第7話 過去

 学校帰りに捨て猫にエサをやっているところを見かけたのが、そもそものきっかけだった。家の方向が違うので登下校中に会うことはなかったのだが、その日は俺が友達の家に寄り道をしていて、そこから自宅に向かう途中で知奈美の姿を見かけたのだった。

 彼女は成績優秀で人当たりもよかったせいか、学級委員を務めていた。その日はその集まりだかなんだかで下校が遅くなっていて、俺が家に帰る時間帯と重なったのはそのためだった気がする。

 捨て猫は段ボールの中に入っていて、なんたら不動産管理地、という看板の立った空き地に放置されていた。知奈美は給食の牛乳を開けずにランドセルの中にしまい、学校帰りに猫に与えるということを一週間ほど続けているらしかった。


「ほんとはうちで飼いたいんだけど、お母さん動物嫌いだから……あ、三浦くんのうちは?」

「俺んとこも無理だよ。でも、いつまでもここに置いとくわけにもいかないよな……」

「やっぱり、ダメかな?」

「保健所の人に連れてかれるかもしれないぞ」

「えーっ、そんな、どうしよう……」


 不安で涙目になった知奈美に向かって、「どうしようもないよ」とはさすがに言えなかった。すでにそのとき、俺にとって彼女は特別な存在だった。といっても、ろくに話したことなんてなかったし、単純に「かわいい」=「好き」と感じていただけかもしれない。それでも、知奈美の力になりたいと本気で思ったことは事実だった。

 とりあえず危険から遠ざけるため、猫を段ボールごと学校の敷地内に移動させることにした。プールの下に、ちょうどいい隠し場所があるのを知っていた。冬だからそう簡単には見つからないだろうと思った。

 実際、最後まで誰にも見つからなかった。最後というのは、そこに移してから一〇日くらい経った日のことで、その猫が動かなくなった日のことだった。病気のせいなのか、少しずつ元気がなくなっていくのを心配していた矢先だった。

 大粒の涙をぽろぽろとこぼす知奈美を見て、取り返しのつかないことをしてしまったと思った。暗くて寒いところを住処にさせた責任が重くのしかかって、押し潰されそうだった。「ごめん」としか言えなかった。知奈美はただ泣いていた。


「お墓、作ってあげなきゃ」


 やがて彼女が涙声でそう言った。俺は段ボールごと猫を抱えて、埋葬場所を探すことにした。知奈美は鼻をすすりながら黙ってうしろについてきた。

 体育館の裏にしようかとも思ったが、昼間もほとんど陽があたらないのがかわいそうに思えて、近くの公園まで足を運んだ。砂場に落ちていたシャベルを使って、木の根元に埋めた。

 うつむいたまま「帰るね」とつぶやいた知奈美の背中に、俺は声をかけられなかった。

 次の日から彼女は俺に話しかけなくなった。完全に嫌われたと思った。俺は机に突っ伏すことが多くなった。なにをやっても楽しくなかった。

 何日か経ったある日、知奈美から声をかけられた。


「いろいろありがとう。猫のこと」


 それ以来、知奈美とはちょくちょくと話すようになった。学級委員の仕事を手伝ったり、勉強を教えてもらったりしていたので、クラス内で冷やかされることもあったが、結局なにごともないまま卒業した。


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