突然の甲高い声に肩を震わせて、声のしたほうを見ると、そこには母である真理の姿があった。後ろには父の小暮の姿もある。二人ともホッとしたような様子でこちらを見つめている。
「よかった! 目が覚めて!」
真理は目を潤ませがら一気に駆け寄ってくると、純に勢いよく抱き着いてきた。
だが、純にはどうしてここまで大袈裟に目を覚ましたことを喜ばれているのかわからない。
「覚えてないのか?」
純の様子を見て取ったのか、小暮が心配そうに聞いてきたので、純はこくりと頷く。
「そうか……ならもうすぐ医者がくるからそこで詳しく話を聞くといい。実際、俺達もよくわかってないからな」
そう言い終えたところで、年配の医者が病室に入ってきた。やはり、安心した顔をしている。
「よかった、目を覚ましたんですね」
またしても同じようなことを言われ、純はこくりと頷く。
「もう、目を覚まさないのかと思いました」
「もう……?」
その言葉尻に純が違和感を覚えていると、医者の背後からスーツ姿の強面の男が顔を覗かせた。そしてさっと警察手帳を取り出した。
「刑事の田辺です。少しお話してもよろしいでしょうか」
「刑事……?」
純にはもうさっぱり訳がわからなかった。どうしてここに刑事がいるのか。
「三日前に起きたこの奇怪な事件について調べています。早速、お話を聞かせていただきたく思いまして」
「田辺さん。まずは状況説明からさせてください」
医者がたしなめるように言うと、田辺は「失礼しました」と相好を崩さすそう言って一歩退いた。
それを見計らって、医者は口を開いた。
「私は江藤といいます」
それから、江藤はことここに至るまでの顛末を話してくれた。
純がこの病院に運ばれたのが三日前。道端に倒れていた彼を通行人が発見し、病院へと搬送された。
それからすぐに警察に通報が入り、財布の身分証明書で身元が特定され、家族は病院に呼び出された。
その間、病院では純の診断をしていたようだが、昏倒している原因は不明。わかったのは、死んでもおかしくないような高熱が続いているということだけだった。
医者は家族に一旦様子を見ると伝え、その後純は三日間もの間高熱にうなされ続けながら眠っていたという。
そして今日、医者は家族にこのまま眠り続けるかもしれないと話をした矢先、純は目を覚ましたらしい。
「驚きました。こんな平然と目を覚ますとは思っていなかったので」
江藤は興味深そうな目で、純を見つめた。その瞳は、何かを検分するような瞳だった。
「それで、どうして道端に倒れていたのか、覚えていますか?」
今度は横にいた田辺が率直に聞いた。早くこの事件の手がかりになるものを見つけたい、という思いがひしひしと伝わってきた。
「それは……」
だがその思いに、純はどう答えればいいかわからなかった。
純の頭には、黒い渦に捕らえられてから意識を失うまでの記憶が鮮明に残っているが、このことを率直に話しても信じてくれる可能性は限りなく低い。
だから純は、こう答えることにした。
「すいません……よく覚えてなくて」
「何にもですか? ならどこまで覚えていますか?」
「えっと、学校からの帰り道だったことは覚えているんですけど……」
「他には?」
「ちょっと田辺さん、今日はそんなに突っかからない約束でしょ。今日はもう遅いし、帰った帰った」
またしても江藤がまるで子供を叱るように田辺をたしなめる。田辺はそこでハッとなったのか、またしても「失礼しました」と言うとすごすごと病室を出て行った。やはり、その表情は崩れない。
「すいませんね、不愛想で」
「お知り合いなんですか?」
「えぇ、まぁ。ちょっと腐れ縁で。それより、今日はもうお休みください。明日ちゃんと検査しますから」
「わかりました」
これで話は一旦終わるかと思っていた純だが、江藤はまだなにか言いたげな様子でこちらを見ている。
「どうしたんですか?」
「――いえ。ちょっと、考え事を。すいません、ぼうっとしてしまって」
「いえ、全然」
こうして純は翌日、色々と検査を受け、問題ないと診断されたので、そのまま退院することになった。
「それではまたなにかあったら連絡してください」
「わかりました」
帰り際、江藤が見送りに来てくれた。そのときも、彼はなにか言いたげな様子だったが、結局最後までそれを明かすことはなかった。
昼下がり、純は太陽の日差しを存分に浴びながら帰宅した。
なんだか久々の我が家に安堵した純は、すぐさまベッドで横になりたい衝動に駆られた。今まで散々病院のベッドで過ごしていたが、病院のベッドと自室のベッドでは癒し度が全然違う。
純はベッドにダイブしようと考えながら、颯爽と自室のドアを開けた。
――そこには、ベッドの上で漫画を読んでくつろいでいる臆人の姿があった。
「よ、お帰り」
臆人は純に気づいて平然と軽く手を上げる。
「な、なんで臆人がここに!?」
「いいだろ友達が来てたって」
「いやそこじゃなくてなんで勝手に! ていうかめっちゃ散らかってるし!」
純はベッドの下に散らかっている漫画を指さしながらそう捲し立てる。
「まぁまぁ落ち着けって。俺は話があってきたんだからよ」
そう言うと、寝そべるようにしていた身体を起こし、ベッドの上にあぐらをかくような体勢をとる。
「話……?」
「お前が魔界に行ったことについてだよ。ちなみにあのマグマから助けてやったのは俺だからな。感謝しろよ」
ふふん、とドヤ顔しながらこちらを見てくる臆人に、純は呆然とする。
「え……ちょ、ちょっと待って! ならあのときの声は臆人だったの!?」
「あぁ。お前のひとり愛の告白を止めたのも俺だ」
「わー! 忘れてそれは!」
にやにやと笑う臆人に、純は顔を赤くしながら動揺する。
「え、ていうか、じゃあ臆人って、異世界の人、なの……?」
「正確には魔界の人だな。そんで俺達は自分達のことを魔人って呼ぶ。純が自分達を人間っていうのと同じようにな」
「魔人……で、でも、臆人とは中学一年生のときから知ってて……」
「それは俺が中学に上がるのと同時にこっちで暮らし始めたからだな」
「暮らし始めた……? ようは魔界から人間界に引っ越してきたってこと?」
「んーまぁ、そんな感じだな」
まるで昨日の晩御飯の話でもするかのように、臆人は飄々と言う。一方純は衝撃的な発言に茫然自失としている。
「悪いな、黙ってて。でも俺も驚いたんだぜ。まさか魔渦に導かれてやってきたのが純――お前だったんだからな。最初は目を疑ったよ」
「魔渦って、あの黒い渦のことだよね? あれ、なんなの?」
「あれは願いに反応する扉だ。純は多分、異世界に行きたいって強く願ったんじゃないのか。それも、本気で」
「――――」
純の脳裏に、涙を流す美愛の姿が浮かんできた。途端に切なくなる。
「やっぱりそうみたいだな。……なぁ純、理由を聞かせてくれないか? どうしてお前は異世界に行きたいって願ったんだ?」
臆人の目は、真剣だった。まるで見定めるかのように、じっと純を見据える。
「奏多さんが……言ったんだ。異世界に行ってみたいって。だから、かな」
純は正直に理由を話した。彼なら、今の自分の気持ちをわかってくれると踏んでいたからだ。案の定、最初はキョトンとした表情の臆人だったが、やがてにかっと笑って、
「なんだ、ピュアなお前らしいな!」
「うん。でも、おかげで死にそうな目に……あ、そうだよ臆人! あの僕に起こったあれはなんだったの? おかげで僕死ぬとこだったんだけど!」
「いや、俺にキレんなよ。で、あれに関してだが、正直なところわからん」
「え、わからん……?」
あまりにもはっきりと答える臆人に拍子抜けする純。
「でも、いま俺の仲間が調べてる最中なんだ。もう少し探ればわかると思うんだが」
「仲間って……魔人、だよね?」
「あぁ。ちなみにクラスメイトだぞ」
「あ、そうなんだ。……えぇ!?」
さらりと驚愕の一言を言う臆人に、一瞬納得しかけた純が目を丸くする。
「だ、誰……?」
「それは行ってからのお楽しみ。ま、すぐ気づくさ。あいつ意外に世話焼きだから」
「えー……」
気にはなるが、これ以上脳に新しい情報を入れるとパンクしそうな気がしたので、その件については置いておくことにした。
「さて、純。お前に一つ頼みがある」
「頼み……?」
「お前を魔界に連れて行く人間第一号にしたい。もちろん、あれの原因が解決して、魔界が十分に安全だと分かったらでいい。魔界に来てくれないか?」
「え、それはもちろん構わないけど……でも、なんでそんな」
一生のお願いでもするかのような態度に腰が引けた純に対し、臆人はこう言った。
「俺は、いつか魔界と人間界が気軽に行き来できるような世界を作りたいと思ってる」
「魔界と、人間界を……?」
「あぁ。魔人が気軽に人間界に行けて、人間が気軽に魔界に行ける。俺は、その架け橋になりたいんだ。そのために俺は、ここにきた」
魔人と人間が互いの国を行き来する――それはまるでどこかの物語の架空世界のようなお話で。現実にはありえないことで。
「その第一号として、純――お前に魔界に来てほしい」
なのに臆人の顔は真剣で、そこには一欠けらも冗談は含まれていなくて。
「で、でも僕、異世界に行きたいって願ったのは奏多さんを連れて行きたいって思ったからであって、決して僕が望んだわけじゃないっていうか、だからそんな僕なんかでいいのかなって」
あまりに真摯にお願いされるので、純は変に言い訳を並べるように言葉を捲し立てる。
「純、お前告白するのに勇気が出ないって言ってたよな」
「う、うん……」
「魔界だったら、勇気出るんじゃないか? 奏多が望んだ世界でなら、奏多が望んだ世界に連れて行ったのがお前であったなら、出ない勇気も少しくらいは振り絞れるんじゃないか?」
「それは――」
純の頭の中で想像が膨らむ。
あの高台。見晴らしのいい景色を背に愛の告白をする。告白をした瞬間、周りにいた魔物や花たちが踊り始め、空を色とりどりの鳥が駆ける。
それは、なんてロマンチックなんだろう。
「できる、かもしれない」
「うっし! ならいっそ式も挙げるか! あの近くに式場もあるしよ」
「いやいやまだ告白が成功するかもわからないんだから気が早いよ!」
すると、臆人が、何言ってんだこいつ、みたいな目で純を見てくる。
「お前、告白が成功するかどうかで悩んでんの?」
「あ、当たり前じゃん!」
「……はぁ。これだから人間は」
「急に見下す発言! 臆人は告白する相手もいないくせに!」
「うるせぇ! 俺はな、魔界で金髪美女と結婚すんだよ!」
「それができるのは主人公だけだよ!」
「誰が脇役じゃあ!」
と、なにかを確かめあうように互いに言葉をぶつけたあと、
「というわけで、俺はお前を魔界に招待し、お前は魔界に美愛を連れてきて告白する。そういうことでいいな」
「うん。わかった」
こうして方針が決まったところで、臆人は帰った。
誰もいなくなった部屋で、ようやく純はベッドに横になろうとした。
――そのとき、胸のあたりに熱を感じた。
「なに……」
まるでカイロでも貼ってあるかのような温かさは、やがてはっきりと熱となり、純の胸をうずく。
「う……」
しばらくその場に縮こまっていると、やがてその熱は収まり、何事もなかったかのように引いていく。
それがなんなのか、原因を聞こうにも臆人はもういないので、明日にでも聞こうと頭を切り替え、ベッドにダイブした。
その瞬間、彼は深い眠りへと誘われた。
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