第3話 秘める力は今導かれ

黒い影がにじり寄ってくるのを、桐山はどこか他人事のように眺めていた。


「下がって!」


八代やつしろは鋭く叫ぶと、五本の指を化け物に向け横に引いた。そのまま、親指を折って下にも下ろす。すると、どうしたことだろう。影のような化け物はぐえっというような叫び声を上げて痛がる。その間に距離を取り、今度は化け物に向けて星型を描いた。化け物は縫い付けられたように身動き出来なくなってしまう。


「ちょっと見てないであんたも手伝いなさいよ。」


何もせず、棒立ちで見ていた桐山はギクッとしたが、八代が睨んだのは朝陰の方だった。


「いや、この状態では無理でしょ。」


半笑いで立っている朝陰を見て、二人は声を失った。地面に描かれた四角の線。その中に立っている彼は、何十匹もの蠢く影の怪物に囲まれていた。しかし、彼奴らは線の中には入ってこれないらしく、不気味なうなり声を上げて悔しがっている。


「なんとか簡易結界は張ったんですけど……。」


「ああもう、なんなのよぉ~!!」


引き攣った顔で、理解を超えた光景にやけくそ気味に叫ぶ八代。除霊の経験が豊かなはずの彼女でもこうなのだから、朝陰の特異さが知れるというものだ。


「桐山君は他のものが来ないかちゃんと見ててくださいね。」


そんな状態でも冷静なのが怖すぎる。今までどういう人生を過ごしたらこんな強心臓になるのだろう。桐山が、最初に動くなと言われてから、言いつけ通り一歩も動いていないのは、単に恐怖で足が竦んでしまって動かないからだ。本当に情けないことだが、八代と朝陰にどうにかしてもらうしかない。


八代がポシェットから取り出したのは、小さなガラス瓶だった。中には白い粉が入っている。


「塩……?」


既視感を感じたので聞いてみると八代は無言で頷いて、それをさっき動きを止めた影の怪物に振りかけた。液体が蒸発するかのような音を立てて溶けていく。


「すごい。」


思わず、感嘆の息が漏れる。


「うちの神社御用達の塩ですからね。」


八代は満更でもない顔で言った。


「でも、これ……。足りるかしら?」


ポシェットの中に入れてきた小瓶は三本。そのうち一本はもう半分くらい使ってしまった後である。朝陰を取り囲んでいる怪物たちを見る。十匹以上はいる。足りるわけがない。


「一応、護身用に持ってきただけで、こんな規格外の憑かれ屋がいるなんて思わなかった!」


彼女の朝陰を見る目には恐れがあった。影の化け物に対する恐怖よりもそれは鮮明に表れていた。


「それ、僕のことですか。」


軽薄そうに笑ったその顔はすぐに崩れ去る。冗談じゃない彼女の怯えを感じ取ってしまったから。


「そうですね、僕は来るべきじゃなかったのかもしれません。もっと自分の体質のことを考えるべきでした。」


僕が来なければここまで集まることもなかったのかもしれません、と朝陰は静かに告げる。確かに、何も知らないでここで肝試しをする人間を狙う霊より、自衛は出来るものの、霊を集めてしまう朝陰の方がよっぽど危険かもしれない。でもそれでも、桐山は朝陰を責める気持ちにはなれなかった。だって彼には悪意がない。悪意がない人間をどうして責められるというのだろう。


気が緩んだのだろうか、地面に朝陰が描いていた結界が呪力を失う。朝陰の正面にいた影の怪物は、頭にある大きな口をがばりと開いた。綺麗に生えそろったギザギザの白い歯は街灯の明かりに照らされて光る。喰われる、そう思った瞬間、桐山は木の棒をそいつに向かって投げていた。


「危ない!!」


木の枝をぶつけたところで、蚊の羽音くらいにしかならない。そう思ったが、枝に触れた時、バチっと静電気のような音がして、怪物の背中は大きく震えた。


地面に落ちた枝をさっと拾った朝陰はそれを怪物の中心に突き刺す。


「ぐぅうるるる……。」


苦悩の声を上げて地面の上をのたうち回る影の怪物はやがて霧散むさんしてしまう。枝を突き刺して、霊を祓って見せた本人は目を丸くしてただの棒きれを眺めていた。


「もしかして、桐山君ってものすごい陽の気を纏ってたりします?」
















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