第752話 寝るのか?

 予想よりもやや遅れてライナ伯爵とモラヴィッツ辺境伯は兵を引き連れて平野で睨み合っていた。


 事前の情報どおり両軍ともほぼ同数の戦力だ。五千ぐらいだろう。


 俺とソフィーは戦場が一望できる丘の上で座りながら様子を見ている。背後の警戒は元教会騎士で今はヴァンパイアナイトに変質したフェールが担当している。万が一、別働隊が近くに来たら教えてくれるだろう。


「早く始まりませんかね」


 睨み合って数時間は経過していることもあって隣にいるソフィーは退屈そうだ。目をこすってあくびをすると、横になって俺の膝の上に頭を置いた。


「寝るのか?」


 できる限り人間扱いしたいため、眠ることのないアンデッドだとわかっていても聞いてみた。


「ラルスさんの匂いを嗅いで心を静めておきます。動きが出たら教えてください」

「わかった。それまで好きにしててくれ」


 退屈だからといって暴れ回るよりも大人しくしてくれた方がいいし、こうやって密着しているのは嬉しい。頭を撫でながらワガママを受け入れた。


 宣言したとおり目を閉じて匂いを嗅ぎ出したので、俺は魔力で目を強化しながらライナ伯爵陣営を改めてみる。


 本陣には複数の貴族がいて連れてきた家臣と議論を交わしている。どうやって攻めるかまだ決まっていないようだ。貴族の一人には、ライナ伯爵の寄子であるエルラー家の当主――ゼルマもいた。一人だけ女性だから目だって、自然と視線が吸い寄せられる。


 最後に見たときより髪は短くなっている。セミロングぐらいだろうか。些細な変化ではあるが懐かしくも少しだけ寂しい気持ちになった。


 議論は白熱していて、ライナ伯爵の家臣たちはゼルマを責め立てているように見えた。難癖をつけているのか、それとも無茶な依頼をしているのかわからないが、新米かつ女性ということもあって舐められているのだろう。


 俺の知っている彼女はその程度で屈するような性格はしていない。


 思っていたとおり家臣の一人をビンタしてしまった。さらに剣を抜こうとしたところでライナ伯爵に止められる。


 あれは責任問題になるだろうな……。


「ん?」


 兵の一人が本陣に入ってくると何か報告をしている。声は聞こえないので内容まではわからないが、全員が緊張したところから悪い話だったことまでは想像できた。


 最後に敬礼して兵が出て行くと、残った全員がゼルマを見て、また責め立てている。


 俺が知らない間に立場はかなり悪くなっているようだ。ダンジョン運営で資金は潤っていても政治的に致命的な問題が発しているのだろう。勇者どもがやってくるようになったのも、この辺が関係している見た。


 やはりソフィーを暴れさせるのは悪手だな。エルラー家にトドメを刺す形になる。


 貴族たちの攻めた手は強くなっているようで、離れていてもわかるほどゼルマは殺気立っている。


 ついに我慢の限界が来たのか、魔力放出によって髪をうねらせながら地図が乗せられたテーブルにナイフを突き刺し、本陣を出て行ってしまった。


 あれはマジで切れた時の動きだ。相手が貴族だから手を出さなかったが、平民なら打ち首ぐらいにはなっていただろう。


 本陣には興味がなくなったので外に出たゼルマの姿を追っていると、エルラー家の兵士が集まっているエリアに着いたようだ。大声で指示を出していて慌ただしく動いている。


 出陣の準備を進めているようで、兵を連れて最前列にまで移動をした。


 危険な先陣を押しつけられたって訳か。


 ゼルマの近くには騎士のレギーナ、元奴隷だったローザとベテラン冒険者バウルの顔もあるので、負けることはあっても死ぬことはない……と信じているぞ。


 ライナ伯爵陣営の観察はこのぐらいで良いだろう。


 続いてモラヴィッツ辺境伯陣営の方に視線を移す。


 顔を包帯で巻いた男が一人、兵たちの前に立っていた。全身鎧を着ているが、武器の類いは一切持っていない。胸には紋章が描かれているので騎士階級以上だというのはわかる。


 アレは多分、ノンダスだろう。


 ギフト能力者は使い方次第で数千の兵と同等の力を発揮する。


 両軍の兵が同数でもロンダルト王国側はかなり不利な状況で、ライナ伯爵もわかっているはず。


 だから先鋒をゼルマに押しつけたのかもな。


 命令は、全滅してでもノンダスを討ち取れ、とかか?


「これはマズいな」


 彼女たちとは色々あったが決して悪い思い出ばかりではない。むしろ好感すら持っている。心境としてはロンダルト王国に勝って欲しいのだが厳しそうだ。


「どうされました?」


 顔を動かしてソフィーは俺を見上げていた。


「ゼルマたちが負けるかもしれない」

「それは少し嫌ですね。彼女たちが死んでしまったらヤンの管理方針が変わってしまうかもしれません。手を出しますか?」

「まだ早い。しばらくは様相を見るが……」


 両軍が動いてないのに俺たちが出てしまうと、ソフィーがダンジョンの外でも暴れていることが知られてしまう。最良なのはゼルマたち以外の目撃者がいないこと。だがそれは、望みすぎだろうな。


 欲張りすぎたらすべてを失ってしまう。


 ロンダルト王国側にも秘策があると信じながらも、準備だけは進めておくか。


「何かあれば俺が動く」

「私はどうします?」

「計画は、変わらない。ソフィーを見られたくはないから、ここで待機しててくれ」

「まぁ! 独占欲が強いんですね」


 嬉しそうに言われてしまったので勘違いを指摘できなかった。


 まぁ、些細な問題だからどうでもいいだろう。


 重要なのは世間で魔王とまで呼ばれてしまっているソフィーが、積極的に人を殺し回るような物騒な存在だと思われないことなのだ。

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