第92話 魚谷くんの眼球を舐めさせてちょうだい!

「魚谷くん。私ね? 今、真剣に悩んでいるの」

「へぇ……」


 珍しいこともあるもんだ。


「ちょっと、相談に乗ってくれるかしら」

「うん……」


 ……なぜ、体育の授業中なのだろう。


 そこをツッコんでも、どうせまともな答えは返ってこないと思うので、聞かないことにするけれど。


「体液って、色々あるじゃない」

「うわ……」

「待って! どこに行くの!?」

「真剣に悩んでる人から、体液なんてワードは出てこないから」

「それは偏見よ! いいから座りなさい! 座れ! ゴルァ!!!」


 急にそっち系の人みたいな脅され方をしたので、大人しく座ることにした。


「で……。体液がなに?」

「色々あるでしょう?」

「そうだね……」

「汗、唾液……。それから、遺伝子たっぷり液」

「はい……」

「私はこれまで、魚谷くんから、数々の体液を頂いてきたわ」


 頂いたというより、奪われたという方が正しいけどね。


「だけど、その中で、圧倒的に不足している体液を、一つみつけてしまったのよ」

「この話、大丈夫?」

「全然大丈夫よ」


 真っすぐな目でそう言われたので、背筋がゾクっとした。


 ホラー映画とか、すぐに出られると思う。この人。


「それはね……。魚谷くんの、涙なのよ」

「な、涙ですか……」

「えぇ。昨晩、あなたの体液を整頓していたらね? 涙だけ、明らかに足りていなかったの」

「それが、真剣な悩み?」

「そうよ」

「……」

「だからって、魚谷くんを泣かせるわけにはいかないと思うのよ。さすがの私も、無理に人を泣かせようだなんて、サイコなことをする女じゃないわ」


 良かった。


 まだ少しだけ、人の心が残っていたらしい。


「だから、魚谷くんの眼球を舐めさせてちょうだい!」


 ……あれ?


 ここ最近で、トップクラスにサイコな要求が飛び出してきたぞ?


「鳥山さん。自分が何を言ってるか、わかってる?」

「眼球を舐めさせてほしいって言ってるわね」

「そうだね。すごい気色の悪い発言だとは、思わない?」

「……思わないわね。え? 何が気色悪いの? 大好きな人の眼球をベロベロ舐め回して、涙を摂取したいって、そんなにおかしな話かしら」


 鳥山さんが、首を傾げている。


 誰か、この人に、倫理観とか、常識っていうものを、ゼロから教えてあげた方が良いと思う。


「あ、わかったわ! 痛いから嫌なんでしょう? 大丈夫よ! 麻酔かけてあげるから!」

「怖いって」

「あぁ、ばい菌が心配? それも安心しなさい! ちゃ~んと舌を綺麗にしてから舐めてあげる! へへっ」

「へへっ、じゃないんだって」

「ほら、ちゃんと注射器を用意してあるわ? これでしばらく、体の感覚がなくなるの」

「犯罪者だよ」

「犯罪くらいするわよ!!! 好きな人の体液を摂取するためならね!!!!」


 もう、瞳孔が開いちゃってんのよ。


「いやいや。涙を摂取って言うならさ。なんだろう。たまねぎを目の前で切るとか……。そういう方法もあるじゃん」

「そんなの邪道じゃない!」

「こんなことに、王道も邪道も無いって」


 涙を摂取したいとかいう発想が、すでに人の道を外れていると思う。


「ていうか鳥山さん。無理に泣かせるつもりは無いって言ってたじゃん」

「言ったわ。でも、それは相手を泣かせるという行為に対しての発言よ。今私は、きちんとあなたに麻酔をぶち込んで、しっかりと痛覚を失くしてから、眼球を舐めようと思ってるって言ってるの。わかる?」

「ごめん。俺、授業に戻るから」

「動かないで」


 首元に、注射器を突き付けられた。


「少しでも動いたら、この針を打っ刺すわよ」

「あのさ、鳥山さんって、俺のこと好きなんだよね?」

「そうよ? 世界で一番好き。好きすぎて吐いちゃいそう」

「だったらさ……。こういうことしたら、相手が嫌がるだろうなぁとか、もう少し考えられない?」

「魚谷くん。人は分かり合えない生き物なのよ。その中で、夫婦となった以上は、自分の受け入れられない相手の要素を、しっかりと認めて、妥協することが大切なの」

「麻酔を打って、眼球を舐めるっていう行為を、許容しろって?」

「そうね」


 そうね。じゃないんだよ。


 なんでそんなに、落ち着いた様子で、淡々と話せるんだろう。


「大丈夫よ。すぐ終わるわ。ね?」

「本当にやめてくれない?」

「嫌よ! この麻酔、いくらしたと思ってるの!?」

「……マジで、嫌いになりそうなんだけど。鳥山さんのこと」

「えっ?」

「あっ」


 しまった。


 うっかり、NGワードを発してしまった。


「と、鳥山さん。あの……」

「ううういいああああ!!!!!!」


 鳥山さんが、泣き始めてしまった。


 少し離れた位置にいるクラスメイトが、こちらを見ている。


 そりゃあ見るよ。こんなにデカい声聞こえたら。


 動物が出産する時くらい、声出てるもん。


「ぐううううああああ!!! ぐうう! ぎうぐぐっぐぐう!!」

「ごめんごめん。嫌いは言い過ぎた。泣き止んでくれない?」

「お、おええええええ」


 う、うわぁ……。


「げほっ、げほっ……」


 ……とりあえず、鳥山さんの背中を擦った。


「ふぅ……ふぅ……。げほっ、おえぇっ!」

「だ、大丈夫ですか……?」

「ぎ、ぎぎぎぎぎぃいいい……」

「落ち着いて……」

「……もう、平気よ。迷惑かけたわね」


 口元を拭った鳥山さんが、ようやく顔を上げた。


「あなたの涙を摂取しようと思ったのに、まさか私が泣くことになるなんてね……。ははっ。こりゃあ一本取られたわ! あっはっはっは!!!」


 情緒どうなってんだよ、この人……。


 結局、この日早退した鳥山さんは、三日ほど学校を休んだ。


 ……嫌い。という言葉は、かなりの力を発揮するっぽいので、最終手段として、残しておこう。

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