第5話 再会
「駅まで送るよ」と由佳に言われた。ついてくる彼女を追い返す気力もなかった。国道沿いの道は薄暗く、肌寒い。行き交う車がヘッドライトを点け始める。
「ね、信じてくれたよね?」
赤信号で立ち止まると、隣を歩いていた由佳が頃合いを見計らったかのように切り出した。
「ああ、まあな」
歩行者信号の赤い光を見つめたまま、短く答えた。
「そっか、よかった」
心底安堵したように由佳が言う。俺はそんな彼女に目を向けることができなかった。彼女の笑顔ですべてが許せてしまうような、そんな気持ちになってしまうことが怖かった。
「これからもよろしくね、利弥」
突然、左手に柔らかいものが触れた。目をやると、由佳の右手が俺の左手を握っていた。俺は思わずその手を引っ込めそうになった。
「な、なんだよ」
言葉が口をついて出た。なに考えてるんだ。
「まだ赤信号だからね」
おどけたように由佳は笑って、繋いだ手を前後にぶらぶらさせた。
「そんなガキじゃねえよ」
「そっか、ガキじゃないっか」
「見りゃわかるだろ?」
「うん、大きいもんね。わたしより大きいよ。あんなに小さかったのにね。もう、十五センチくらい、あるのかな」
青信号を渡りきっても、彼女はその手を離さなかった。
「利弥がちゃんと歩けるようになったらね、こうやって手を繋いで、いろんなところに行きたかったんだ」
「だから、ガキじゃねえって言ってるだろ」
俺は由佳の手を振りほどいた。もともと繋がっていなかったものが離れただけなのに、なにかが減ってしまった気がした。本当はもっと繋いでいたかった。ずっと繋ぎたかった。相思相愛の恋人同士として。
「ご、ごめんね。もう、思春期だもんね、恥ずかしいよね」
戸惑いながら、まるでマンガの中の母親みたいなことを言う。俺は唇を噛んだ。
駅に近づくと道が賑やかになってきた。飲食店やコンビニと同じくらい不動産屋もある。由佳はその前を通るたびに立ち止まって、窓ガラス一面に貼られた間取り図を、真剣に見比べていた。
「いつまでも病院にいるのもやだしね」
そのかたわらで、俺はとある視線を気にしていた。女の子だった。一体いつからそこにいたのか、道の真ん中でなにをするでもなくたたずみながら、こちらを静かに見つめていた。
目が合うと、彼女は柔らかくほほえんだ。
どこかで見た顔だった。とろんと溶けたような瞳に、遠慮がちな薄い唇。長めの髪はわずかな風でもさらりとそよぎそうで、小柄な身体を清潔な印象のワンピースで包んでいた。年齢は俺と同じくらいだろう。
橋本知奈美。
ふとその名前が浮かんだ。小学校六年の頃、「おまえらデキてるんじゃないか」と冷やかされるほどに仲のいい女子が、一人だけいた。中学に上がるのと同時に別のクラスになって、自然と会わなくなってしまったのだが……いや、まさか。
「あの、三浦さん……ですよね?」
口を開いたのは彼女が先だった。俺が彼女の名前を確かめると、こくりとうなずいて返された。
「久しぶりだな」
思わぬ再会に俺はどぎまぎした。確かに彼女は当時からかわいかったが……そのあたりのアイドルグループより、よほど愛らしい。楚々とした雰囲気をまとっている。
「そちらの方は彼女さんですか?」
由佳のことを気にする知奈美に俺は首を振った。
「いや……友達だよ」
まさか母親と紹介するわけにもいかなかった。
由佳は目にゴミでも入ったのか、まぶたをぱちくりさせている。
「そうなんですか。友達とお部屋探しなんですか?」
「別に俺が探してるわけじゃないよ」
「えー、ほんとですか?」
言って、知奈美は冗談っぽく笑った。その笑みには確かに小学生の頃の面影があった。嬉しくて、くすぐったかった。
卒業してからどうなったのか、今はなにをやっているのか。話し始めたらきりがなかった。「また今度、ゆっくり話しませんか?」と言われて、連絡先を交換した。
「あとで連絡しますから、お返事くださいね」
知奈美は最後にそう言って、人混みの中に消えていった。
「かわいい子だね」
由佳の声色は心なしか不機嫌そうだった。
「ああ、まあ、そうだな」
「なんとなく、利弥に気があるみたいだったよ」
「はは、そうかな」
俺は知奈美のことが好きだった。今から思えばあれが初恋だったのかもしれない。
「それじゃ、また明日ね」
改札を抜ける俺に由佳が手を振った。その顔がどことなく不安げに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます