第4話 証拠
翌日、俺はバイトをサボった。というより、サボることになったと言ったほうが正しい。学校が終わってからバイト先のファミレスに到着すると、由佳が待ち構えていて「病院に行こ」と腕を引っ張られたのだ。
「ちょ、待てよ、そっちもこれからバイトだろ?」
「店長に休むって言っといたよ。代わりの人も見つけたし」
「勝手なことすんなよ。それになんで俺が病院なんか行かなきゃならないんだ? 別にどこも悪くねえよ」
「わたしがずっと入院してたところだよ。挨拶くらいしといたほうがいいでしょ?」
話によると、その病院は某大学の付属病院で、そこの教授がずっと由佳の面倒を見てきたらしい。そして今もそこからバイト先まで通っているのだという。
確かに、バイトなんかそっちのけにしてもよかった。白黒はっきりするならさせてほしい。そう思う一方で、確信に満ちた由佳の言動が、すべてを物語っているような気がして怖かった。知りたくない。でも俺は由佳の誘いを断らなかった。
「そういえばさ、事故ってどういう事故だったんだ?」
大学病院の廊下を目的の部屋に向かって歩きながら、俺は由佳に訊いてみた。
彼女が語ったそのときの状況は、伯母さんから聞かされてきた内容とほとんど一致していた。
「そのときね、薬を飲んでたの。そのせいだと思うんだけど、いきなり頭の中が真っ白になって、ふらふらしちゃって」
「どんな薬なんだ?」
「お肌の薬」
「塗り薬でふらついたのか?」
「飲み薬だよ。未認可っていうか、新しく開発された薬のモニターしてたのね。遺伝子に働きかけて身体の中からお肌のハリを保ちます、っていうフレコミだったかな」
意識不明になり、いつ目覚めるのかわからないまま一年が過ぎた頃、明らかに若返っている彼女の身体にここの教授が興味を持った。彼は、彼女を研究対象とする代わりに、万全の医療を無償で提供すると婆ちゃんに話をつけ、自分の所属する病院に移送させたのだという。
もし俺が子供の頃からそのことを知っていたら、どうなっていただろう。きっと、若返っていても、俺にとってはあくまで母親でしかなく……手を繋いで歩きたいと思うようなことも、なかっただろう。
「もうすぐだよ」
エレベーターで最上階まで来ると、すぐ目の前に仕切りの壁と扉があった。「中学生未満のお子様はご遠慮ください」「関係者以外立ち入り禁止」そんな看板が立っていた。由佳は「ただいま」と受付の中年看護婦に声をかけた。
「あら、おかえりなさい。利弥くんも来たのね」
「俺のこと知ってるんですか?」
「いつも由佳ちゃんから聞いてるもの。あ、先生呼んでおくわね」
彼女はそう言って受話器に手をかけた。由佳は短く礼を言って、そのまま扉の奥に進んでいった。
「ここだよ」
由佳の部屋は廊下の突き当たりだった。ドアを開けるとそこは六畳ほどの個室で、夕陽色に染まる街並みが窓から一望できた。なにかの計測器なのか、ベッドの横には見慣れない機械がたくさん置かれていた。ただそのほかにも、テレビ、雑誌、食べかけのお菓子に、服や化粧品なんかも置かれていて、病室とは思えない生活感が漂っていた。どことなく、懐かしさを感じさせる匂いだった。
しばらくすると、件の教授が姿を現した。由佳は彼を「水谷先生」と親しげに呼んだ。五〇代くらいに見えた。
水谷先生は簡単に自己紹介し、「こんなもので納得できるかわからないけど」と俺に封筒を渡した。そして、彼女の観察経過について力を込めて語り始めた。若返りの幅は経過時間とともに少なくなっているということ。ここ一年は成長してもいないし若返ってもいないということ。飲んでいた薬が原因としか考えられないが、因果関係は証明できていないということ……とかなんとか。
いろいろと細かいことを説明されたが、ほとんどが右から左に抜けていった。俺の意識は聴覚ではなく視覚に集中していた。
封筒の中に入っていたのは一枚の紙だった。俺はその内容を何度も繰り返し確認し、一字一句をなぞるように視線を這わせていた。
そこに書かれていたのは、由佳との親子関係を証明するDNA鑑定の結果だった。
一年前に目覚めた由佳は、俺の所在を突き止めるために探偵を使い、科学で裏付けを取ったらしい。髪の毛でも手に入れたのだろうか。そして俺と接触するために、同じ店でバイトをすることにした、と。
そうか、まあ、そりゃあそうだ。そうでもしなきゃ、いくら親子だって、わかるわけない。
「こういうの、あるんならよ、先に見せろよ」
こうして証拠を突きつけられると、もうなにも言えなかった。あなたと彼女は親子関係です。そこにそう書いてある。
「うん、ごめんね」
つぶやくように言った由佳の声が、ひとつ壁を隔てたかのように、どこか遠くから聞こえた気がした。
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