第3話 事実
気が付いたら自室にいた。由佳に言われたことが頭から離れなかった。俺はただベッドに身を沈めながら、由佳のことを考えていた。
どんなつもりであんなことを言ったんだろう。今にして思えば、俺に好意を持たれて困るなら、もっと別の言葉があったように思う。それなのに、わざわざあんな話をして理解を求めようとするなんて、そこにどれだけの意味があるのか。あるとすれば、その内容が真実だからではないかと考えてしまう。
交通事故だった。そのときの状況は伯母さんから何度か聞いたことがある。歩道のない狭い道路で、赤ん坊の俺を抱えた母さんが、道路中央側に突然飛び出し、通りかかった車に撥ねられた。
俺は一階のキッチンに足を運んで、洗い物をする伯母さんに当時のことを聞いてみた。「忘れたわよ、そんな昔のこと」とめんどくさそうに言われた。
「事故のショックで若返ってたとか、そんなことないよな?」
「あるわけないでしょそんなこと」
食器の扱い方が荒くなり、声も明らかに不機嫌になっていたので、俺はそそくさとリビングに逃げた。
伯母さんは母さんの姉だが、仲は良くなかったらしい。母さんが事故で意識不明になっても、見舞いにすら行かなかったというから筋金入りだ。だから、その息子である俺を引き取ることにも反対していた。母さんは一年経っても意識不明のままだったし、父さんは俺を見捨てて蒸発。しばらく面倒を見てくれていた婆ちゃんも、心労のせいか病気で他界してしまっていた。だから、伯父さんが強く言ってくれなかったら、俺はどこかの施設の世話になっていたに違いない。
俺はまだ一歳かそこらだったので事故のときの記憶はない。物心ついたときすでにこの家で生活していた。
伯母さんは娘には優しかったが、俺に対してはきつくあたることが多かった。お菓子やおもちゃを泣いて欲しがれば、彼女には買い与えられたのに、俺には我慢しなさいとしつけされた。「余計なお金ないんだから」が伯母さんの口癖だった。
最初は伯母さんがこっそり母さんの医療費を払っていて、だから「お金がない」と言っているのかとも思っていたが、そうでもないらしかった。伯父さんが言うには、ある日病院に行くとベッドには違う患者が寝ていて、病院の関係者によると「別の病院に移った」とのこと。どこからお金が出て、誰の許可でやったことかは教えてもらえなかったそうだ。おかしな話だと未だに思う。
「伯父さん」
伯母さんが寝室に引っ込むのを待ってから、俺は伯父さんに声をかけた。伯父さんはビールを片手にスポーツ新聞を読んでいた。
「変な話だけどさ。俺の母さん、本当は死んでるんじゃないか?」
別の病院に移ったというのは、俺を絶望させないための伯父さんなりの優しさだったのかもしれないと考えた。もしそうだとしたら、由佳の言っていたことは、やっぱり例え話かなんかだったということになる。
「さっきからそんな話ばかりだな。なにかあったのか」
「いや、別になんもないけどさ」
俺があらためて先の質問を投げかけると、伯父さんは「さあ、どうなんだろうな」と答えた。なんとなく、とぼけているようにも聞こえた。
「俺ももう、子供じゃないんだからさ、なにを言われたって誰のせいにもしない。だから、本当のこと言ってくれよ」
伯父さんは新聞から目を上げて、困った顔をした。
「そんなことを言われてもなぁ、わからんものはわからんよ。もう一五年も経つんだぞ」
「ほかの病院に移ったっていうのは事実なのか?」
「ああ、それはな。それだけは確かだ。そのあとのことは、どうだかな……」
伯父さんは小さくあくびをして、そろそろ寝る、と言った。
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